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■西部開拓時代の伝承物語~黄金伝説を追いかけて

 

第8回:ダニエル・ブルーの冒険 その1

更新日2024/06/13

 

どうにもアメリカ西部の黄金伝説、埋れた財宝は、スペインの沈んだ黄金船のスケールに比べ、話が小さい。船なら掻き集めた黄金を何トンと運べるのだが、幌馬車隊ではそうはいかない。それにスペインの野心的冒険コンキスタドールが中南米を侵略した時に、中南米には王権が確立しており、王者が金銀を独占するかのように大量に持っていた。コンキスタドールはその黄金を略奪すればそれで済んだ。

それに比べ、アメリカ・インディアンたちは基本的にノーマッド的狩猟民族が多く、農耕を中心にした中央集権型の国家は少なかった。いずれにせよ、アメリカ・インディアンは全般的に金銀を尊ばなかった。金銀を酋長の象徴として持つことがなかった。
 
チャップリンがいみじくも描いた映画『黄金狂時代』は、ヨーロッパからの移民が狂気のように黄金を求めたことに始まった。その時代の金に対する狂的な熱狂は、今となっては呆れるくらいのもので、実感として捉えることは難しい。今私が住んでいるロッキーの山歩きをしていつも驚かされるのは、金山、金鉱探しの痕跡、実際に掘り起こした金鉱山の跡だ。こんな山の奥のまた奥まで、一体どうやって削岩機械を運び込み、また採取した金鉱を山から降ろしたのか、きっと想像を絶する執着を金に持っていたのだろう。

the gold rush
チャールズ・チャップリン(1889–1977)の映画『黄金狂時代』
金に取り憑かれた人ザマをコミカルに描いている。
その中でも、飢餓状態に陥った大男が、チャップリン演じる主人公を大きな鳥と
取り違え、殺して食べようとするさまがブラックユーモアのように描かれている。
この場面は、ロールパンにフォークを刺し、足に見立ててダンスを披露する名場面。

まさに一攫千金を夢見て、コロラドへ、カリフォルニアへ、そしてアラスカへ邁進した。ジェシー・ジェイムスの父親ロバートは、ミズーリー州でそれなりに尊敬されていたバプテスト派の牧師、説教師だった。ウイリアム・ジュールという学校(今では小さいながら優れた大学に成長した)を設立している。それがある日突然といったテイでカリフォルニアの黄金に取り憑かれ、すべてを、妻、子供たち、聖職を捨て、金鉱探しに駆けつけている。彼の末路は誰も知らない。

正確な統計ではないが、カリフォルニアの黄金狂時代1848年だけで17万5,000人もが東部、中部から西に向ったと見られている。ジェシー・ジェイムスの父親もその群衆にまみれ、どこかで命を落としたのだろう。彼の墓は見つかっていない。流れ者賎民として投げ捨てられるように共同墓地にまとめて葬られたのだろう。教会で説教をする立場の人間が、本来清貧であるべき人間が黄金熱に取り憑かれたのだ。他は推してしるべし、とでも言うべきか…。

健康で野心のある若者なら西部を目指すのが当たり前の時代だった。西部は若者たちの夢をかなえるものがあった。ヨーロッパの固定した階級社会を逃れてアメリカへ渡って来たはずなのに。アメリカ東部は新しい階級社会を築き、下層階級の人々はそのまま社会の底辺で生きるしかなかった。そこへいくと、西部は違う、西部に行きさえすれば、自分の能力次第でいくらでも上昇気流に乗れる、おまけに金鉱を見つけたら、それこそ一躍億万長者になれるのだ。そんな機運に載せられた若者が何千人、何万人といたのだ。


ダニエル・ブルーはイリノイ州の北西ホワイトサイド郡で生まれ育った。高明なダニエル・ブーンとは関係ない。ダニエルが育った時にカルフォルニアのゴールドラッシュの話をさんざん聞かされたことだろう。もちろん、成功談ばかりだったろう。誰それが金鉱を掘り当て、億万長者になり帰ってきたといったタグイの話だ。ダニエルが大人になった時、コロラド、ロッキーに金鉱が発見された。ロッキーの東側だから、ロッキー越えをしなくて済む、しかも、彼らの住むイリノイ州の北東部からはほとんど平原を横切るだけのイージートリップだ。

彼は兄のアレキサンダーと弟のチャールス、それに従兄弟ジョン・キャンベル、そして地元の友達トマス・スティーブンソンを誘い込み、1859年の2月22日にシカゴから汽車でセントルイスに向かった。セントルイスからはミズーリー川を遡る船便でカンサスシティーに着き、そこから徒歩でローレンス(現在、カンサス州の大学町)を経由して西へ、西へと向かったのだ。 
 
馬もミュールも、もちろん大八車のような手押し車さえ持っていなかったから、今流に言えば重装備の長距離ハイキングのようなものだったろう。彼らが幾らぐらいのお金を持っていたか、金鉱探しに必要なツルハシ、シャベル、大きな皿などを持ち歩いていたかも分からない。

平地であっても連日歩ける距離は20マイル程度(32Km)と思われる。現在カンサス州の首都であるトペカの町で小麦粉200ポンド(約90キロ)を購入している。5人で均等に運ぶとしても一人あたり18キロになる。彼らのバックパックは野宿用の毛布、簡単な鍋、食器、グランドシート、ライフル、銃弾などで25キロを超えていたことだろう。超人でもない限り、我々が背負い込める重量は、30日以上の長旅では20キロ内外だとされている。バックパックが重くなれば自然1日の行程は短くなる。

彼らはカンサス川沿いに進み、マンハッタンの町の東数マイルまで来た時、恒例の春の雪嵐に遭遇してしまった。 
 
運が良かったのは、ジェイムス・レヴェエラという老インディアンの家に避難できたことだった。そこで彼らと同じように季節外れの猛吹雪を逃れてきたジョン・ギッブスを隊長とする9名に出会った。ジョン・ギッブスもコロラドの金鉱目当てに隊員を募り、西に向かっているところだった。しかも彼は、この西への道なき道を以前に辿った経験の持ち主だった。

ダニエル一行は経験のあるジョン・ギッブスの一行に加わることにした。隊列は14名に膨れ上がった。マンハッタンの町に近づいた時、さらに2人、オハイオから来たジョン・クーランスとジョージ・ソレイが加わった。総勢16名になった。一頭のミュール、馬も持たず、動く肉、食料となる牛や羊も連れていなかった。
 
1850年代にカンサスの大平原を横切るルートは遥か南にあるサンタフェ・トレイル、北にはリパブリカン・ルートとスモーキーヒル・ルートがあった。それにしても、詳しい地図もなく、主に口伝えで知られた程度の踏み付け道だった。しかも途中、その道はトルネードや砂嵐のため何箇所も途切れ、動物の踏み付け道と交差し、明確なトレイルではなかった。

現在、大きな軍の基地になっているフォート・ライリーは、当時、ポストと呼ばれる中継点だった。そこで彼らはリパブリカン・ルートを取るか、スモーキーヒル・ルートを行くかで議論している。

隊長格のジョン・ギッブスは、スモーキーヒル・ルートを以前通ったことがあるし、ツブサに記憶しているから、コロラドの金鉱の地点まで確信を持って行ける、辿り着けると主張した。一方、ダニエルらはリパブリカン・ルートを取ることにしたのだった。リパブリカン・ルートはコロラドの金鉱ブームの前から、西に渡る移民団に使われ、知られていた一般的なルートだった。
 
どちらを選ぶかは本人の意思次第だった。もとより強い統率者に率いられた集団ではないのだ。リパブリカン・ルートを取ったのは、ダニエルと末の弟チャーリーだけだった。他はジョン・ギッブスと一緒にスモーキーヒル・ルートを行くことにしたのだった。

-…つづく
 


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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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