第24回:酒場サルーンと女性たち その24
■歴史に残る駅馬車の御者、片目のチャーリー
駅馬車と言うと誰しもが即思い出すのは、ジョン・ウエインとジョン・フォードの名作だが、史実として西部史に名を残し、立志伝的に語り継がれた名御者は数々いる。
ジョン・フォードの映画ではインディアンの襲撃に遭い、あわやと言うところで奇兵隊が駆けつけるといういかにもハリウッド的な展開だったが、駅馬車は常に襲われる危険があった。
郵便書留だけでなく、乗客もそれなりに資産を持って辺境を訪れる者が多かったから、当然、お金や貴金属を持っていた。インディアンよりも、ならず者が強盗を働く方が圧倒的に多かった。
ここに登場するチャーリー・パークハーストは“片目のチャーリー”とか“6頭立てのチャーリー”と呼ばれ、ともかくタフな上、馬の扱いも巧みなら、射撃の腕も群を抜いていたから、ならず者の間で「あいつが御者なら、襲撃は止めだ」という風潮があったほどだ。
チャーリーは1812年に東部ニューイングランドで生まれている。早くに両親を亡くし、里子に出された。子供の頃からガッツがあり、相当なキカンボウだったようだ。だが、自分が一旦信用した人物へはいつまでも忠誠を保ち、身を粉にして働いた。
里子の元を抜け出し、ロードアイランド州で馬車馬の世話をする仕事に就いている。彼が12歳の時のことだった。そこでジャームス・バーチなる牧舎を経営する人物と巡り会う。バーチはチャーリーが丈夫な身体と強い意志、そしてひたむきな性格を持っていることを見抜き、我が子のように可愛がり、丁寧に馬に関するすべてを教え込んだ。
チャーリーはまるで吸い取り紙がインクを吸い取るようにバーチの教えを吸収した。そこからどうのような理由からか、ジョージア州へ南下し、そこでも駅馬車の馬の面倒を看る仕事をこなしている。彼には丁寧に世話をすればそれに応えてくれる馬の方が、人間より信用できたのだろうか。
バーチは東部で駅馬車業も営んでいたので、助手としてチャーリーを乗せたことだろう。それにしてもチャーリーは理想的な教師、バーチを得たのだ。
そして、カリフォルニアのゴールド・ラッシュが到来した。熱にうかされるように人々は西に向かった。バーチの親友フランク・スティーヴェンスと連れ立ってチャーリーもサンフランシスコに向かった。その時、チャーリーは30歳になっていた。彼は手始めに馬一頭だけの荷馬車業を始めた。今で言う宅急便のようなものだったろう。誠実で時間通りに荷を運ぶチャーリーは大手の荷馬車輸送を行なっているジョン・モートンと出会い、初めのうちは彼の下で、じきに同僚として荷馬車宅急便の御者をこなすようになった。
馬に蹴られ片目を失ったのは、モートンの元で働いている時だった。片目になってからも彼の評判はますます上がり、信用され、一番襲われる危険の高い郵便馬車を走らせるまでになっている。
チャーリーの郵便駅馬車が襲われた記録、伝承は数々あるが、襲ってきた強盗を撃ち殺した確かな記録は一名だけだ。あとは襲撃団を巧みに牽制しながら、逃げ切っている。
チャーリーの優れたところは、一攫千金を夢見て、金鉱探しに走らず、自分のプロとしての仕事、駅馬車を走らせることに徹したことだろう。金鉱ブームに沸けば、それだけ郵便物、書留、小包の輸送が増え、大金を払ってでも確実にそれらを届けたい需要が増し、チャーリーの存在価値が出てくる。
駅馬車の御者という滅法キツイ仕事を引退し、ワトソンヴィルというカリフォルニアの中部の町から6マイル外れたところに牧場を構え、静かな晩年を過ごしている。もうすでに彼の命を奪うことになる舌癌が進行していたのだろう、1879年12月28日に稀代の駅馬車の御者は息を引き取ったのだ。
死者に湯灌をほどこすのは仏教だけの伝統ではない。アメリカでの葬儀屋の仕事は血を抜き、防腐剤を注入し、丁寧に身体を拭き清める習慣がある。それから、頑丈な樫の木で作った棺桶に死者を横たえる。
その時、チャーリーが女性であることが知れたのだ。彼いや彼女は確かにヒゲ、体毛が薄くはあったが、そんな男はいくらでもいる。筋肉質の身体、そして高い運動能力はどこから見ても男の中の男だった。
周囲の同僚たち誰しもチャーリーは男だと信じていた。チャーリーが実は女性だったというニュースは当時の伝達スピードを考慮すると異常な速さで、文字通り全米に広がった。いち早くサンフアランシスコの新聞に載り、それを転載するように硬派のニューヨークタイムズにまで掲載された。
抑圧されたヴィクトリア朝時代の女性は結婚し、子供を産み、家事に専念し、夫に仕えるか修道院にでも入るしか生きる道がなかった。女性の専門職は看護婦、女教師くらいのもので、あとは洗濯女、調理人、家政婦が精一杯だった時代だ。そんな中で数々の悲劇が生まれた。
チャーリーの出生も洗い直され、生まれた時は女性、シャーロットとして出生届けが出されていたのが発見された。いつの頃から、シャーロットがチャーリーに変わったか、恐らく里子に出された12歳の頃、そこを脱出し、バーチの元へ走った時だったと思う。女性の御者など有り得ない時代だった。シャーロットはそれ以後、自分が女性であることを誰にも打ち明けず、ひたすら隠しチャーリーで通し、一番信頼していたバーチやジョンにも知られることなく、生涯を通したのだ。
そして、1868年のカルフォルニアの地方選挙に投票したアメリカ初の女性になったのだ。もっとも女性としてではなく、チャーリーとして男として投票したのだが…。ちなみに、アメリカで女性が投票権を得たのは1909年になってからのことだった。
1955年にパジャロ・ヴァリー歴史協会の肝煎りでチャーリー=シャーロットの墓に記念碑が建てらた。
墓はワトソンビルの市営墓地にある。

ニューヨークタイムズ紙に載ったチャーリーの似顔絵
どこまで実像に近いかは疑問だが・・・

ワトソンヴィルにあるチャーリーの墓石
-…つづく
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