第3回:ヴィッキー 2 “カフェの常連とツケ”
ヴィッキーがこっちに来いと盛んに手振りで誘うのを、私はコーヒーのマグカップを乾杯でもするように持ち上げ、行くとも行かぬとも取れる、しかし、お前たちをシカと観たぞと挨拶した。こんな時、相手が素っ裸であっても、目を逸らしてはならない。近くで対面するときにも相手の顔を見つめることだ…という教訓を私はすでに学んでいた。
スペイン人やイタリア人、フランス人の男性は臆面もなく爪先から頭の天辺まで舐めまわし、視姦すような視線を走らせるが、私はとてもそんな境地には至っていなかったし、100年経ってもそんなあからさまな視線を送ることはできないだろう。と言っても、私が裸の女性たちを目の当たりにしていつも平静でいられたわけではない。まだ20代の後半だった私は、いたずらに浮世を離れた仙人であろうとしていのだ。今思えばよくよく爺むさいことをしていたものだと思うのだが…。
スペイン人のウエイターたちやイビサに出稼ぎに来ているスペイン本土の連中が、毎週のように違う女性をまるで生まれてからのイイナズケのように可愛がり、セックスに励み、次の週にはまた別の女性と同じことをしているのを、心底では羨ましく思っていたのだが…。彼らによれば、雌鶏は毎週次々とチャーターフライトで供給されるから、それを味わわない法はない、ということになるのだ。
小さいながら自分のカフェテリアを持ち、連接したアパートに住むという私の環境は、彼らから見れば、女性を次々とモノにできる理想的な条件が整っているのに、そんなこともしない、できない私に、「お前はアホか、インポか、オカマか、お前のアパートは修道院だな」と、私に面と向かって言うのだった。
我がテラスの下のニンフたちは、そんなゲスなことに全く頓着がなく、裸の身体も化粧を落とした素顔と同じことだくらいにしか思っていないようだった。
ロスモリーノスの岩場だらけの海岸にもヌーディストがちらほら
私が街に買出しに出かけようとしていたところ、庭の玉砂利を踏む音がしてヴィッキーだけが、他の二人の女性はシャワーを浴びにでも帰ったのだろうか、一人だけで入ってきた。低い塀を回してあるし、観音開きの低いゲイトは閉めてあり、閉店中のサインを出してあったのだが、外からゲイト越しに手を回せばロックとさえ呼べないフックを外すことができるのだ。私がコーヒーのマグカップを持ち上げ、崖下の三美神に挨拶したのを、ヴィッキーはコーヒーを飲みに来いと、私が誘ったものと受け取ったのだ。
ヴィッキーは自分がこの『カサ・デ・バンブー』(竹の家)の常連であり、私とも懇意にしていると自認していたので、大抵のことは何をしても許されると思い込んでいたのだ。このような店で働いたことがなく、突然イビサに住み着くために始めた自分のカフェテリアの経験しかなかった私は、たとえ常連の客であっても、店と客の間に距離を置き、一線を敷くことの大切さを知らなかったのだ。これはかなり高い授業料を払って毎年のように学ばされた教訓だった。
ヴィッキーはシーズン初めのまだ小麦色に焼ける前の素肌を晒してカウンターに陣取った。腰に申し訳程度に巻いたタオルは下半身を隠すためではなく、3脚ばかり並べた高いスツールに張ってあるラフなワラ紐が尻に当たり、多少痛いのと尻にワラ紐のマークが付くのを防ぐためだ。
ヴィッキーはどこもかしこも丸で構成されていると書いたが、目だけは小さな半月型で、よほどの近眼なのだろう、目を細めてモノを見据える癖があり、それが三白眼になった。笑うと目がなくなるほど細くなり、一本の線になり、しかもよく笑った。彼女の顔を正面から見つめるとき、人は誰しも能面に対したような気持ちになるだろう。笑っていても細くなり隠れた目の奥が笑っていないからだ。
何かが足りないと分かったのは、ヴィッキーが店に来るようになってから2、3週間も経ってからだった。眉毛がほとんどないのだ。本来相当毛深いタイプと見受けたが、眉が剃り落としたようにきれいさっぱりないのだ。かなり後になってから、ヴィッキー自身の口から、彼女がカタルーニア州立(国立か)劇場でアンティゴネー(*1)の主役を演じたときに剃り落としたと聞いた。
また唇が異常に薄く、上唇などは全く持ち合わせていないかのようなのだ。それでも口を閉じている間はまだいいのだが、一旦口を開き声を出したら、アンティゴネーも何もあったものではなく、タバコとアルコール焼けしたガラガラの低い声が飛び出してくるのだ。髪は白っぽい金髪に染めていたが、頭皮近くの地毛が2、3センチ麻色なのが見て取れた。
セマナ・サンタ(復活祭*2)が終わったばかりの頃だから、まだ海水は冷たく、日向にいればどうにか裸で日光浴ができる気温にはなっていたが、カフェのカウンターは夏の暑い直射日光を避けるため、庇が大きく張り出し、心地よい日陰をかもしだす造りになっており、この季節では肌寒い場所だった。思い切り膨らませた風船のようなヴィッキーの肌も寒さで粟立っていた。
私がエクスプレッソマシンで濃いコーヒーを落としカップに注ぐと、ヴィッキーは、「ここはチョット寒いから、コニャックを垂らしてよ」と催促した。コーヒーにコニャックを少量注いだものをカラヒージョ(carajillo)と呼び、スペインでは食後のコーヒーはカラヒージョと決めている人が多い。だが、朝はカフェ・コン・レチェ(café con leche)、すなわちミルクコーヒーをとるのが普通で、朝っぱらからカラヒージョをキコシメスのは余程の酒好きのオヤジだけだ。
彼女がアル中気味だとは知っていたが、若さにまかせた夏場のパーティー騒ぎに付きもののマリファナとワイン程度の中毒で、冬場になれば自然ドンチャン騒ぎのパーティーもなくなり酒気も抜ける、季節的なアル中だと思っていた。
ヴィッキーはカラヒージョをもう一杯お替りし、このまま居座られるのを危惧していた私を尻目に早々と引き上げてくれたのだった。ツケで飲み食いするのは当然と言わんばかりに、「後で払いにくるからね、ツケといて」と捨てセリフを残して50メートルばかり階段を登ったところに彼女たちが借りているアパートに帰って行ったのだ。
店開きをした当初、私のカフェには隣組のように、近くにアパートを持っているドイツ人、イギリス人、北欧人、それにアパートこそ持ってはいないが、毎年判で押したように同じユニットを借り、ヴァカンスを過ごすスペイン本土の人たちだけが客だった。大雑把に言って、50パーセントがドイツ人、北欧人、20~30パーセントがイギリス人、残りがスペイン人だったろうか。彼らはイビサ島の云わば常連で、もう何十年もヴァカンスはイビサと決めてかかっているの人たちだった。
ヴィッキーのようにイビサで働いている(彼女は靴屋の店員をしていた)女性は珍しい客だった。ドイツ人たちの外国人がアパートから降りてきて、日光浴をし、ヒト泳ぎした後で、私のカフェに立ち寄るのだが、老若男女タオル以外何も持たないイデタチなので、当然現金を身につけておらず、彼らにはツケで利用してもらっていた。彼らは週に一度は「あまり溜めると悪いから」などと言いながらきちんと支払いに来てくれた。
ツケは彼らにとってとても便利なやり方で、第一現金を持ち歩かなくてもよいうえ、その上毎回置いていくチップも節約できるのだ。夏場の忙しい時期に来てもらっていたウェイトレスや洗い場にとってチップは馬鹿にできない収入なのだが、それが激減することになる。きちんと毎週ツケを支払ってくれる常連は有難い存在だったが、ツケは両刃の刃物であることを知らされることになる。
-…つづく
*1:ギリシャ神話、テーベ王オイディプスの娘。盲目の父王を世話しつつ諸国を放浪し、父の死後、叔父クレオン王の命に背いて反逆者として戦死した兄ポリュネイケスの死体が晒しものになり、国法よりも神々の掟を守り、兄弟への愛から王命に背き埋葬したため、洞窟に閉じ込められて自殺した。ソフォクレス作の同名の悲劇。日本ではアンチゴーネとも呼ばれる。
*2:セマナ・サンタ(聖週間=イースター):春分の日の後の最初の満月の次の日曜日と決められており、その前後の期間。具体的には3月21日から4月24日の間の1週間で設定される。
第4回:ヴィッキー 3 “悪い友達グループ”
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