第38回:Butch Cassidy_ララミー刑務所
更新日2007/07/12
ララミー町の名前は毛皮の罠師、フランス系カナダ人のジャック・ララミー(Jacques Laramie)に由来する。1866年、現在のララミーの町から2マイルほど南にサンダース砦が築かれたが、インディアンの脅威がなくなると共に廃墟となった。その後、鉄道が敷かれると鉄道の中継地となり、1872年に州立(当時はワイオミングテリトリーだった)の刑務所が建てられ、刑務所の町として知られるようになった。
網走といえば番外地、刑務所が日本人のイメージの中に固定してしまったが、(網走に住んでいる人にはやりきれないことかもしれないけど)中西部ではララミーといえば、"砦と刑務所"だけが思い浮かぶ。ただフォート・ララミーは、ララミーから150マイル離れた別の地で、ただ"ララミー"といえば刑務所ということになる。

ララミー刑務所。
高い木の塀や見張り台はブッチが入所した頃建てられた。
現在あるのはレプリカ。
ララミーの町はワイオミング州の首都シャイアンの西、約45マイルにあり、はるか南に雪を頂いたメディスンボーピークが見える以外、ゆるやかにうねった標高2,100メートル内外の延々と続く高原台地があるだけだ。町の西にララミー川が流れている。何百頭のバッファローを走らせたら似合いそうな地形だ。刑務所は町の西3マイルの高台にあり、現在は刑務所博物館になっている。これもブッチがここにいたおかげである。
私は二度この刑務所を訪れているが(入所したわけではない、一観光客、すき者として、念のため)、冬場の寒さは骨の髄まで凍るほどだった。刑務所は立派な砦のように高い塀を回し、獄舎は石造りで何度かの修復で拡張しているが、ブッチが入った当時、84の牢獄があった。牢獄は幅1.8メートル、長さ2.4メートルの床に二段ベッドをしつらえ、二人づつ入る設計になっており、ベッドはロープを格子のように張り、その上にキャンバスを敷き、後は毛布一枚で寝る。冬の寒さは想像を絶するものがあったことだろう。
今のララミーの刑務所(博物館)はなんといっても、ブッチさまさまで、獄舎には横綱よろしく馬鹿でかいブッチの写真が、これはもう祭られているといった舞台設定で掲げられている。この有名な写真は、刑務所に入所したときに撮られたもので、右に垂らした前髪で逮捕の際に受けたピストルの傷を隠している。真夏の猛暑のなか、2日間に渡る護送の後のブッチはやつれ、不機嫌な様相で写っており、後に多くのブッチファンが抱く優しさも、毅然とした意思も見て取ることができない。

ブッチの入所記念撮影。
すべての囚人が入獄時にこのような写真を撮られた。
このブッチの顔写真は後に、テキサスの5人組の写真が
知れ渡るまで、ブッチ、唯一の大写し顔写真だった。
この刑務所博物館を歩き回り、記録や文献を覗いて驚いたが、1880年代まで、なんと受刑者の25パーセントが脱獄しているのだ。4分の1が逃げる隙間だらけの刑務所は刑務所ではない。それでは余りにズサンだと反省したのだろう、獄舎を石で造り、ぐるりと4メートルはある高い塀を回し、監視員も増やし、マジメな刑務所に変わった頃にブッチが入所したのだった。
それでもブッチが入っていた1年半の間に少なくとも4回脱走があったし(1894年10月3日、Kinch McKinney、11月John
Tregoning、翌年の5月にTom Morrison、そしてCharles Brown)、外から入り込んでくる娼婦サービスもあったし、ウイスキーも買えた。
後年、1899年にここから極悪犯、悪党中の悪党、ハミルトン・アダムス・リーダーが手下二人を連れ脱獄し、メディスンボーの銀鉱の町で殺戮を繰り広げた。この話しは"シブミ"や"アイガーサンクッション"のトレヴィニアンが"ワイオミングの惨劇"(原題『Incident
at twenty-mile』新潮社)と題して、一風変わったノンフィクッションノベルにまとめている。
ブッチは他の受刑者5人と共に、郡の保安官のチャーリー、保安官補ハーリー、ランダーの町役人ヘンリーに付き添われ護送され、列車でララミーに着き、駅で刑務所長アダムスに引き渡された。その時、アダムスは一人の受刑者が手錠も足枷もしていないのに驚き、詰問したのに応えて、保安官チャーリーは答えて曰く、「彼は名誉犯罪者なんでね」と。もちろんその受刑者とはブッチであることは言うまでもないだろう。

現在のララミーの駅。
入所記録では、囚人番号187、出生地ニューヨーク(本当はビーバー、ユタ州)ジョージ・キャサディー(George
Cassidy、本名はロバート・レロイ・パーカー)、あだ名ブッチ・キャサディー、年齢32歳(本当は28歳と3ヵ月)、身長5.9フィート(176センチ)、体重165ポンド(75キロ)、目はブルー、体格軽量とある。ここでもブッチは自分の本名も出生地も明かしていない。それにしてもおおらかというか、いい加減な記載である。
ブッチがどんな囚人であったか、唯一の記録は刑務者録だが、"服務態度良好"とだけある。ララミー刑務所では受刑者にホウキ造りをさせていた。今もその作業場が残っている。ララミー刑務所のホウキは丈夫で長持ちと評判が良かったと博物館でくれるカタログにあるが、たかがワラで作ったホウキである。何ほどの技術がいるわけでなし、商品の価値というより長い冬場、囚人に何らかの作業をさせ、リズムと規則のある生活をさせるための方便だっただけだろう。
…-つづく
第39回:Butch
Cassidy_ララミー刑務所 その2

