■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第5回 イン・ア・ピンチって何!?

更新日2001/05/08 


プレイグループのコーディネーターをしていたミッシーが2人目の子どもを産んだ。上の子供はまだ2才前。大変そうだ。

マザーズクラブの活動の一つに「イン・ア・ピンチ」というのがある。それは、病気や出産など様々な理由で食事の支度をするのが大変になったメンバーに夕食を作って届ける、というものだ。月に一度の月例集会の時に、その月に食事を作ってあげてもいいなと思えば、登録表に自分の名前と電話番号とを記入しておくと、必要なときに電話がかかってきて、誰それのところにいつ持っていってくれ、と言うことを頼まれるのだ。でも、基本的にはプレイグループの中でやりくりするものらしい。

そして、メンバーの一人であるトーリーから電話がかかってきた。「ミッシーのところに夕食を持っていってくれないかしら」という。「もちろん!」 私がそう答えると、トーリーは「本当にいいの?」と、念を押すように聞く。「もちろんよ。頼まれなくてもそのつもりだったもの」というと、ちょっとほっとしたように「じゃあ、木曜日によろしくお願いね」といって電話は切れた。そういえば、どのくらい続ければいいのか聞くのを忘れた。

イン・ア・ピンチの食事は凝ったものでなくていい。基本的にその日に自分のうちで食べるものを2倍作って半分あげる、という感じだ。ということで、ボリュームのあるものが簡単に作れるシチューを選んだ。

結局、毎週木曜日に、計4回一ヶ月間作って持っていくことになった。じつはこれは私の大きな誤解で、「イン・ア・ピンチ」としては、一度持っていけばそれで終わりのはずだったようだ。とはいえ、最初からミッシーにはとても親切にしてもらっていたし、別に重荷ではなかった。それに、赤ちゃんを産んでからの1ヶ月間くらいは、母親はみんなどんな手助けだってありがたく感じるものじゃない?

結果的には、この誤解によるプラス3回のイン・ア・ピンチが、私と他のプレイグループのメンバーとの間にあった「何となくお客様気分」を一掃してくれたのだった。マザーズクラブ、プレイグループとしての役割分担を、はっきりいえばメンバーとしての責任をまっとうするつもりがあるのだ、という意思表明の役割を果たすことになった。そして、他のメンバーがそれをしっかりと受け止めてくれたのだ。

それからしばらくたったある日、プレイグループの日に公園に行ったら、ミッシーが赤ちゃんを連れて遊びに来ていた。そして、夕食のお礼のあとにこう切り出した。「あのね。私はこのグループのコーディネーターを半年やったの。子供も産まれたばかりで、いろいろ大変だし、そろそろ交代するころだと思うのだけれど、あなたがやってくれない?」

本当にびっくりした。だって、私は言葉も不自由だし、ここに来たばかりだし。戸惑う私に向かって彼女はいった。「大丈夫。あなたならできるわ」。彼女のその断言の根拠がどこにあるのかはわからなかったし、別に根拠なんか全然なかったのかも知れない。でも、入って半年ほどの私にコーディネーターを任せたいと言ってくれるほど私はこのグループのメンバーとして認められたのだと思うと嬉しかった。

「うん。やってみる」

思うのだ。何かがやって来てくれるのをじっと待っていても、何も来るわけがないし、何も起こらない。少しだけがんばってみる。今の自分より少しだけ背伸びしてみる。そうすると、その向こうにはいつも新しい地平が広がっている。

 

→ 第6回:大人は頭を使うのだ。