■フロンティア時代のアンチヒーローたち ~西部アウトロー列伝



佐野 草介
(さの そうすけ)



海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

■貿易風の吹く島から
~カリブ海のヨットマンからの電子メール
[全157回]


第1回:いかにして西部劇狂になったか

 

■更新予定日:毎週木曜日

 

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第2回:ラストシーンで主人公が2人とも死ぬ西部劇

更新日2006/10/12


『明日に向かって撃て』(原題:Butch Cassidy and Sundance Kid)は全く新しい感覚でアウトローをとらえた傑作だ。それまで西部劇を撮ったことがない、どちらかといえば東部の学者タイプのジョージ・ロイ・ヒルがメガホンを握り、ポール・ニューマンとメジャーフィルムに初登場のロバート・レッドフォードの2人がブッチとキッズを演じ批評家たちのさんざんな悪評を裏切って大ヒットした映画だ。まだ見ていない人は是非レンタルビデオ店へ直行してください。 すでに観た人も、今一度ご覧あれ! 何度観てもアキない映画はめったにないものだが、コレはその一つです。とても1969年の映画とは思えませんよ。

この映画を作るいきさつをポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、脚本を書いたビル・ゴールドマン、作曲家のバート・バカッラックが語っている。ポール・ニューマンによると、この映画化を持ちかけてきたのはスティーブ・マックウィンで映画化の権利を2人で買い取り、2人で主演しようと話が進み、ポール・ニューマンがサンダンス・キッズを演じることになっていたところ、スティーブ・マックウィンが降板し、舞台やマイナーフィルムでは活躍していたが、メジャーではあまり名の通っていないロバート・レッドフォードにサンダンス・キッズ役が回って来たのだった。サンダンス・キッズ役は彼を一躍スターダムにのしあげ、それをバネにレッドフォードはハリウッドのメジャーとは別の独立映画を主体にした映画祭をサンダンス・フィルム・フェスティバルと称しユタ州、ソルトレイクシティの郊外で催し、独立映画祭の先鞭をつけた。だがサンダンス・キッズのゆかりの地、ワイオミング州北東部の田舎町「サンダンス」とは無関係である。

映画『明日に向かって撃て』の最後にブッチ・キャサディとサンダンス・キッズの実際の写真が出てくる。その写真を観て、私は初めてこの映画に実在のモデルがいたことを知った。が、それ以上に彼らが盛んに銀行強盗、列車強盗を繰り返し、また逃走に使ったトレイルや越冬をした隠れ牧場が現在私が住んでいるところ(Grand Junction;コロラド州、グランド・ジャンクション)の周囲に点在しているのを知り、軽いショックを伴うほど驚いた。

考えてみればブッチの率いるワイルド・バンチが活躍したのは100年そこそこ前のことだし、この取り残されたような西部の田舎には、その頃からの建物は石やレンガ造りはもちろんのこと、木造でもゴマンと残っているのだ。

私が住んでいる農家も建て増しを繰り返し、大元の最古の部分はいつ建てられたか分からないほどだ。カウンティーに登記した一番新しい部屋でさえ80年前だ。もとより貧しい農夫が継ぎ足し増築を重ね奇妙な間取りのボロ家というだけで、歴史的な建物ではない。この町にさえ100年以上のこんな家はゴマンとあり、珍しいものではないのだ。

ヒマに任せ、足跡をたどり、当時の新聞や写真を集め、図書館での文献(なんか偉そうに聞こえるけど)を漁り、玉石混合、コモゴモの西部劇小説を読み散らす“ブッチ”探索の旅を始めたのだった。たとえ私がいくらヒマ人でも対象になる人物に惹かれるものがなければ、すぐにも飽きてしまったと思う。

西部劇の主人公でバッファロー・ビルのように西部大サーカスを組織して東部の都会を巡業するような晩年を送った人物(墓参りはしたが)、また、都会のジャーナリズムが実際の人物像からかけ離れたイメージをフレームアップしただけの人物にもアキがくる。加えて言えば西部劇のヒーローの多くは東部のジャーナリズムが作り上げたものだが。

ブッチはとても魅力的な青年だった。アウトローの生活を送りながらも、明るく、ユーモアのセンスにあふれ、彼に出会った人は誰しも彼に魅了された。好きにならずにはいられない好青年だった、と彼に関わった誰もが言い、彼を嫌い悪口を書き残している文献は見当たらない。そんな田舎の好青年がなぜアウトローに走ったのか、納得させる答えはない。

ブッチ・キャサディは、1866年4月13日にユタ州のビーバー(Beaver)という村に生まれた。現在、ソルトレイクシティーとラスベガス、そしてロスを結ぶ主要ハイウェイ、I-15号線の沿線にビバーはある。よほどの物好きか、インターチェンジにあるガソリンスタンドに給油に立ち寄るドライバー以外わざわざ村に下りる人はいない。今だにひなびた人口2,454人(2005年の国勢調査)の田舎の村だ。

この町の自慢は"アメリカで一番おいしい水"(一体どうやって誰が決めたのかは不明だが、この町の自慢になっている)、テレビのブラウン管映像技術を開発したPhilo T. Farnsworthとブッチが生まれたことだけだ。現在、多少なりとも村の経済に寄与しているのはアウトローのブッチの方で、アメリカ独立記念日にはブッチ祭りが催され、ブッチの名を冠したモーテルやインは満員になる。


全米にチエーンを持つベストウエスタンモーテルも
ここビーバーの町では“Butch Cassidy Inn”と
名づけられている。

ビーバーはユタ州の多くの開拓部落がそうであるようにモルモン教徒によって開かれた。1856年にGeorge A. Smithが入植し町を作った。ソルトレイクシティにあるモルモン教の本山では、ビーバーに羊毛産業を起こそうと、ブッチの祖父(彼の名もブッチと同じRobertと言う)が毛織物の技術を持っているところから、ビーバーに送り込まれたのだった。

村にはブッチの足跡は何も残っていない。村の中心部、郵便局の南隣に小さな手入れの行き届いた公園があり、奥まったところにいかにも時代物の丸太小屋が残っている。町のインフォメーションセンターで、ボランティアの枯れたおばあさんがヒマそうに座っている。ブッチのことを尋ねるとそっけなくここには何も残っていないというだけだったが、モルモンの入植者のこと、1930年に焼け落ちたモルモン教会のことを訊くと急に生き返ったように語り出した。そのまま居続けるとモルモン教に入信させられそうなので、早々にご辞退した。


アメリカのどこの田舎町に行っても出くわすのが
この手の“鐘”だ。
焼け落ちた教会の焼け残りで、火が通ってしまっているので
もう一度吊るし、打ち鳴らすこともできず、
公園の片隅に記念碑のようにおかれている。
この鐘は1930年に消失したモルモン教会のもの。


ブッチの祖父母の家のあったところをたどってみたが、この界隈に良く見られる柵で囲った農場があるだけだ。


ブッチのお祖父さんが入植しブッチが生まれたところ。
東にはハイデザート(高原の砂漠地帯)が広がっている。
痩せた乾ききった土地で灌漑用水が生命線になる。


ブッチ出生の地! 家も記念碑などもなにもない。
西方にTusher連山を望む。最高峰はDolero Peakで
標高12,169フィート(約3,600メートル)。
この山々からの水がビーバーの牧畜を支えている。

ブッチ・キャシディというのはもちろん本名ではない。当時はアウトローだけでなく誰もがあだ名を持ち、ニックネームで呼ばれていた。ブッチの本名はRobert LeRoy Parkerという。彼の知人の多くは彼をGeorgeもしくはButchと呼び、家族はRobert またはBobと呼んでいた。ここではブッチで通すことにする。

ブッチの両親はイギリスから1856年にアメリカに渡ってきたモルモン教徒だった。日本でも、小ぎれいな身なりをした外人男性ニ人連れが、丁寧だがまだあやふやな日本語を操り布教のための戸別訪問しているあの教団である。教祖のジョゼフ・スミスはアメリカで啓示を受け新しい教団を組織した。その一派をブリガム・ヤングが率いソルトレイクシティに移植し、ユタ州を作った。

西部の開拓にモルモン教徒が果たした役割は絶大なものがある。彼らは中西部の砂漠や瓦礫だらけでおよそ牧畜に適さない土地にさえ入植し、開墾し、辛酸なフロンティアのさらに最前線にいたのだった。

-つづく

 

 

第3回:Butch Cassidy(ブッチ・キャシディ)