第40回:Butch Cassidy_ブッチ、シャバに戻る
更新日2007/07/26
ブッチが刑期を勤め上げている最中、ワイオミング州だけでなく中西部全域が恐慌に見舞われた。その兆候は、ブッチ入所以前の1890年の最初から見えていたが、1893年に一挙に表面化してきたのだった。
まず、政府と結び付き、飛ぶ鳥を落とす勢いで爆発的成長を続けてきたユニオン・パシフィック鉄道が1893年10月に破産した。それに伴いワイオミングで一番大きな牧畜会社ワーレン牧畜会社が潰れたうえ、州に11行しかなかった銀行の4行が破産したのだった。
鉄道会社が再建されるまで、ライブストックも鉱石、石炭も輸送できなくなり、第一次産業である、牧畜と鉱山が大きな痛手を受けた。ワイオミング州の経済はその二つの産業に頼っていた。流れカウボーイが急増し、閉鎖された鉱山から失業した鉱夫があふれ出た。州の固定資産税の歳入は、1890年に3千万6.000ドルあったのが、8年後にはたった10万ドルの税収しかなかった。(LarsonのHistory
of Wyomingによる)
牛の価格は暴落し、それまで一頭30ドルから75ドルで取引されていたのが、一頭8ドルまで下落したのだった。中小規模の牧場は軒並み破産した。
1890年に州に昇格したばかりのワイオミングは、ブッチが入所した1894年にウイリアム・リチャーズ(William
A. Richards)を州知事に選んだ。1895年の末にブッチは州知事ウイリアムに恩許を申請している。ウイリアムが当選し知事になったとき、人気取りのためか、恩許の大判振る舞いをし、政敵から非難されていたさなかだったので、時期としては最悪だった。
ここにも、ブッチとリチャーズ州知事の伝説的逸話が残っている。
「私は刑期の4分の3を終えた今、あと数ヵ月の刑期を全うするだけになりました。私はコロラド州に牧場を持っており、そこを管理しなければなりません。よって恩許を願っております」とブッチが書き、知事ウイリアムが、「もしお前が更生すると誓うなら、恩許を考慮しよう」、加えて「お前はまだ若く、利発だから今後どんな分野でも成功するだろう。ここでもう牛や馬の泥棒を止めるとハッキリ誓うことができるか?」と詰め寄った。
ブッチは、「牛馬の泥棒を止めると誓うことはできません。そのような約束をしてもすぐにも誓いを破ってしまうでしょう。というのは私はすでに余りに深くそのことに関わってしまっているからです。しかし、一つのことだけは約束できます。もし恩許されるなら、ワイオミング州内ではそのような罪は二度と起こしません」と答えたと言うのだ。
ウイリアム知事はブッチの率直さにうたれ、続けて、「お前の言葉通りに受け取っていいのだな?」とさらに詰め、ブッチは、「私に二言はありません」と閉めた。その結果、ブッチは2年の刑を1年半で出ることができたと言うのだ。確かにその言葉通り、ブッチはワイオミング州で牛馬泥棒を働くことはなかった。ただし列車強盗はやったのだが。
この話は広く知れ渡り、伝説となり様々なバリエーションを生み、語り継がれている。一人のアウトローと州知事との対話自体が劇的であるうえ、ブッチの正直さ、武士に二言はないとばかり一旦口に出した言葉を重んじる性格、知事にまで感銘を与える率直さ、要はアメリカ人好みの逸話なのだ。
ジョージ・ワシントンが切り倒した桜の木の伝説のようなものだ。(もちろん、ワシントンの桜も創作だが)、ともかくアメリカ人は正直、率直、英語で言えばfrank,
honest, straightが大好きな言葉で、人を賞賛するとき、最高の褒め言葉になる。
私事だが、子供の頃、ワシントンと桜の木の逸話を何かで読み、桜の木を切り倒したことを、仰仰しく、「私がやった」と答える少年と、将来大統領になる人間と何の脈絡があるのか奇妙に思ったものだ。もともと作り話であるウソの逸話を語り、子供たちに正直であることの尊さを教え込もうとするのも滑稽だが。
ブッチ恩許の逸話のニュースソースを探ったが、結局分からずじまいだった。恐らく根源はチャールス・ケリー(Charles
Kelly)の"The Outlaw Trail"ではないかと思う。この1938年の本に書かれてから、この逸話が他の歴史家、アウトー研究家の間に広まった。チャールス・ケリーはこの逸話の情報源を明らかにしていない。
ブッチの正直さ、率直さを印象付ける意図としては、この会話はおかしい。ブッチがコロラドに牧場を持っていた事実はないし、テリュライドの強盗以来、ブッチはコロラドでは首に賞金の掛かったお尋ね者なのだ。また、同時期の受刑者の刑期を調べて見ればすぐに分かることだが、課された刑期を満期まで過ごした受刑者はむしろ例外で、作業小屋に放火し脱走を図った受刑者(Bill
Wheaton)ですら、8年の刑を7年で出所している。
大雑把な言い方をすれば、通常の受刑者は皆、刑期の4分の3ほどをララミー刑務所で過ごしただけで、シャバに出ているのだ。減刑には州知事のサインが必要だったにしろ、ブッチだけが特別の恩許にありついたワケではないのだ。
しかし、伝説にもすべてが創作とは言い切れない部分がある。州知事の日程を見ると、ブッチが釈放された1896年1月19日、知事がわざわざララミー刑務所を訪れているのだ。単に牛馬泥棒の釈放に立ち会うために首都のシャイアンからララミーまで来たとは考え難い。何か他の用事で来たのだろうが、ララミー刑務所で自分が恩許を与えた囚人と何らかの会話があった可能性はある。そんなところに伝説が生まれる余地があるにはあった。
州知事ウイリアムは1月6日にブッチの恩許にサインをし、ブッチは同月の19日に出所した。
…-つづく
第41回:Butch
Cassidy_マットのもとで

