■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第8回:ボランティアってこういうことだったのか!!

更新日2001/05/29 


──先週に引き続いてボランティアの話。

日本にいたころ、なんとなく、ボランティアワークというのは真剣みがかけても誰にも怒られないんじゃないか、とか中途半端でも仕方ないやとかちょっと思っていた。それが、アメリカに来ていろいろ見たり聞いたり、経験したりしているうちに、それはなんとも子供じみた発想だったことに気がついた。誰にも文句を言われない=自分の行動に対する責任感の欠如、中途半端でもいいや=自分の能力の不足、ということを、「ボランティアだから=無償なんだから」という理由で隠そうとしていただけだったのだ。

アメリカで「ボランティアだから」という理由で許されるのは、「個人にとって過度の重荷になるなことまではしなくてもよい」ということである。たとえば、マザーズクラブは完全に会員のボランティアワークによって運営されている。会費は1年で18ドル(およそ2000円くらい)。ハロウィーンやクリスマスパーティなどのイベントのための資金は、ファンド・レイジングと呼ばれる資金集め活動によって準備する。

たとえば、マザーズクラブのTシャツを作って、メンバーが買う。メンバーの得意料理のレシピを集めた本を作って売る、など。そういったファンド・レイジングのなかでも大がかりで楽しいものに、シティフェスティバル(町のお祭り)の模擬店がある。たいていは紙パックのジュースとポップコーンを売るのだが、そのジュースとポップコーンは地元のスーパーマーケットや大型量販店から寄付してもらう。

ある月のマザーズクラブの月例会は、その模擬店の準備・企画会議だった。ポップコーンを作る機械をどこから借りてくるか、材料のコーンとバター味のオイル、それから、詰めて売る紙パックをどう調達するか。ジュースはどこから寄付してもらうのか。屋台はどこから借りてきて、どうやって組み立てるのか。

毎年やっていることだからか、「機械はあそこに頼もう」「それを運ぶトラックは誰それに借りよう」とか、どんどん決まっていく。それより驚いたのは、メンバーが自主的に役割を作って分担していく手際のよさだった。

たとえば、「どこかにジュースを寄付してもらう」ことは、 「私は実際に取りに行ったりする時間はないけど、電話をかけて頼むのは得意だから電話かけてあげる」「私は頼むのは苦手だから、寄付してくれるっていうところまで取りに行ってもいいわ」 「そういえば、いまセイフウェイ(大手スーパー)で紙パックジュースのセールをやっているから、明日買い物ついでにそれを寄付してもらえないか聞いてみるわよ」 「コストコ(大型ディスカウントストア)に聞いてみてもいいかもね。明日行ってくるわ」 と、いった具合に3分くらいで段取りができてしまう。

みんなが、クラブの目的のために当然のこととして、先を争うようにボランティアで仕事をする。でも、自分のできるところはここまで、これ以上は無理という線を引くのもとてもはっきりと鮮やかなのだ。でもそうやって、誰か一人にすべてを任せるのではなく、各自ができることを少しずつでも担当して、それを10人でやればあっという間に済んでしまうことは結構多い。

そして、そうした相談が持ち込まれるスーパーにとって、こうした話に対応するということは地元への利益還元活動でもある。多くの場合、彼らはふたつ返事で寄付してくれるのだ。もちろん、マザーズクラブのメンバーはイコールそのスーパーの日頃からの顧客であるから、格好の宣伝にもなるという面も確かにある。

かくして、必要な材料はすべて寄付で集め、それを1時間ごとのシフトでクラブのメンバーが売り子になって模擬店で売るのだ。そしてもちろんそこには家族や近所の人、友だちをはじめ、通りすがりの人さえも地元のマザーズクラブがやっているのなら、と寄付がてら買ってくれたりする。「その25セントのお釣りはいらないよ。寄付するよ」と言ってくれる人もいる。こんなふうにして毎年多額の売り上げがあるのだ。こうした資金調達のおかげで、年会費は低く抑えられていながらも、マザーズクラブが年間に使える予算の額は、意外にも潤沢なのだ。

 

→ 第9回:暮らしに息づく「慈善」という行為