■現代語訳『風姿花伝』
  ~世阿弥の『風姿花伝』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳

第十回: 風姿花伝その二
      物學(ものまね)のいろいろ 女

更新日2010/03/25


風姿花伝 その二
物學(ものまね)のいろいろ

 

 女のすがたや佇まいは、基本的に若い為手が嗜(たしな)んでよく似合うことではあるが、しかし、これは大変に大事な物學(ものまね)であって、何よりも先ず、着物の着こなしが見苦しければ、とても見られたものではない。天皇の寝所にお仕えする女御や、身なりなどのお世話をする更衣などは、似せようと思っても、たやすくそのお姿を目にする機会もないわけだから、彼女たちがどのようであるかは、それを知っている人に、よくよく伺(うかが)って行わなければならない。

着物や袴などの着方についても、すべてにおいて決まり事もあるので、自分の考えでやらずに人に聞く必要がある。ただ、世間の普通の女に関しては、いつも見ているわけだから、これは簡単であるはずである。ただ、かるく小袖などを身に付けた女の姿などは、大体の感じがそれらしく見えればそれでよい。舞(まい)や白拍子(しらびょうし)、または物狂いの女の姿やそのありようは、扇をつかうにしても、また舞うときに手に持つ花木の小枝などにしても、いかにも弱々しく、しっかり強く持ったりはせず、なんとなく持つでも持たぬでもないふうに持つとよい。

身につける着物なども、足を包み隠すように長めに着て、腰とか膝は素直(すなお)に、また身体(からだ)には、柔らかく優美で、しなやかさを湛た嫋(たおやか)さがなければならない。顔のたもち方としては、あんまり上を向くと容貌が美しく見えないし、うつむけば後姿が美しくない。そうかといって、首を強くしゃんとたもてば女に見えない。いろいろ考えるにどうやら、できるだけ袖たけの長い着物などを着て、手先なども見えないようにしたほうがよいし、帯なども、弱々しく締めたほうがよい。

ようするに、仕立てを嗜(たしな)めというのは、見えがかりをよくするということにほかならない。どんな物學(ものまね)であって、仕立てが悪くては見た目に良く映るはずもないが、とりわけ女の姿というのは、仕立(したて)こそが基本である