原園 綾
(はらぞの・あや)

1967年生まれ。世田谷区立赤堤小卒。ニューヨーク在住。大きくなったら何になろうかな?

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第7回:ニューヨークから

NYに住んでいながら、朝の習慣になっているasahi.comで9時過ぎにワールド・トレード・センターから煙と火が吹いているのを知り、あわててテレビをつけた。テロ行為は明らかでも、その先があるとはまだ知らず、救助や消火ができるのかと思っていると、ベンタゴンのニュース、空港や橋、トンネルの封鎖、しまいには2つのビルの相次ぐ崩壊。

ビルだけでなくニューヨークとニューヨーカーは訳の分からぬまま恐怖と緊張により見る見るうちに破壊されたかのようでした。家の南側には建物がありビルも煙も見えないのですが、現場に居合わせてしまった人たちの心には、目の前で起こった光景がどんなに深く残ってしまうか、被害者や家族の方はましてや。「戦争」や「報復」といった言葉も特別な響きを持ち得ないほどの一日だったのです。ニュースを観た世界中の人も衝撃と傷を負ったと思います。

テレビでニュースを見続けていると、リアリティが失われてしまうんでしょうか。一歩外に出たとたん、頭のなかと現実のギャップをつぶさに認識させられました。現場から離れているにもかかわらず、肌にズキズキくるあの耐えがたい空気。NY全体が傷ついてしまった空気。

それでもこの街は少しずつ回復しているようです。通っている大学も事件翌日までは休校となりましたが、現在は通常に戻りました。金曜日の授業は、いつもより人数は少なかったものの、先生と生徒がそろって進化の授業が行なわれ、とても安心しました。授業中はちょうど、大統領が現場にやって来る時間だったらしく、護衛なのか上空を通る戦闘機らしき音がしてましたが。

テロ組織だけでなく関係国との利害関係や、戦争の歴史が語られないままニュースは他の多くの情報を流し続けています。アメリカの将来、世界の将来についても長期的な展望を語る評論家も出てきていないようです。繰り返し放映されていた激突シーンの映像は、自粛され始めたようですが、今、メディアができることは、普段は報道されてない地域の情勢を含め事件の背後にある状況を改めて明らかにすることではないのかなぁ。21世紀も、国はやはり国であり続け、自国の利害のために動いて、国民は他国の状況も充分に知らされないまま無口に、もしくは熱烈に国旗を振りながらそれについてゆくのでしょうか。もはや国境がない時代というのはウソっぱちだなぁ。ケロケロ…(泣)。

できることといえば献血ぐらいだなと、近所の赤十字に出かけたところ、血液を保存する袋がもう足りないらしく、明日以降に来てくださいと言われてしまいました。アメリカ人の行動力はガッツがある。日頃からの救援プロのボランティア・リストも充実しているようで、むしろ一般市民はそういうプロに対する支援や声援にいそしみ、同時に祈りを捧げ、また皆で気持ちを高揚させようとしている。ジュリアーニ市長がそんな人々を讃え、「一丸となって一日でも早く復興し、ニューヨークが世界一素晴らしい街だと世界に知らせようではないか」と拍車をかける。まるで親指上げてイエーイ!のアメリカ映画です。

頻繁に行なわれる記者会見でも、質問に市長自身がマスコミに対して真摯に答えて、警察や消防の担当とも互いに信頼関係を築いている感じが、「これこそ政治家ではないか」とカッパも思ってしまうほど。また市や州、連邦と政府の役割分担もはっきりしていて、ブッシュ大統領も現場に来たけれど、市のことは市長にまかせたぞという感じ。そしてそうした連携の間にはヒラリー・クリントンを始めとしたNY州議員の動きもクリアに見えていました。日本だと、こんなに明らかに鮮やかに政治家は行動できるのかしらん。

学校ではさっそくみんなで寄せ書きや集会をしたり、ボランティアを始めたり。ある学生が大学付近の消防署に行き、実際何が助けになるのか訊ねたら、救助活動の後の道端で皆がくれる声援が心の支えになると言われたらしい。我々皆で現場の近くまで行けないので、メッセージを書いたカードやチョコレートなど応援の気持ちを贈ろうと呼び掛けをしてます。

その消防署も一人消息がわからないままだそうです。今回はニューヨークじゅうの消防署と警察署が駆けつけて、多くが巻き込まれてしまい、それでも救助活動を続ける彼らはニューヨーク・スピリットの象徴になっちょるの。以前、友人の手伝いでヨーロッパにある赤十字や国境なき医師団の本部へインタビューに行ったときも、国とか宗教とか、個人的背景に束縛されず(実際、ジュネーブの本部は赤十字とイスラム教系の赤新月からできている)、一つの活動というよりは人生そのものを捧げながら仕事をしている人たちに接して圧倒された。

ヒューマニティはどこから生まれてくるのか? という謎は深まる一方で、ヒューマニティは現実社会で忘れられてしまいそうだけど、必ず続いて行く灯火でもあるという事実。「ヒトはあらゆる行動が可能なのだ」と、人間の両極端の行為を見てカッパは思う。

 

→ 第8回:人類進化。その始まりは?


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