第37回:ベア川の虐殺 その1
インディアンの集団殺戮は数多く、何度も繰り返された。
ここでは、サンドクリークのほか、シャイアンクリーク(サッパクリーク)、ベア川(Bear River)、ウンデッドニーだけを取り上げるが、北米開拓の歴史はインディアン虐殺の歴史と言い切っても良いほど殺戮に満ち満ちている。
しばらくシャイアン族を離れ、ショーショーニー族のことを書く。舞台もコロラド州、カンサス州を離れ、現在のユタ州とアイダホ州に移す。
ブリガム・ヤングに率いられたモルモン教徒たちが、ソルトレイクシティーに本拠を構える前、他の候補地としてキャッシュ峡谷というユタ州とアイダホ州にまたがるベア川沿いの地区が挙げられていた。多分に伝説的な逸話だが、有名な罠師、ジム・ブリッジャーがキャッシュ峡谷こそ、モルモン教徒の本拠地を置くのに最適な場所だとブリガム・ヤングに推した話が伝わっている。
確かに、その界隈はキャッシュ=現金と呼ぶのに相応しいほど、獲物が集まる所だった。だが、それは罠師、猟師にとってのことで、大勢の信徒たちを入植、開拓させ、定住させるような場所ではなかった。
それに元々、キャッシュ峡谷は(ショーショーニー族は“スーフベオゴイ”柳の谷と呼んでいた)ショーショーニー・インディアンの重要な狩猟場だった。現在でも両岸に木立が迫り、緩やかにうねった乾燥地帯の北部ユタ、南部アイダホにあって、一種オアシスのような所だ。モノの本によると、当時はもっと大きな森林が河岸に迫っており、エルク、鹿、バッファローにとって格好の水場だったとある。それに川魚も捕れた。
モルモン教徒はソルトレイクに本拠を構え、そこを中心にして農耕、牧畜を広げていき、キャッシュ峡谷にも入植させている。基本的に原住インディアンたちと友好的な関係を築く方針だった。しかしながら、元々狩猟民族であり、従って、常に移動を繰り返しているショーショーニー族には土地の所有観念がなく、あるのは共同の入会地のような狩猟場の感覚だけだった。そこへ、白人が入植し、土地を所有し、そこの獲物を占有するようになった。元来、土地にしがみ付いている農民、牧畜民は自分の領地を異常なほど敏感に守る。たとえ広大な土地を所有していても、そこに足を踏み入れるには、ライフルで撃たれても文句が言えないことになる。
私たちが住む高原台地にも、「私有地につき立ち入り禁止」の立て看板が至る所にある。獲物を追っていたハンターたちが、その獲物が、「立ち利禁止!不法侵略者は撃つ!」などと書かれた私有地に逃げ込み、腹いせにそんな立て看板を的にして、撃つのだろう、穴だらけになっている。
当然、ショーショーニー族は白人の侵入により飢えた。1859年の南北戦争前にユタ準州、インディアン局長だったジェイコブ・フォーニーははっきりと、「インディアンは白人入植者が入ってくることによって、貧困、飢えが進んだ」と書いている。また、彼の後任ジェイムス・ドティはキャッシュ峡谷を訪れ、「インディアンたちは飢えており、衣料もなく、交易所を襲いかねない状況だ」と報告しているが、政府は何の対策もしていない。というか、南北戦争がいつ勃発してもおかしくない状況で、西部のインディアン問題まで手が回らなかった。
悪いことに、モンタナ準州で金鉱が発見され、そこへ食料をはじめ発掘に必要な道具、坑夫たちというか山師たちへ、ソルトレイクシティーから生活物資を運ぶ通路がキャッシュ峡谷を通過するように設けられた。
主要ルートが設けられたと同時に、白人たちがドッとキャッシュ峡谷に進出してきた。当然のように両者の摩擦が起こった。小さな事件はインディアンの少年が馬を盗んだ疑い(パグウィーニー事件)で、そのインディアンの少年は絞首刑になった。今では無実だとされているのだが…。その復讐として、ショーショーニー族は白人二人を殺害した。
また、オレゴン・トレイルを西に向かっていたイライラ・オッターの率いる移民団をショーショーニー族が襲い、ほとんど壊滅させた。その時、アレクシス・オーナム家の4人の少年がインディアンに連れ去られた。この少年たちがキャッシュ峡谷に連れ去られたという目撃者が現れ、エドワード・マックギャリー少佐は、キャッシュ峡谷のショーショーニー族の集落を襲った。「インディアンどもを皆殺しにしろ!」との命令を下した。
その時、ショーショーニー族の酋長は、ベアハンターだった。騎兵隊の圧倒的な武力の前に、ベアハンター酋長は白旗を挙げたが、マックギャリーはそれを無視し、和平交渉も降伏も認めず、襲撃を続けたと言われている。結果、20名のショーショーニー族をプロビデンス基地まで連行し、白人少年たちの所在を追求した。マックギャリー少佐は、ベアハンター酋長以下を人質として手元に置き、少年たちを連れて来なければ、人質は殺すぞと数名のショーショーニー族を放ったのだ。
アメリカ人だけではないが、西欧人は敵に捕らえられた自国民を異常に思えるほど救済したがる。
アメリカ国籍の女子プロバスケットボールのプレイヤー、ブリットニーがロシアで禁止されているマリファナを持ち込もうとして空港の税関で捕まった。今、アメリカの多くの州でマリファナは全面的に解禁されているから、ブリットニーも何の罪の意識もなく、自分で吸うためだけの少量のマリファナをスーツケースに入れ、アメリカ国内と同じように持ち歩いていたのだろう。ロシア国内で売り捌き、それで儲けようとしたわけではない。
ブリットニー逮捕の情報を掴んでからのアメリカの報道合戦は、それこそ、リンドバーグが飛行機で初めて大西洋を横断した時もカクヤというばかりの大報道合戦を繰り広げた。ブリットニーを救え、ロシアの官憲はブリットニーのスーツケースにマリファナを植え付け、無実の罪をコジツケたとか、まるでいちバスケットボール選手がCIA長官でもあるかのような騒ぎだった。
政治問題にまでなり、多分にマスコミに押されたアメリカ政府は、アメリカで逮捕し、懲役に就いていたロシアの大物スパイと交換で、微量のマリファナ所持のブリットニーを取り戻したのだった。これなどまるで役者が違い、政治的な意味では、アメリカにとって大損の取引だ。政治がマスコミに負けた例なのかもしれない。
それにしても、自国民をどんな犠牲を払ってでも守るという姿勢を全面的に誇示したがる。
全般的に北米インディアンは、女、子供を殺さず連れ去る傾向が強い。全員虐殺は相手が戦士でない限りやらない。連れ去られた女、子供は捕虜というより、部族の一員として、部族の家庭で育てられる。それが北米の白人の目から見れば至って原始的で不衛生なものだったにしろ、それはインディアンの普通の生き方だった。捕まえた敵対する部族や白人の子供を奴隷として扱うようなことはなかった。
取り戻された少年ルーベン・ヴァン・オーナムだとされている写真
多少劇的な口伝になるが、4人のショーショーニー族は期限ギリギリに白人少年一人を伴って帰ってきた。この少年は連れ去られたルベン・オーナムと年齢、特徴が一致するとして、彼の叔父がいるオレゴン州に送られた。ベアハンター酋長や部族が、この少年はフランス人の罠師とショーショーニー族との混血だと抗議したが虚しかった。
マックギャリー少佐は、手早くコトを片付けたかったのだろう。捕まっていた白人の少年を成功裏に取り戻したと、自画自賛の報告書を上官のコーナー大佐に書き送っている。
-…つづく
第38回:ベア川の虐殺 その2
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