第742回:比叡山の西側へ - 京阪電鉄本線 叡山電鉄 -
月刊誌の取材が叡山電鉄、出町ふたば、MANYOKEN styleに決まった。この連載企画は私がユニークな鉄道路線を提案し、編集部が食取材の店を決める。出町ふたばは和菓子屋で豆大福が有名だという。MANYOKEN styleはフレンチレストランだ。京都でフレンチという意外性が良いらしい。魚介が出てくると困るけれど、それはカメラマンS氏に食べてもらって感想を聞いて書く。かつては同行の編集者の仕事だったけれど、定期人事異動で離れてしまった。行きたいから選んだ店だろうにと、気の毒になる。

新幹線で朝食
叡山電鉄は2年前に乗っている(第666回)。あの時は仕事の隙間に京阪電鉄で浜大津へ行き、坂本ケーブルと叡山ケーブルで比叡山を横断して、叡山電鉄で京都に戻った。もともと滋賀県でゲームのイベントをやるにあたり、会社が手配したチケットが京都前泊で、しかも新幹線が早朝だった。つまり朝一番で京都に着いて、夕方ホテルで集合するまでフリータイムになっていた。
妙な日程だけど、スタッフが京都で遊びたかったのかもしれない。しかしそのおかげで乗り鉄を楽しめたわけだ。私は当日の日帰りでも良かったけれど、乗り鉄の下心があって同行させてもらった。今回も下心アリで、取材後に京阪電鉄を全線踏破しようとたくらんでいる。取材日程は1日という段取りの良さで、私は現地解散で京都に泊まるつもりだ。

京阪電鉄、叡山電鉄、京福電鉄鋼索線、比叡山鉄道の路線図。黒が未乗区間(地理院地図を元に加工)
新横浜駅06時18分発の「のぞみ1号」に乗り、京都駅でJR奈良線に乗り換えて、東福寺駅で京阪電鉄に乗り換える。電車は2400系で、上半分が緑色、下半分が白。塗り分けるところに黄緑色のラインが入る。私は緑色が好きだから、これは良いデザインだと思う。この緑色を透き通らせたようなミントキャンディがあって、愛用していたけれどなくなってしまった。京阪カラーのキャンディが懐かしい。

京阪電鉄の車両は緑。緑基調の鉄道会社は珍しい
私は2年前に京津線と石坂山本線に乗っただけで、京阪電鉄の本線系統は未乗である。まずは東福寺駅から神宮丸太町駅までの乗車が叶った。神宮丸太町駅の次が出町柳駅になる。この短い区間は2年前に乗車済みだ。半端な記録だけれど、これは当時宿泊したホテルの最寄り駅が神宮丸太町駅だったから。その後はレンタカー移動だった。

出町柳駅、京阪と叡山は離れているため動く歩道がある
ちなみに東福寺駅から神宮丸太町駅の間に三条駅があり、そこから西が京阪電鉄本線で、東が鴨東線である。京阪電鉄本線は1915(大正4)年に三条駅に到達したけれど、三条駅から出町柳駅までは古都の景観を損ねるとして反対する声が多かった。その後京阪電鉄本線の東福寺より先が地下化され、合わせて鴨東線も全線地下で作られた。
電車は東福寺から住宅街を通り抜け、東海道新幹線の高架下を潜り抜けると地下区間に入る。地下化される前は堤防の上を電車が走っていたそうで、車窓から鴨川を眺められたのだろう。その時代が羨ましいけれども、地下化のおかげで出町柳まで到達できたわけだ。現在は堤防の上が4車線の道路になっている。

出町柳ふたばの豆餅
地下ばかりだから景色に感想はなく、10分ほどで出町柳駅に着く。S氏と合流し、まずは出町柳ふたばさんへ。豆餅が人気で、昼過ぎには売り切れてしまうという。創業は1899(明治32)年。大原女さんという行商の女性のおやつとして親しまれ、のちに学生たちの間で流行ったそうだ。出来たての豆餅をいただく。こしあんが舌に溶けていく。

奇抜なデザインの観光車両(ひえい)
出町柳駅に戻り、叡山電鉄のF氏にご挨拶して取材開始。昨年デビューした観光車両「ひえい」が今回の主役だ。奇抜な姿にS氏も嬉しそうだ。記事の扉写真で読者がビックリするはずだ。「ひえい」で八瀬比叡山口駅まで乗って、駅舎の写真を撮る。大正時代からの木造駅舎があり、くし型のプラットホームはドーム型の屋根が被っている。小さいけれど趣のある駅舎だ。2年前はあわてて乗り換えたから、しっかりと検分しなかった。

ドーム屋根にくし型プラットホーム。欧風の雰囲気もある
京福電鉄時代は八瀬遊園駅といって、近くに遊園地や水族館があったそうだ。それらの跡地はいまリゾートホテルになっているという。現在の静かな佇まいからは想像できないけれど、往時は賑やかだったことだろう。
-…つづく
第742回の行程地図(地理院地図を加工)

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