■シリコンバレー~ITの夢とドラマの舞台裏を歩いてみる

安蒜 泰樹
(あんびる・ひろき)


雑誌/書籍編集者、ウェブディレクター/プロデューサー、翻訳者。アスキーでソフトウェア製品のマーケティングの仕事をしたあと、出版局へ異動しマルチメディアな編集者として修行。その後、インプレスのインターネット放送専門米国子会社へ転職。シリコンバレーで約3年過ごしたあと帰国。現在、SuiteZero Ltd.取締役社長。


第1回:あの時あの場所で
第2回:ワイルド・ワイルド・ウェスト

第3回:水と芝生の美しい街

第4回:地図にない谷

第5回:産業高速「101」~その1

第6回:産業高速「101」~その2

第7回:麺が恋しい?ベトナムラーメンで決まり

第8回:株情報とネットの馴れ初め

第9回:森林高速「I-280」

第5回:産業高速「101」~その1

更新日2001/05/10 


「シリコンバレーのヘソ」と呼ばれるハイテク・アカデミズムの総本山、スタンフォード大学界隈で地図どおりに北に向かって立つと、左手にはサンタクララ山脈とそれに連なる緑多い丘陵、そして右手の向こうにはサンフランシスコベイが位置することになる。「山は西、海は東」。これさえ頭に入れておけば、たとえ土地鑑がなくてもシリコンバレーでは自分が向かっている方角がどちらなのか知ることができる。

さて、シリコンバレーを訪ずれるにあたっては、まずは主要な道路を知っておきたい。これから数回はバレーを駆け抜ける3本の主要道路について紹介していこう。

サンフランシスコからサンノゼまでの距離は約五〇マイル(七〇キロ)。この二つの大都市を結ぶ代表的な道が3本ある。1本はペニンシュラの東側の平野部に点在する各都市を結ぶように走るハイウェイ101号線である。101は、通称「ワンノーワン」と呼ばれる。北は遥かワシントン州を基点とし、途中、一般道、ハイウェイと交互に姿を変えながらメキシコ国境に近い南カリフォルニアの都市サンディエゴまでを結ぶ国道(US Route)である。

この道は、米国西海岸でもっとも美しい景観と絶賛されるオレゴンコースト沿いを南下したのち、カリフォルニア州北端に近いユーリカ(Eureka)をすぎたあたりで内陸へゆっくりと進路を変える。冬から春にかけての豊かな降雨が育む北カリフォルニア独特の森林と酪農地帯を抜けると、ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)が跨ぐベイの向こうにサンフランシスコが見えてくる。サンフランシスコを訪れてたまたまこのノースベイまで足を伸ばした多くの旅行者は、ゴールデンゲートを渡ってほどないロケーションに大自然がほとんど手つかずのまま残っていることに驚くのが常だ。

サンフランシスコ市街を背後に見ながら起伏の激しいワインディングを抜けると、ふいに眼前が開け、左手にサンフランシスコベイが広がる。内海のため、よほどの強風が吹かないかぎり海面には波ひとつ立たない。天気のよい日には対岸のイーストベイの工業地帯をバックに、シーカヤックやセーリングを楽しむ人々もみかけられる。

倉庫やウェアハウスが多い、シリコンバレーでは比較的地味なサウスサンフランシスコの街を通りすぎると、ハイテク産業の匂いが一気に強まってくる。シリコンバレー付近を抜ける101は、その別名をベイショア・フリーウェイ(Bayshore Freeway)と呼ぶ。「やれやれ、まいった。今朝のワンノーワンは最悪だったな。今日は金曜日だし夕方も早めにオフィスを引き上げたほうがよさそうだ」地元の人々は、こんな風にまるで挨拶代わりのようにこの産業高速道路の渋滞ぶりに愚痴をこぼすのである。渋滞が発生するのは平日の朝夕だけではない。クリスマスやサンクスギビングなどのバカンスシーズンには、100万人超の年間利用旅客者数を誇るサンフランシスコ国際空港に殺到する人々で、周辺の一般道ともども大パニックになるのが恒例となっている。この問題を解消すべく着手された空港施設の大改築がさらなる渋滞を作り出しているのは皮肉でもある。

101名物、朝夕の渋滞ラッシュ。左はサンフランシスコベイ。

Photo by Yukio Yoshinari/Image Works

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サンフランシスコ空港を過ぎると、道路の両手にはハイテク企業が入居するガラス張りのビルディングがいよいよ増えてくる。 途中、右手に広がるサンマテオ(San Mateo)は生活のしやすさで日系人や日本からの駐在員家族の間で定評がある街だ。イタリアやメキシコ、チャイニーズ、べトナミ-ズなど、日本以外の食文化も見事なほどこの街に浸透している。

南に向かってそのサンマテオの1つ先、今度は左手に位置するフォスターシティ(Foster City)は、水と芝生を調和させた美しい住宅の街だ。ラグーンと呼ばれる池が住宅地のあちこちを区切り、人々に水辺の暮らしを提供している。土地柄、多くの空港関係者が居住している。2000年まで101号線沿いにあるスリーコム・スタジアムを本拠としていたメジャーリーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツの選手たちとその家族も多いと聞く。

産業地区もベイにせり出した比較的新しい埋立地域を中心に拡大しつつある。 このあたりまで南下してくると、左手に一風変わったガラス張りのビル群が見えてくる。その円柱型のビルのシェイプを見てデータベースを連想できる人はIT関連業界の人間に違いない。貧しいロシア移民の息子が一代で築き上げた世界第二位のソフトウェア企業の本社ビルである。このオラクルタワーが所在するレッドウッドショアーズ(Redwood Shores)は、フォスターシティと同じく湿地帯を埋立地として開発した、バレーの中でも新興の都市で、行政上はレッドウッドシティ(Redwood City)の管轄下にある。数々の新興ソフトウェア企業のヘッドクオーターや研究施設がひしめくこの都市は、さらなる用地開発が急ピッチで進められている。

 

→ 第6回:産業高速「101」~その2