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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第585回:二人のノーベル平和賞

更新日2018/11/08



時々、ノーベル賞の受賞者の中に、アレッ? この人、まだ生きていたの? という人物や、私たちのジェネレーション、同時代の意外な人が、例えばボブ・ディランが詩人として評価され文学賞を受賞することになったりと、話題性に事欠きません。生化学、医学、物理賞などは、言われてみて初めて知る名前が多く、業績も専門家にだけ分かるような内容です。

その中で、文学賞と平和賞だけは世俗性が強いので、誰が貰うことになるのか、多分に野次馬的な興味があります。政治的には中立で、あらゆる圧力に屈しないと言われているノーベル賞ですが、佐藤栄作やキッシンジャーに平和賞を与えた頃から、何かしら政治的なバイヤスを感じるようになり、もろ手を挙げて、この人物こそ賞に相応しいと言えない例が出てくるようになったと思っています。マザー・テレサは、もっとも相応しい人でしたが…。

誰が候補にノミネートされているか、受賞者が決定するまで全く秘密裏に選ばれるはずなのですが、委員会に自薦、他薦で相当な数の“候補者”が列記されているようなのです。推薦する団体が何らかの政治的圧力をかけるということはないようですが、一体どこまでが“俺によこせ”という意図で団体を動かしているのか、微妙なところがあります。

事前のウワサでは、トランプ大統領と金正恩が平和賞の有力候補だと言われ、そんなことになったら平和賞の地位は失墜し、地に堕ちることになる…と思っていました。ノーベル平和賞から政治家は一掃する、対象にしない方がずっとスッキリするでしょうね。

今年は、コンゴで地道な医療活動、主に100万人を超すといわれる強姦された女性たちの医療、アフターケアに当たってきたデニス・ムクウェッゲ(Denis Mukwege)医師と、ISIS(イスラム国)にセックススレイブ(性奴隷)として囚われていた経験を表立って語り、アラブ社会の女性解放の先陣を切ってきたナディア・ムラッド(Nadia Murad)さんに平和賞が贈られました。

コンゴのデニス医師はもうかれこれ30年近く、病院を建て、コンゴ動乱というよりテロ的な殺戮、女性に対しては強姦を常套手段にした戦争の被害者救済をしてきた著名な人です。コンゴの人たちが作ったドキュメンタリー映画『When Elephants Fight』(「象が戦う時」監督:Michael Ramsdell)を是非観てください。悲惨を通り越した凄惨な場面の連続で、人間はどこまで残酷になれるのか、限界に挑戦しているかのようにさえ見えます。

ベルギーが投げ出すようにコンゴを独立させてから、カタンガ州に有望な鉱山見つかり、西欧の大企業が部族の長を抱き込んで発掘権獲得争いに走ったことが、紛争を複雑に、そして過激にしたのは確実です。こんな事実を目の当たりにすると、西欧資本主義はアジアアフリカに酷いことばかりしてきた、それに対抗するため、ソビエトも火に油を注ぐようなことばかりしてきた、と絶望的な気持ちになります。現地の人のことなど全く考えず、私利私欲に走り、まるで金の亡者のような西欧の企業ばかりなのです。

ナディア・ムラッドさんは21歳の2014年にISISに拘束され、性奴隷として過ごしてきた経歴を持っています。そんな自分の体験をイスラム社会において大っぴらに語ることも大変なことですが、そのような被害に遭った女性を救済する運動を始めたのでした。彼女の行動はイスラムの過激派に命を狙われ兼ねない、大変勇気のいる行動です。

彼女同様に性奴隷にされたヤジディ族の女性は数千人にのぼるだろうと言われています。彼女が住んでいた北イラク、シンジャール地方のコチョ(Kocho)という町に、突然ISIS軍がなだれ込み、彼女の母、兄弟6人を殺し(行方不明)、妹とともにISISの性奴隷にされました。

セルビア・ボスニア紛争の時、セルビアのミリシャ(militia;私設軍隊)が行った虐殺、強姦は目を覆いたくなるような事件です。女性で初めてコソボ首相になったハジャガ(Atifete Jahjaga)は強姦された女性に対し、医療、心理、精神治療のための費用を補償する法案を通しました。ところが、万を越すとみられていた被害者で名乗り出たのはたった450人だったのです。

1998年、今から20年も前のことですし、すでに結婚し、家庭を築いている女性がたくさんいるでしょうから、身内を気にして名乗り出にくい事情があるのでしょう。そんなところに、戦争に伴う女性の悲劇の繊細さ、複雑さがあります。誰もがナディア・ムラッドさんのように勇気をもって表に立てるわけではないのです。

ナディア・ムラッドさんは、2015年にISISから決死の脱獄を図り、トルコ領のクルド族にかくまわれ、ドイツに亡命しましたが、ISISのメンバーがナディアさんを殺そうと迫ってきてスイスに逃れています。これは、ナディアさんが『彼女の肩に』(On Her Shoulder)という本を出版し、ISISを鋭く批判しているからです。批判というよりも、淡々と性奴隷として囚われていた日常的事実を書いているのですが、まるでアレクサンドル・ソルジェニーツィンの長編小説『煉獄のなかで』のようです。

今年の9月にも、イラクのテレビで人気の女性キャスター、タラ・ファレス(Tara Fares;22歳)さんが自宅で殺されています。その前にも、女性の権利を主張する高名な人や、ベールをはずして顔を晒して外を歩けるようにと、盛況だった整形外科医も殺されています。“女は顔をベールで隠し、家の奥に引っ込んでいろ”というメッセージなのでしょう。

2015年のミス・イラクになったシマー・クワシン・アブダラハーマン(Shimaa Qasim Abdulrahman)さんは、ISISから次はお前を殺すと再三脅迫を受けており、ヨルダンに逃げています。イラクの警察ではとてもシマーさんを守ることなどできないからです。

アラブ社会で、女性が権利を主張することは命懸けのことなのです。今回のノーベル平和賞を受賞した二人を知り、ノーベル平和賞を見直す気になりましたし、お二人に対してもこれからも無事に活躍してください…と、祈るような気持ちになりました。

-…つづく

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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