第11回: 面白い舞台、ダンス、そして歌舞伎 in NY
更新日2004/07/22
この夏のNYは結構涼しいにも関わらず、なんだかゲッソリなカッパであったが、“どうもこれには訳があったらしい!?”と気付いたのは、先日久しぶりに面白い舞台を見て楽しい思いをした時であった。
待ってましたー! の『リンカーン・センター・フェスティバル』開幕なり。2年前、売り切れで見逃してしまったグルジアの演出家レゾ・ガブリアゼの新作舞台「禁じられたクリスマス」。レゾは人形劇をやっていただけあって、演劇というよりは人間の役者を使って、まるで人形劇を見せてくれるよう。特に前半はほとんどセリフもなく、質素だけどかわいい工夫の溢れた装置や、一人何役もこなす器用でチャーミングな役者さんたちが、身体全体を使ってストーリーを語ってくれる。
地味な作品ではあるけど、スターが主演していました。ミハイル・バリシニコフ。彼はバレエ界の世界的なスーパー・スター。最近ではクラッシックではなく、コンテンポラリーなダンスを踊ることが多い。今年は人気の「セックス・アンド・シティー」最終シリーズでサラ・ジェシカ・パーカーの相手役で出たりもしてたね。
彼が演じるシトは、失恋のショックのあまり自分が自動車だと思い込んでしまうの。胸のあたりにグルグルまわす小さいハンドルをつけて、それを回しながらエンジンをふかして、「ブルンブルンブルルーーン!」って街に歩いて(シトはこれをドライブと言っている)行くのだ。一方には、シトのお母さんが心配して呼ぶ街のお医者さんがいて、クリスマス・イブだというのに、次から次へと電話で呼び出されて疲れ切っている、帰る家は誰もいないさみしい生活。
「女の子が大変なんだ!」とシトが無理矢理お医者さんを連れて行く吹雪のなか、お医者さんの過去にまつわる悲しい夢が現れたり、「お前は車なんかじゃない!」とお医者さんから怒鳴られた言葉で、シトは一度はバラバラに壊れた自動車のようになって自己喪失してしまう。たどり着いた先には、夢のような生活も手にしていたシト君だったけど、すっかり「自動車でない僕は僕でない」のだ。
と、不思議なおっさんが現れシトに、「おい、へんな所に駐車すんじゃないよ! 俺の車が台無しじゃんか!!」とボコボコのバンパーを抱えて通り過ぎる。おっさん天使。まるで映画、「ベルリン・天使の歌」ね。
レゾが子どもの頃、グルジアではクリスマスのような宗教的な行事は禁じられていたため、密かに祝ったそうです。寒い、ひもじい、淋しい冬が、簡素なセットに滲み出ている。それだけなく、芋、ナイフ、電話、壁といった日常のものが、「そこにある」というだけでなく、ちゃんとその空間で生活していて息をしている。一緒にお医者さんの孤独や疲れを日々感じて、各々に染み込ませてしまっているように。
“ああ、やはりこのような表現を舞台に作り出せるのは素晴らしい! 観れたのは幸運だー”とつくづく思ったのであった。
中国出身でNYを拠点に活躍しているコンテンポラリー・ダンスのシェン・ウェイの作品もとても面白かった。絵画やデザインなどもやる振付家だけあって、空間と体の動きで絵を描くような、シンプルで抽象的な舞台なのに全然飽きない。白い舞台にグレーと黒の衣装で、途中、真っ白い床に寝そべったまま手をぐるぐる回して踊り、その手の跡には黒い線が描かれ、また後には赤が入り、最後のカーテンコールでは、各ダンサーが青や緑も使って円を描いて白い床は大分カラフルになって終わったね。動きの作り方が無理なく、幾何学っぽいけど、滑らかで、特に何人かのダンサーの動きはキレもあってずっと観ていたかった。
「平成中村座」も大盛況。連日売り切れざんす。勘九郎さんの女形、すごい(顔が大きい)。七之助さんの女形、すごい(きれい)。小屋の雰囲気、舞台の家のセット、お笑いドタバタな部分などが大衆演芸って感じで、ドリフすら思い出していまいした。いやーそれにしても、歌舞伎役者の動きは違いますな。世襲の理由が出で立ちに出ていました。血ということではなくて、小さい頃からそういう世界に出入りしていることで少しづつ深く身についているんだろうなあ。手、肩、腰、歩み、どれか一つでも十分に表現されてしまう。体の記憶ってすごいわ。
そうそうプリンスさまも連日コンサートやってまして、「一応見ておくか…」と出かけましたところ、プリンスもまだまだイケますよー。胸毛見せて充分スターでちたよー。やっぱりアンコールは『パープル・レイン』でった。
第12回:夏の終わりのある午後に-セントラル・パークでジャネットとお散歩-