第18回:強い文は短い
私が“短い文章は強い”と感じたきっかけは、北方謙三氏の小説でした。彼の小説には喧嘩の場面が頻繁に登場します。ある小説にこんな描写がありました。
“棒。”
たった1文字で1文です。
“立ち上がった。棒。腹をかすった。”
そんな描写だったような気がします。
文庫本の巻末で解説を書いた人も、同じ部分で驚いていました。日本で一番短い文章です。これが実に効果的で、一瞬たりとも気が抜けない戦いの場面を盛り上げていました。
私はこの文に出会って、“文章の長さ”と“意味の強弱”には相関関係があると思いました。
ライターという仕事は頭脳労働ですから、執筆中の身体疲労は感じません。むしろ頭脳のほうが疲労します。脳が疲れると文章が長くなります。その結果、主語と述語が一致しなかったり、ひとつの文に主語がふたつあったり、いままでこのコラムで書いてきた禁忌をすべて破ってしまいます。
私が徹夜で書くと、文章の品質がひどく低下します。ひと眠りしてから見直すと恥ずかしくなるほど下手糞な文章です。自分が書いたとは思えません。こう書くと「いまも十分ひどい文だから、もっと眠ってください」と言われそうですね。ご心配なく。この文章よりもっと下手です(笑)。疲れているときの私の文章はふたつ特長があります。まず、ひとつの文章が長くなります。そして、長い文章は句点でブツ切りにされています。
●東京・秋葉原のネットカフェは、普段とは違う緊張感と、熱気に包まれ、ふだんのこの店が、過剰なほどの蛍光灯のせいで眩しいくらい明るいけれど、今日はそれとは違い、店の半分から奥は蛍光灯が切られ、付き当たりの壁には、大きなスクリーンが下げられている。
ああ、気分を悪くされたらごめんなさい。ひどいでしょう? 背中がムズムズします。吐きそうです。このような長い文は、焦点がぼやけてしまい、読者の心を打ちません。だらだらと長い文はダメです。
では、長い文がダメなら短い文がベストか? というと、そうでもありません。短い文が連続すると、読者にとって印象がコマ切れになります。長い文と短い文をバランスよく組み合わせて、文章のリズムを整えましょう。このときに留意してほしいポイントは、文章の長短と印象の強さの相関関係です。長い文章は印象が弱く、短い文章は印象が強くなります。短い文章は強い。これを会得すれば、読者の印象訴える文章になります。
●緊張感。そして熱気。ここは東京・秋葉原のネットカフェだ。ふだんのこの店は、過剰なほどの蛍光灯のせいで眩しいくらい明るい。しかし、今日は違う。店の半分から奥は暗く、その付き当たりの壁に大きなスクリーンが下げられた。
“緊張感。”これでひとつの文です。主語も述語もありません。たった3文字。この単語だけをひとつの文にすれば、ピンと張りつめた空気を表現できます。“店はピンと張りつめた雰囲気だった”とか“店は緊張感に包まれた”では、ちっとも緊張感が伝わりません。しかし、なんでも3文字にすれば伝わるか、というと、それも違います。
“倦怠感。”では、けだるさが伝わりません。“泥水につかったような倦怠感に包まれた”、とまで書くと、うんざりしたくなる様子が伝わります。単語の意味に合わせて文章の強弱をつけましょう。そのキーワードが“短い文は強い”です。“どうか心の片隅にとどめてください。”いや、この場合は……
解れ。
……ですね(笑)。
→ 第19回:“表記ルール”を作ろう