■フロンティア時代のアンチヒーローたち 〜西部アウトロー列伝



佐野 草介
(さの そうすけ)



海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

■貿易風の吹く島から
〜カリブ海のヨットマンからの電子メール
[全157回]




第1回〜第50回までのバックナンバー

第51回〜第100回までのバックナンバー

第101回:アルゼンチン時代のブッチからの手紙
第102回:キッズとエッタ、故郷に舞い戻る
第103回:ロック・アイランド列車強盗の真相
第104回:追う者の執念〜ピンカートン探偵社
第105回:グリンゴー 〜盗賊団と呼ばれたアウトロー



■更新予定日:毎週木曜日

第106回:ブッチ、都会病に悩む

更新日2008/11/20


性病ことをイギリスではフランス病と呼び、フランスではイタリア病と呼んでいた。ブッチが手紙の中で"都会病"に罹り、局部が痛く、馬に乗るにもままならないとこぼしてるが、田舎者のカウボーイたちが性病、恐らく淋病を都会病と呼んでいた。

元来血の気が多く、すべてに能動的なブッチが溢れるような精力をもてあましていたのだろう。ダラスやサンアントニオでも娼館に入り浸っていたし、他のワイルドバンチの面々がそれぞれ固定のパートナーを得ているのに、ブッチは特定の女性と長期にわたる関係をもつことを極力避けているようにさえみえる。実際、ブッチ自身、アウトローの生活は特定のパートナーを持つのにふさわしくないと自嘲気味に言っている。 

チョリラのような開拓部落に来てからも、ブッチは何かと理由を設けては、近くの村や町に出かけ、その場かぎりで、その種の女性のもとで一夜を過ごしていた。

開拓時代のアルゼンチンのことを知りたくて文献漁りをしたが、英語で見つかったのはごく少数だった。若いチャールス・ダーヴィンは大西洋岸沿いに馬で400マイル旅行し、"ビーグル号航海記"のなかでかなりのページ数を割いて、スペインのパイオニアたち、インディオの殺戮、ガウチョたちの生活を描写しているが、内陸に関する記述がないし、なんといっても古すぎる。ブッチたちがアルゼンチンに行く65年も前のことなのだ。

丁度ブッチとキッズがチョリラに棲みついたころ、南米を広く旅したアメリカ人のライター、ウイリアム・バフィン(William Buffin)が書いた旅行記が見つかった。その中で、バフィンはパンパスで馬、牛と共同生活をしているようなガウチョたちのことを語っている。ガウチョたちの楽しみは競馬、トランプ、闘鶏、村祭りのダンス、そしてセックスであり、セックスに関し、その時代、開拓部落を廻る移動式の娼婦幌馬車隊が辺境のガウチョたちに性の捌け口を提供していたと述べている。

主にガウチョたちにお金が入る時期、牛を集め移動させ大牧場が給料を払う時や収穫の季節を狙って赤い幌馬車隊は移動していた。広大なパンパスでは女性の需要は非常に高く、供給は極端に低かったので、移動式娼婦館はとても繁盛していたようだ。ブッチはそんなところに安楽を求め、性病を背負い込んだのだろう。

もっとも映画『明日に向かって撃て』で、ポール・ニューマンが淋病に罹ったブッチを演ずることはなかったが…。

1903年の終わり頃、パタゴニアでは夏だが、キッズとエッタはまたアメリカに帰っている。ピンカートンの資料とキッズの姉サマンサが受け継いだ家の記録双方で確証しているから、信じても良さそうな情報だ。キッズとエッタはテキサス州、フォートワースで目撃され、またサマンサによれば、セントルイスで開かれていた国際見本市に出かけたりしている。

ブエノス・アイレスからの船賃はその当時300ドル内外だったから、とてもお金のかかる帰郷だ。それにアメリカ国内での移動、ホテルにもキッズ好みの一流を通したことだろうから、この大散財はパタゴニアの辺境に骨を埋める覚悟で開拓に打ち込む人間のやることではない。

チョリラの牧場が最も忙しい時期に、なぜキッズとエッタは牧場を離れ、アメリカに戻ったのか想像するだけだ。しかも相棒のブッチが"都会病"で乗馬もままならない時に、大枚を叩いてまでキッズとエッタがアメリカに一時帰国しなければならなかった理由はなんだったのだろうか。3年足らずの間に2度の帰郷だ。

キッズの持病が悪化したか、エッタが妊娠し堕胎するためか、ブッチが荒稼ぎしたお金を仲間に預けたり、どこかに埋めていたのを(ブッチの隠し金を探している山師が今でもいる)引き出しに行ったとも考えられるが、いずれにせよ推測の域を出ない。 

キッズとエッタは翌歳の2月にアルゼンチンに戻っている。 

その間、ブッチはチョリラのあるチュバート県の警察に突如、逮捕された。南米一帯にロバート・エヴァンスとして名の知れ渡っている盗賊団のメンバーだと疑われたのだ。辺境時代のアルゼンチンでは疑わしくは即逮捕、締め上げるのが当たり前だった。前歴のはっきりしない北米人、グリンゴーは、まず拘置所にぶち込めということだったらしい。隣人や使用人ガウチョの証言でブッチは数日後釈放された。 

ピンカートンのディマイオがアルゼンチンの官憲と進めていたブッチとキッズの逮捕劇はまだ、シナリオが充分練られていなかったのだろう。

アルゼンチンには犯罪者の引渡し協定がなかった。外国で罪を犯した犯罪者をその国の要請で逮捕することはなかったし、たとえアルゼンチン国内で犯罪を重ね逮捕され、その後犯人が他の国で犯罪を犯していると分ったとしても、その国へ犯人を引き渡す義務はなかった。

アルゼンチン警察が逮捕できるのは、アルゼンチン国内で起きた犯罪に関してだけだった。ピンカートンは、ブッチとキッズがアルゼンチンでも必ず昔のシゴトを開始すると読んでいた。そうなればピンカートンのエージェントはアルゼンチン警察に大いに協力し、逮捕にこぎつけ、後は政治力でアメリカに二人を移送できると踏んでいたようだ。

-つづく

 

 

第107回:リオ・ガジェイゴ銀行襲撃事件

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