■シリコンバレー~ITの夢とドラマの舞台裏を歩いてみる

安蒜 泰樹
(あんびる・ひろき)


雑誌/書籍編集者、ウェブディレクター/プロデューサー、翻訳者。アスキーでソフトウェア製品のマーケティングの仕事をしたあと、出版局へ異動しマルチメディアな編集者として修行。その後、インプレスのインターネット放送専門米国子会社へ転職。シリコンバレーで約3年過ごしたあと帰国。現在、SuiteZero Ltd.取締役社長。


第1回:あの時あの場所で
第2回:ワイルド・ワイルド・ウェスト

第3回:水と芝生の美しい街

第4回:地図にない谷

第5回:産業高速「101」~その1

第6回:産業高速「101」~その2

第7回:麺が恋しい?ベトナムラーメンで決まり

第8回:株情報とネットの馴れ初め

第9回:森林高速「I-280」

第4回:地図にない谷

更新日2001/05/03 

そもそもシリコンバレーとはどこを指すのか? この問いにクリアな答を求めるのはなかなか難しい。地図を見まわせば、この名称の土地がサンフランシスコ・ベイエリアには存在しないことがわかる。

「シリコンバレー」という名称は、そもそもの由来を紐解くと一九七一年まで遡る。貿易関連雑誌「エレクトロニック・ニューズ」の編集者ドン・ホフラーが自身の記事の中で、当時破竹の勢いで成長を続けていた半導体製造の巨人、インテルの本拠地をこう呼んだとされる。シリコンとは半導体製造に使用される原材料のことである。

九〇年代中盤のインターネットブーム以前においては、シリコンバレーといえば、北は名門スタンフォード大学があるパロアルトからこのインテル本社があるサンタクララ(Santa Clara)までのエリアを示すことが多かった。

どうやらシリコンバレーを定義するには、やはりハイテク企業が散在する地域一帯をひとくくりにしてしまうのが賢そうだ。そのエリアは年々サンフランシスコベイ西岸の各都市のみならず対岸のイーストベイにまで拡大しつつある。

たとえば、パロアルトから北に上がったRedwood Cityには世界第二位のソフトウェア企業、オラクルがあり、データベースをモチーフにしたその美しいガラス張りの社屋はハイウェイ101号線沿いのランドマークとなっている。サンフランシスコ空港から南下すると、ハイウェイ101号線沿いにいくつもの真新しいビジネスコンプレックスやビジネスパークを眺めながらドライブすることになる。

サンタクララからミルピータス(Milpitas)にかけての、かつては湿原や干潟だったエリアにも次々と新しいビジネスパークが造成され、ハイテク企業が先を争ってオフィスや工場を構えている。ミルピータスの背後に伸びるディアブロ山脈(Diablo Range)の丘陵地帯にはIT業界関係者とそのファミリーが暮らす新興住宅地が広がっている。

そして、やはり忘れてはならないのがサンフランシスコだ。幾度もの震災を経て再生を繰り返してきたこの街は、今日、シリコンバレーで生まれた新技術がダイナミックなクリエイティブワークやビジネスとして落とし込まれる、ニューカルチャーとエコノミーの震源地となっている。バレー深部とサンフランシスコの間にはイノベーションとアプリケーションの構図が描かれているとでもいうべきだろうか。

こんな定義にのっとって、本コラムでは地理学的にはサンフランシスコから太平洋に沿って南へ走る半島「ザ・ペニンシュラ(Peninsula)」一帯と、サンフランシスコベイの東岸に連なるディアブロ山脈(Diablo Range)が南に下って、ペニンシュラが抱くサンタクルーズ山脈とぶつかったところに広がるサンタクララバレーまでをシリコンバレーとして紹介していくことにする。

写真:パロアルト市ダウンタウン。スタンフォード大学の膝元となるこの街の中心街ではアカデミックな雰囲気を楽しめる。いわゆる学生街という感じではない。書店やカフェ、レストランをはじめとする店はどれも洗練された大人たちにも愛され、週末には多くの人々が繰り出してくる。

Photo by Yukio Yoshinari/Image Works

 

→ 第5回:産業高速「101」~その1