第32回:少し長めの蛇足_ジョンソン郡の戦争 その3
更新日2007/05/31
連合側のガンマンたちがキャンプした場所は、ネイト・チャンピオン(Nate Champion)のKC牧場からたった16マイル、ジョンソン郡の首都バッファローの南50マイルの地点だった。放っていた斥候が、今、KC牧場にはネイトと他一人しか居ないと報告してきたのだった。
抹消者リストの筆頭に上がっているネイトが無防備でKC牧場に居るのを知ったカントンは、翌朝、ネイトに総攻撃をかけることにしたのだ。
KC牧場のキャビンには、ネイトのほかカウボーイのニック(Nick Ray)と罠師のベン(Ben Jones)とビル(Bill
Walker)も一夜の宿を求めて泊まっていた。1890年代に入っても狐やビーバーを罠で捕らえ、毛皮を売る罠師が徘徊しており、人里離れた牧場に住む人々は喜んで一泊の屋根を提供したものだった。

ネイト・チャンピオン(Nate Champion)。
左からネイトの双子の弟ダッドレイ(Dudley Champion)、
中央マーティン(Martin Allison Tisdale)、
そして右、白い毛皮のコートを着ているのがネイト。
1892年4月9日、夜も明けきらぬうちにガンマンたちはネイトの小屋を包囲し、小屋に近い納屋にも人員を配置し終わっていた。ネイトの小屋に宿を借りていた罠師のベンが水を汲みにキャビンの外に出たところを連合軍のガンマンにあっさりと縛り上げられ、なかなか返ってこないベンを探しにもう一人の罠師、ビルも納屋に向かったところを捕捉され、連合側はキャビンにたった二人、ネイトとニックしか居ないことを確認したのだった。この二人の罠師のことをネイトはオールドマンと呼んでいるので、かなりの高齢で70歳前後だったと思われる。
そのときまで、キャビンの中に居たネイトとニックは、自分たちが絶体絶命の危機にあることを知らなかった。業を煮やしたようにニックが水と薪を取りに表に出たところを一斉射撃を食ったのだ。瀕死の重傷を負ったニックを、ネイトはようようキャビンに引きずり込んでいる。この時点でまだニックは生きていたが、出血が激しく、午前9時頃息を引き取ったのだ。
これ程、キャビンの中の状況が分かっているのは、ネイトが銃撃戦の合間、合間に、最後には負傷しながら死ぬまで克明にノートを取っていたからだ。南極極点旅行の帰りに全員死亡したイギリス探検隊のスコット隊長の日記よろしく、あるいは切腹前の侍たちの"辞世の句"よろしく、簡潔で心打つ文を書き残してくれたのだった。
"ニックが表に出て行こうとしたとき、私は納屋に誰かいて、彼ら(ベンとビル)を拘束したのではないか。気をつけるようにと声をかけた"
"ニックは撃たれたが、死んではいないが、酷い重症を負っている"
"今、ニックが撃たれてから2時間たったが、ニックはまだ生きている"
"ボーイ、銃弾はアラレのように降り注いでいる。奴らは納屋と川、そして小屋の裏側から撃ってくる"
"このような状況では彼らに応戦することは不可能だ"、そしてまた繰り返し、"奴らは納屋、川辺、小屋の裏から撃ってくる"と書き、続けて、"ニックが死んだ。彼が死んだのは9時ごろだった。納屋から煙が上がっているのが見える。奴らが火を付けたのだろう。今度という今度、ここを逃れる術はないだろう"
"私は、今とても孤独だ。誰か一緒にここに居てくれたらと思う。そうしたら、(キャビンの)四方を同時に見張ることができるのだが。"
たった一人で立てこもったネイトと、50名以上のガンマンの戦いは長引いた。テキサスガンマンの中に、一人男をなぶり殺しにするためにこんなところに来たのではない、と造反する者まで出てくる始末だった。
またここでも、二人のフランク、ウォルコットとカントンは対立した。カントンはここネイトのキャビンに10名ばかり残し、あとの40名はバッファローに急行すべきだと主張したが、軍上がりのウォルコットは、隊を二つに分けることを嫌い、また作戦も当時でさえ古びていた、"包囲殲滅"にこだわった。ネイトの憤然とした意思が50人以上のガンマンの前に立ちはだかっていたのだ。
ネイトが決して白旗を振って、キャビンからヨロケ出てくることはないし、ネイトに銃弾が残っている限り、撃鉄を起こす力がある限り、いかに瀕死の重傷を負っていようとも戦い抜くことをガンマンたちも戦う者として本能的に感じていたのだろう。究極のところ、誰もがネイトを恐れていたのだ。
ネイトのノートは続く。
"木を切り倒している音が聞こえる。今晩にはキャビンに火を付けるつもりなのだろう。もしそれまで私が生きていれば、今晩暗闇にまぎれ、逃げることができるのだが"
ネイトの観測の半分は当たっていた。彼らは切り倒した丸太にランプ用の燃料をかけ、火を付けてネイトのキャビンへと転がし落としたのだった。ネイトのキャビンは窪地にあり、正面が急斜面になっている。そこへ何本もの火車を転がしネイトのキャビンに火を付け、燻り出し、焼き出し作戦にでたのだった。ただ彼らは夜まで待たず、その日の午後に焼き蒸し作戦を開始したのだった。
"この家全体が火に包まれている。さらば、友よ。私が生きながらえることはないだろう。ネイサン・D.チャンピオン"と、ノートは終わっている。
ネイトは裏側のドアから転がり出たところを一斉射撃に会い、ネイトはそこで死んだ。ネイトの身体には24発以上の弾が蜂の巣のように穴を開けていた。
享年44歳。ネイトはバッファローのウイロー・グローブ墓地に葬られている。
地主連合のガンマンがほぼ一日がかりでネイトを攻めている間に、オスカー(Oscar Jack Flagg)という若者が、ネイトの危機をバッファローへ急報した。ネイトは丸一日、50余名のガンマンを引き付け、バッファローの自作農たちが戦いに備える猶予を与えたのだった。
ネイトを救おうとシェリフのレッドは、自作農組合のメンバー、町の住人に声を掛け200人(300人とも言われて、バッファローの成年男子の大半が参加したと思われる)のネイト救出団を組織し、40マイル以上の雪の悪路をケイシーに駆けつけたが、すでにネイトは殺された後だった。シェリフ・レッドの率いる民兵は、地主連合のガンマンたちをTA牧場に追いやり、今度は逆に大地主連合のガンマンたちを包囲したのだった。
事態を憂慮した、時の大統領ハリソンが騎兵隊を送り、ガンマン39人、カントン、ウォルコットを検挙して、この対決を終えたのだった。それはネイトが殺された5日後の4月14日のことだった。
地主連合対自作農の対決は、一旦ワイオミング州の裁判の場に持ち込まれたが、裁判の場では、圧倒的なお金と政治的力を持つ大地主連合に対し、自作農側に勝ち目はなかった。おまけに裁判は州都、大地主連合の本拠地のあるシャイアンに移されたのだ。
拘束されていたガンマンは7月5日、全員釈放され、翌1893年1月21日、ウォルコットとカントンにも無罪の判決が下ったのだ。ネイトとニックを殺した罪は誰も被ることなく裁判は終わった。
これがジョンソン郡の戦争とまで呼ばれ、ワイオミングの歴史の中で、カスター将軍の第7騎兵隊がシャイアン族によって殲滅された事件に次ぐ大事件とされている事件の概要だ。実情は地主連合側が多勢に武勢でネイトとニックの二人を殺しただけだった。
べトナム戦争、そして今のイラクの戦争でも従軍記者が活躍している。軍がジャーナリストに便宜を図り、小さな作戦にはジャーナリストの同行を許し、報道の自由と権利を表向きではあるが守る姿勢を保っている。第二次世界大戦のとき、日本軍は確実に報道の影響力、宣伝効果を熟知しており、報道を利用していはいたが、そこに自由のカケラもなかった。あるのは提灯持ち記事と厳しい検閲だけだった。
地主連合のガンマン50余人がシャイアンを経由してカスパーに向かったとき、この全く私的な軍隊は二人のジャーナリストの同行を許している。シャイアン・サン紙のエド(Ed
Towers)とシカゴ・トリビューン紙の サム(Sam T.Clover)である。両方とも保守系の新聞であり、大地主連合は自己の正当性のプロパガンダを図ったのだろう。
だが、シカゴ・トリュビューンのサムはKC牧場で50人以上のガンマンが一人の男をいたぶるように虐殺した現場を目にし、ネイト、自作農組合に同情的な記事を書いた。ネイトのノートはサムの手に渡り、シカゴ・トリビューン紙にKC牧場に立てこもったネイトの最後の情景と共に掲載され、そこから多くの新聞に転載され、ワイオミング、ジョンソン郡の戦いは世に知られるようになった。
このジョンソン郡の戦争、ネイトの虐殺を知ったブッチはかねてから大地主連合に強い反発を抱き、自作農に同情を寄せており、ネイトと知り合いだったこともあり、感情が爆発したのだろう。興奮しウィンチェスター銃を握り馬を疾走させ、高まる感情を沈めなければならいほどだった。それから、珍しく長舌を奮った。
"オールド・ウエストの時代は終わった。だがこれから、俺たちが自分流で守ろうとしていたオールド・ウエストの伝統を見せてやろうではないか。優れた馬、馬具、武器、我々の優れた能力で牧畜王族どもの鼻先から、大量の牛を盗んでやろうではないか。一人の自作農を殺したことくらいで、済まないことを教えてやろうではないか。奴らが何をおっぱじめたのか教訓を与えてやろうではないか"と、奇妙な論理を展開し、興奮が収まると、"もうここは自由の国ではなくなった"と、嘆息したとマットの回顧録にある。
時代の認識という一点においてだけ、ブッチは正確に現状を捉えていた。ブッチの抱いていたオールド・ウエストの時代の終焉が忍び寄っていたのだ。
17世紀から18世紀にかけて活躍した、インテリの海賊ミッソンとカラミチオーリは髑髏の旗ではなく"自由"と染め抜いた旗を掲げて略奪を続け、マダカスカルに「リベルタリア(自由郷)」と名づけた理想郷を本気で築こうとした。そのために辺りかまわず海賊を働いた。またエリザベス一世からサーの称号を貰った海賊上がりのドレイクも、カソリック教国のスペイン船を盛んに襲い、それが自国、新興国イギリスの利益と結びつき英雄になった。
犯罪を犯す自由を自国内で認めた国家は歴史上存在しないにしろ、自国内で許されない犯罪行為が対外的には推賞されることは大いにある。絶対的な犯罪行為は存在しないのだ。
ブッチは常に大資本、大地主からモノを盗み、決して貧乏人からモノを掠め取ることをしていないが、それは今の研究家が口にするような、アンチ大資本の思考があってのことではないだろう。また、多くのブッチファンが賞賛し惚れ込み、彼を西部のロビンフッドに例えたが、ブッチが義賊のように、貧しい人々に金銀を分け与えた事実はない。だが、彼の精神のどこかに、行動の根底に、根強い社会の不均衡に対する怒りが感じられるのだ。
ブッチが嘆息したように、古き良きワイルド・ウエストの時代は終焉を迎えつつあった。ブッチの言う良きオールド・ワイルド・ウエストとは盗んだ牛や馬を追って荒野を駆け巡ることだったが。
…-つづく
第33回:Butch
Cassidy_ブッチ誕生

