第501回:流行り歌に寄せて No.296 「天使も夢みる」~昭和48年(1973年)5月21日リリース
何の番組だったかは憶えていない。山口百恵を最初にテレビで見た時「可愛らしい顔の子だな。でも、とても地味な印象だ…」と思ったことは、よく憶えている。その時は、デビューして間もなくの頃だったので、デビュー曲『としごろ』を歌っていた。
その頃購入した「月刊明星」の付録「ヤングソング」の中に『としごろ』も掲載されていたが、なぜかサブ・タイトルとして(人にめざめる14歳)と書かれていたことを、不思議に思ったものだ。
今回、YouTubeでデビュー・シングルのジャケットを確認したが、やはりジャケットの右上に縦書きで書かれた “としごろ”の字の肩に小さく、同じく縦書きで“人にめざめる14歳”と書かれている。
本当は「恋にめざめる」とか「異性にめざめる」などの意味なのだろうが、まだ中学2年生に歌わせているので、抑制を効かせたということか…。
山口百恵のデビュー時のキャッチ・フレーズは「大きなソニー、大きな新人」と派手なものだったが、この『としごろ』は、オリコン・チャートの最高順位が37位と、思いの外売り上げは伸びなかったようである。
そこで、スタッフは2曲目からは方向性を変えて、同じ千家和也、都倉俊一コンビ(編曲は馬飼野康二)による、大胆な詞と、刺激的なリズムとメロディーで、「青い性路線」と呼ばれる曲を作り上げていく。それは『青い果実』『禁じられた遊び』『春風のいたずら』『ひと夏の経験』と続いた。
CBSソニーの、敏腕プロデューサー・酒井正利も、最初は「中学2、3年生の子にこんな詞を歌わせていいのか…」と躊躇ったというが、「ストレートに表現することも一つの行き方だ」と思い直し、この方向で進んでいく。時代が求めていたものかも分からない。彼女の人気は、グングン高まっていった。
もう20年前になるけれど、このコラムに「流行歌に寄せて」を連載するはるか前に、山口百恵のことを書いたことがある。今回は第501回だが、まだ第46回目の時「70年代を駆け抜けたふたりのアイドル(2)~“時代と寝た女”モモエちゃん篇」というタイトルだった。
その中で、私は彼女の歌手生活を四つの時期に分け、デビューから上記の曲あたりまでを「第1期 いたいげで、あぶない少女期」とした。(コラムのバックナンバーはご覧いただけるので、よろしければご一読ください)
そして、その後いくつかの転機を迎えながら、山口百恵は今までにないスケールのアイドルになっていく。
「としごろ」 (人にめざめる14歳) 千家和也:作詞 都倉俊一:作・編曲 山口百恵:歌
陽に焼けた あなたの胸に
眼を閉じてもたれてみたい
潮風が 鼻をくすぐる
訳もなく 泣き出す私
あなたにすべてを見せるのは
ちょっぴり恐くて恥ずかしい
私が私でなくなるの
くちびるを やさしく噛んで
めざめてくる としごろよ
乱れてる あなたの髪を
やわらかくとかしてみたい
ふりそそぐ 陽ざしのなかで
感じるの 大人を 私
ふたりの間に美しい
何かが生まれて来るみたい
私が私でなくなるの
手のひらに 泪をためて
めざめてくる としごろよ
前回の桜田淳子と同様、山口百恵も『スター誕生!』の出身者だが、二人とも、このオーディション番組の決戦大会では、桜田が『見知らぬ世界』、山口が『回転木馬』と牧葉ユミの曲を歌っている。
その後、スター街道を共に走ることになる二人が選んだ曲を歌った牧葉ユミとは、一体どんな歌手なのか。実は、私も名前と顔だけは憶えているが、実際に歌っている姿などは記憶にない。自分が歌謡曲ファンなどと公言するのが憚られる思いである。
私があまり知らないだけで、当時の歌謡曲好きの少女たちは聴いていたのだろうか。
因みに『見知らぬ世界』は、オリジナルは湯原昌幸のソロ・デビュー曲で、牧葉がカヴァーした曲。『回転木馬』の方は、ザ・ベンチャーズの作曲の曲である。それだけ、話題性のある曲であれば、自分が知っていてもおかしくないはずだが…。
山口百恵の話に戻ると、デビュー曲から『ひと夏の経験』までは、千家和也、都倉俊一のコンビで走ってきたと前述した。その後のシングルもときに作曲者は変わっても、『ちっぽけな感傷』から『冬の色』『湖の決心』『夏ひらく青春』『ささやかな欲望』『白い約束』『愛に走って』までは、一貫して千家和也の詞によるものだった。
その後、山口本人の作詞、作曲を希望したこともあり、阿木燿子:作詞、宇崎竜童:作曲による『横須賀ストーリー』で、シングルでは初めて別の作詞者による曲となった。この曲は、ご存知の通り大ヒットする。
そして、その直後の2曲『パールカラーにゆれて』『赤い衝撃』は千家が詞を担当したが、それが最後となった。その後のシングルのほとんどの作詞は阿木燿子であり、そして、さだまさし、谷村新司、横須賀恵(山口百恵・本人)によっても書かれている。
彼女の、あの武道館での「さよならコンサート」では、千家作品は単独ではなく、すべてメドレーとして歌われた。また、最近の「山口百恵 人気曲ランキング」を見ても、20曲のうち15曲が千家和也より後の作詞家によるものとなっている。
しかし、20年前、彼女のことについてこのコラムに書いたときは、それほど思っていなかったが、今この歳になって、また歌謡曲というものを多少考えるようになって、千家和也という作詞家の力を改めて感じている。
それは、昭和という時代の中にあって、洗練も加工もほとんどされていない、素のままの言葉で書かれた詞であったのだが、それは聴く側に直接届いていた。それが、彼が手掛けた実に多くの歌手たちのヒットに繋がったのだ。
そして、山口百恵という、昭和を代表するアイドルの、しっかりとした基盤作りをしたのは、間違いなく千家和也であったと思う。
第502回:流行り歌に寄せて No.297「コーヒーショップで」~昭和48年(1973年)5月25日リリース
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