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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第729回:クマに会ったらどうするか?

更新日2021/10/21


カナダ国境に近いアメリカ北西部をキャンプ旅行してきました。私たちのキャンピングスタイルというのでしょうか、やり方は凡そ夕方4時から5時頃、暗くなり始める1時間前になってから、今晩どこにテントを張ろうか、と場所探しを始めます。ですから、大筋のルートの計画はありますが、どこをどう動くか、ハイキングするか、どこに泊まるかなど、全く行き当たりばったりです。

今回20日間でキャンプ場に泊まったのは3日だけで、後はカウンティー林道、山道に入り、テントを張るのに十分な広さがあるところを見つけ、そこで一晩を過ごしました。

ハイキングも国立公園以外、地図にも載っていないような踏み付け道に入り込みます。ですから、途中で道が消えたり、迷ったりは毎回のことで、鹿道に踏み入ることも茶飯です。自然、動物の足跡やウンコには敏感になります。これは鹿だ、エルクだと言っているうちはよいのですが、大きいモノで、馬でも牛のモノでもなさそうな糞を見つけると、熊ではないかと不安がよぎります。

とりわけ、カナダと国境を接しているモンタナ州、アイダホ州、ワシントン州の北部には大型で凶暴なグリズリー(灰色熊)がいますから、要注意なのです。国有林の管理事務所に立ち寄ったり、国有林内のキャンプ場の管理人に訊くと、必ず熊撃退用のスプレーを持ち歩くことを勧められます。冬眠前の熊は盛んに食いだめをするので、要注意だと厳しく忠告され、また、森の入り口に黄色い“熊、出没、注意!”の標識が立っていました。

崖っぷちの道路に立てられている“落石注意!”と同じように、石や岩が落ちてくるから、スピードを上げて落ちてくるかもしれない石に当たるチャンスを少なくせよという意味なのか、上の方を見ながらゆっくりと行けと言っているのか、道路に石ころが転がっている可能性があるから注意しろと言っているのか定かではありません。

“熊に注意!”看板も何をどうすれば良いのかさっぱり分かりません。注意していたところで、熊に出会うことはあるし、こちらが気が付かないだけで、熊さんの方は私たちをシカと視野に納め、虎視眈々と襲い掛かるチャンスを狙っているのかもしれません。

アウトドアの雑誌も、毎年、この時期になると熊対策の特集記事を載せます。もっとも、都会的な雑誌とされている『ニューヨーカー』まで、ジェン・スパイラ(Jen Spyra)が熊に会ったらどうするかを書いているほどです。ニューヨーク市に熊は出ない…と思うのですが…。

コロラド界隈にいる黒熊と、アメリカの北の州やカナダに住むグリズリーとは、大きさだけでなく性格も随分違っていて、突然ご対面に及んだり、子連れのメスでもない限り、黒熊は滅多に人を襲わないと言われています。数年前、私がシンブルベリー(ラスベリーの類で北米太平洋沿岸地方に生る野生の木イチゴ)を採るのに夢中になって、同じ食堂で餌を漁っていた黒熊と鉢合わせをしたことがあります。

後ろからダンナさんが盛んに私の名前を呼んでいることには気が付いていましたが、なにせ大好きな木イチゴが目の前にあるのです。途中でイチゴ狩りを止められるもんですか。幸い、私より美味しいであろう木イチゴがたくさんあったので、熊さんは私を無視して野イチゴ狩りに専念し、事なきを得たのです。

これがグリズリー相手では全く違った結果になったことでしょう。

北海道に棲む羆(ひぐま)も獰猛な性格だそうで、札幌市郊外の丘珠住宅地に現れ、ゴミを捨てに家を出た男性を後ろから突然襲った映像がインターネットに流れました。こんな風に後ろから突然襲われたら、全く打つ手なしでしょうね。

世の東西を問わず、昔から熊に出会ったらどうするかは山歩きをする人たちにとって重大な問題でした。なにせ命が懸かっているのですから。この問いに対する決定的な答えは、熊撃退用のスプレーが開発された今になっても、まだ見つかっていません。

熊撃退用のスプレーは普通のスプレーペイントの倍以上の大きさがあり、重さも倍以上あります。そんなモノをいつでも取り出せるように利き腕側の腰にぶら下げてハイキング、山登りなどできるものではありません。熊に出会ってから早撃ちガンマンのようにサッとベルトからスプレー缶をはずし、熊の顔に狙いを定めてシューと一吹きするには、余程の訓練と冷静さが要求されることでしょう。とりわけグリズリー相手では向こうさんが突進してくることが多いそうですから、とてもチット待ってくれ、今からスプレーを腰からはずすから…と言ったところで手遅れです。その上、この化学薬品を満載したスプレーを吹き掛けたにもかかわらず、一層凶暴になったグリズリーにメチャクチャやられた例も報告されています。

木に登るというのも、熊の生態を知らない人の言うことで、黒熊なら垂直に聳え立つどんな木にでもスイスイ登るし、グリズリーでも体重が300キロ近く成長した大熊ならともかく、若いグリズリーは木登りも得意です。第一、私たち人間様にとって登り易い木がいつも周りにあるとは限りません。

死んだ振りをして、助かった話はたくさんあります。しかし、これも黒熊かヒグマ相手には可能性がなくはない程度の最後の手段で、グリズリーには全く通用しないそうです。雑食の最たるグリズリーにとって、死んだ振りをした人間は、ただ即口に入る生肉ステーキに見えるそうです。

走って逃げるのは問題外で、熊の棲む藪を熊以上のスピードで走れるように二本足の人間はできていないのです。

アイヌが山歩きをする時、額に回したベルト、紐で大きな籠を背負います。これは熊と出会った時に額に掛けた紐をひょいと外し、熊がその籠の中を探っている間に鉄砲の準備をするとか、逃げるためです。これはさすが森に棲む人間、いつも自然と向かい合って生きている民族の知恵です。モノを捨て、命を拾うということでしょうか。

冷静を保ち、急な動きをせず、自分を大きく見せるのが良い…とも言われています。でも、熊と鉢合わせをして冷静でいられる人は禅の修業を積み、5回くらいはサトリの境地に達した人だけでしょうね。


いつも驚かされるのですが、ウチのダンナさん、岩波新書の『クマに会ったらどうするか』という玉手英夫という動物学者の本を引っ張り出してきたのです。玉手先生がカナダのバンフで会った国立公園のレンジャーの話として、立ち止まったまま熊に話しかけるのが有効だと紹介しています。その時、大声を挙げて叫ぶのではなく、落ち着いて静かに話すのだそうです。それで、そのレンジャーは失敗したことがないと語っていたそうです。もちろん、失敗したらそのレンジャーは生きていないでしょうけど…。

そう言えば、西部開拓時代のパイオニア、ダニエル・ブーンも冗談を連発してグリズリーが笑い出し、笑い倒したという伝説があります。どんなジョークで熊を笑わせたのでしょうか。ジョークの内容は伝わっていません。

長く北海道大学の教授職を務めた犬飼哲夫さんは、アイヌが熊と鉢合わせした時、呪文を唱え、ヒグマを追い返すと言っています。

私たちの地所にやってくる野性の動物、鹿、狐、七面鳥、コヨーテ、近所の犬など、誰かれなくウチのダンナさん話しかけています。もちろん日本語です。まだ熊相手に話しかけるチャンスはないようですが…。

疑問の設定の仕方が間違っている、と思います。熊ととりわけグリズリーと出会ったら、もうなるようにしかなりません。どうやってもこうやっても、所詮はすべてグリズリーの気分次第で、何をやっても食べられる時には食べられてしまうでしょう。

問題は、どうやって熊に出会わないようにするかなのです。どうやってお互いにギョッとするような鉢合わせを避けるか、早くからこちらの存在を熊さんたちに知らせるかなのです。札幌郊外の山に登った時、ベテラン風のオジサンが、バックパックに小さな鐘、ベルを付けているのを見かけました。ウチのダンナさんも高校時代、山岳部に所属していて、山歩きをした時に熊よけ、熊にこちらの存在を知らせるベルは必需品だった、と今になって回想しています。でも、あのチーン、チーンという鐘の音、なんだか仏壇を思い起こさせ、縁起がよくない感じがします。


アメリカ北西部のキャンプ旅行は、グリズリーの恐怖というより、シバレル寒さに負けて、帰りはカリフォルニア、ネバダ、ユタの南周りのルートを取りました。

暗くなってから砂漠の外れにテントを張り、翌朝、周囲の地面を見ると、直径5センチばかりの穴がそこらここらにたくさんあるのを見つけました。それらは猛毒のガラガラ蛇のお住まいなのです。

ガラガラ蛇に出会ったらどうするか…咬まれたらどうするか…、これも大問題です。
ガラガラ蛇に咬まれて死ぬ人の方が、熊に食べられてしまう人よりズーッと多いと言われています。


-…つづく 

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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