のらり 大好評連載中   
 
■インディアンの唄が聴こえる
 

第3回:インディアンの社会 その1

更新日2023/01/26

 

すべてのインディアンがパイオニアたちの幌馬車隊を襲ったりしていたわけでも、インディアン同士が戦いのない平和な自然に則した生活を営んでいたわけでもない。飢饉と病疫、お互いの殺し合いで、白人がやってくる前に地球上から消えてしまった部族、民族も多い。だが、白人がアメリカ大陸に移住し始めてから、インディアン・クレンジング=大量虐殺は、まるで大型戦車が大平原をならしていくかのように侵攻した。

ホームステッド(Home-stead Act;1862年発令)は、中西部開発のため?無償で政府の土地(元々土地の所有観念のないインディアンの土地だった)を与える法案で、通常一件あたり160エーカー(647,520㎡)を与えるという政策だったが、郎党一族の全員の名前を使い、終いには、すでに死んだ親族の名まで使ったりで、2,000~3,000エーカーの農地、牧草地をタダで貰うことができた。

この法案、ホームステッドは西部開発のための絶妙な法案だったと取るか、インディアンを絶滅に追いやった悪法と取るかは微妙なところだ。 

私たちが住むロッキーの西側スロープでも、広大な3,000から50,000 エーカーという牧場の所有主は、ホームステッドで獲得した地主の末裔だ。私の連れ合いの父方の曾祖父もロッキーの東側スロープに広大な農地をホームステッドで得ている。大勢詰めかけたパイオニアたち、牧畜業者、百姓たちには、その土地が元々はインディアンのもので、合衆国政府がインディアンを騙すように取り上げたものだという意識がほとんど無かったことだろう。

入植者にとって、インディアンは開拓民が身を削るようにして育て、増やした牛や馬を盗む野蛮な泥棒集団としか写らなかったに違いない。彼らに合衆国政府が取ったインディアン政策を知るほどの社会意識はなかった。それは必然的な無知と呼ぶべきか…。

西部開拓、移民の起点であったミズーリー州のインディペンダンスから、植民者たちは幌馬車隊に加わり、勇躍西に向かった。そこからカンサス、コロラドの大平原を横切り、ロッキーの麓、デンバーに取り付き、いくつかあるルートでロッキー越えを企てるのだった。 



チベット仏教の専門家であり、ブータン王国をよく知る今枝由朗は、彼が師と仰ぐロボン・パマラ師(ブータン人で仏教の高僧)がアメリカ、カリフォルニアのバークレーを訪れた時の不思議な逸話を語っている。

バークレー郊外をロボン・パマラ師が案内されるまま車に同乗していた時、突然、車を止めてくれと言い、車を降りて、ロボン・パマラ師は読経を始め、鎮魂に耽ったと言うのだ。同行していたバークレー大学の教授ランカスター氏は、ロボン・パメラ師がなぜそのような所作を取ったのか全く分からなかったが、大学に帰ってからランカスター教授が調べたところ、ロボン・パメラ師が車を降りたその地で、インディアンの大虐殺があったことを知ったと言うのだ。もちろん、ロボン・パメラ師が事前にそのこと知っているはずもなく、ロボン・パメラ師は一群の亡霊が突然その地に現れ、それらの怨霊を供養するために読経せずにはいられなかったと語っている。

私自身、霊的なものに感応したことはない。単にそのような感性に欠け、鈍いだけなのかもしれないが…。逆に、何を馬鹿なことを、妄想を抱いているんだろうと、そのようなオハナシを無視していたし、信用していなかった。だが今では、そんな世界、私が感じることのできない世界があるのではないかと思い始めている。それを死霊と呼ぼうが、自然神論と呼ぼうが、すべての宗教の根底には、人間の存在と自然崇拝が横たわっていると思うようになった。

人類学者の青木晴夫は、彼の著作『アメリカ・インディアン―その生活と文化』( 講談社現代新書;1979年)の中で、「アメリカ・インディアンの世界観には霊の世界が大きな位置を占めている。墓には祖先のタマシイがいると信じている」と明記している。確かに、そのような霊的な世界が存在すると思う。かと言って、日本古来の迷信に近い占い、姓名判断、字角占い、方位学、星占い、北枕、葬式仏教が生み出した数々の忌諱、家相などは全く信用していない。

インドネシアのジャワ島に残る伝統的家相“プリンボン”は、自然に即した、共同体の在り方、生活全体に結びついているので無視できないことは認めるが、“風水”(Fung Shui,  Hong Sui)は古代中国の集団村落の家屋の配置、各家の間取りは存外広く、東南アジア、日本にまで伝り“家相”として残っていたにしろ、中世、近世に至り、古代の集落的な生活様式はなくなり、意味を持たなくなったと考えている。

だが、インディアンの世界には、現代人が想像もできないほど霊が宿っていて、その霊がインディアンの日常に深い影を落としていたと思う。それを単なる迷信と笑うことはできない。科学的、人道的立場から、インディアンの“サンダンス”を愚かな“ええじゃないか踊り”の一種、火祭りのデイスコ・ダンスととることはできない。

もっとも、インディアン居留地になってしまった観光地での“サンダンス”では、若者たちがハリウッド的な派手な羽飾りの付いた衣装で披露しているのだが、ショー化された踊りで、真新しいナイキのバスケットシューズを履いていたりする。

No.03-01
これは西部ばかりを画材にした画家、彫刻家フレデリック・レミントン(Frederic
Remington)が1890年に描いたオグララ族、ラコタ族の“ゴーストダンス”の模様
(Wikipedia  ghost danceより)

もう一つの踊り、“ゴーストダンス”(Ghost Dance;死霊の踊り)は、白人に追い詰められ絶望に陥ったオガララ族、ラコタ族、ポモ族の間で新興宗教のように広がった。この“ゴーストダンス”は比較的新しく、1870年頃に始まったと見られる。

白人サイドの記録に現れる最初はジャック・ウイルソン(これは白人が付けた英名で、北方インディアン名は“ウオヴォカ”(Wovoka)=祈祷師、預言者だった)が始めた。 一種忘我の境地、トランス状態になり、輪になって踊る。それがアッと言う間に多くの部族に広がった。

“ゴーストダンス”は現世の白人支配が終わる時が来るという、言わば末生思想からきている。それは、滅びゆく民族、西欧文化に吸収、同化されていく運命にある独自の生き方、失われていくものの悲哀、絶望が来世にすがらせるのだろうか。如何にインディアンが、将来性のない生活を強いられていたかが分かるような気がする。

No.03-02 
Arapaho(アラパホ族)が使っていた“ゴーストダンス”用の衣装
バックスキンでできてている<1890年頃のもの>


 

 

第4回:インディアンの社会 その2

このコラムの感想を書く

 


佐野 草介
(さの そうすけ)
著者にメールを送る

海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

■音楽知らずのバッハ詣で [全46回]

■ビバ・エスパーニャ!
~南京虫の唄
[全31回]

■イビサ物語
~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
[全158回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 5
[全28回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 4
[全7回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 3
[全7回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 2
[全39回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 1
[全39回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part5
[全146回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part4
[全82回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part3
[全43回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part2
[全18回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝
[全151回]

■貿易風の吹く島から
~カリブ海のヨットマンからの電子メール
[全157回]


バックナンバー
第1回:消えゆくインディアン文化
第2回:意外に古いインディアンのアメリカ大陸移住


■更新予定日:毎週木曜日