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第506回:流行り歌に寄せて No.301 「くちなしの花」~昭和48年(1973年)8月21日リリース

更新日2025/07/03



渡哲也さんが亡くなってから、もうすぐ5年になり、渡瀬恒彦さんが亡くなってからは、すでに8年以上経過している。早いものである。実に、魅力的な兄弟だった。

私は、日活アクションや東映の実録物を映画館で観たことはないので、映画スターの渡哲也のことはよくわからない。その代わり、印象に残っているテレビドラマが二つある。

『西部警察』の大門軍団の団長・大門圭介の勇姿である。角刈りに、レイバンのティアドロップ。己のことを「自分は」という一人称で話し、どんな事件も、自分の身を挺して、かなり強引と思える捜査方法で解決していく頼もしい団長。

昭和54年10月から、昭和59年10月まで、夜8時から放映されていたが、私の知り合いの方が、たまたま『西部警察』の制作スタッフだったため、その関係もあって毎週観ていた。

もう一つは、それより1年前の昭和53年4月から同年9月までに放映されていた『浮浪雲』の主人公・浮浪雲役。同名のジョージ秋山の人気漫画のテレビドラマ化で、自分のことを「あちきは」などと言う、今までの硬派の渡のイメージを大きく変えた。

こちらは女房・かめ女役の桃井かおりとの掛け合いが面白く、倉本聰の脚本は斬新だったが、意図的に行なわれた荒唐無稽な時代考証に、今ひとつ馴染めず、数回しか観ていない。

『浮浪雲』『西部警察』とも、『太陽にほえろ』『大都会』で日本テレビとともに作品を作っていた石原プロモーションが、テレビ朝日と初めて組んで仕事をした作品であった。

今回の『くちなしの花』が、徐々に売れ出した頃の、昭和49年の年初から始まったNHKの大河ドラマ『勝海舟』で主人公の勝麟太郎を演じたが、体調を崩して第9話で途中降板、その後代役を松方弘樹が務めたのは有名な話である。

その時の渡の病気は、膠原病であったことが後に判明した。彼は常に何かの病苦を抱えており、凄まじい闘病生活を送った時代が長かった。それを何度か乗り越えて出演してきたが、演じたかった役を病気により辞退することも多かったのである。

昭和50年の東映映画『大脱獄』は、高倉健、菅原文太、渡哲也の三大スターの初共演かと話題になり、渡も念願の高倉健との共演が叶うかと大変喜んでいたが…。この時も、渡は体調を崩し、過酷なロケには耐えられないということで、辞退している。

 

「くちなしの花」  水木かおる:作詞  遠藤実:作曲  斉藤恒夫:編曲  渡哲也:歌


いまでは指輪も まわるほど

やせてやつれた おまえのうわさ

くちなしの花の 花のかおりが

旅路のはてまで ついてくる

くちなしの 白い花

おまえのような 花だった

 

わがままいっては 困らせた

子供みたいな あの日のおまえ

くちなしの雨の 雨のわかれが

今でもこころを しめつける

くちなしの 白い花

おまえのような 花だった

 

小さなしあわせ それさえも

捨ててしまった 自分の手から

くちなしの花を 花を見るたび

淋しい笑顔が また浮かぶ

くちなしの 白い花

おまえのような 花だった

 

私は、これ以前の渡哲也の曲は 『東京流れ者』しか知らなかったが、今回も自分の不勉強ぶりを痛感することになった。この『くちなしの花』は、彼にとって26枚目のシングル・レコードだったのである(クラウンで15枚、テイチクで9枚をすでに出しており、ポリドールに移って2枚目)。

当時、ポリドールに移籍した渡の最初の曲は、クラウンからポリドールに移籍してきたプロデューサーの山口光昭による『男の別れ歌』というものだった(水木かおる:作詞 遠藤実:作曲 伊部晴美:編曲)。ところが、これはほとんど売れなかった。

次の企画に思いを巡らせていた山口光昭は、クラウン時代に手がけた仕事で知ったある遺稿集のことを思い出す。それは、訓練中に亡くなった飛行士である元海軍中尉・宅島徳光が、思い人への気持ちを綴った『くちなしの花』という遺稿集だった。彼は、この作品集の内容に深く感銘を受けていた。

そこで『アカシアの雨がやむとき』『エリカの花散るとき』を手掛けた水木かおるに「花を書いてもらうのだったら、先生しかいない」と、もう一度作詞を依頼する。作曲も前作と同じく、大御所、遠藤実にお願いした。

歌い出しの「いまでは指輪も まわるほど」というのは、最初水木は2番の歌い出しとして書いた。ところが「こんな良いフレーズを、この場所ではもったいない」と遠藤が指摘し、冒頭に持ってきたという逸話がある。

『くちなしの花』は、前作の『男の別れ道』の売り上げが7,000枚ほどだったので、手始めは慎重に3,000枚のプレスからだった。最初の売れ行きは鈍かったものの、翌昭和49年の最初辺りから有線放送などで徐々に売り上げを伸ばし、週間オリコン・チャート最高で4位。90万枚を売り上げる、渡にとっては最大のヒット曲になった。

そして、昭和49年(1974年)の『第25回NHK紅白歌合戦』、この曲で初出場を果たした。彼は平成5年(1993年)の第44回の紅白でも同曲を披露しているが、彼が紅白で歌ったのは、この曲1曲だけである。

その後、同じ水木、遠藤、斉藤の作家たちと『あじさいの雨』『みちづれ』『水割り』『ひとり』と次々とヒット曲を出していくが、この後は『みちづれ』のご紹介の時にまたいろいろと触れたいと思う。

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice
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※2024年11月30日、「BAR Lismore」は閉店いたしました。


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