第29回:Butch Cassidy_ジョンソンカウンティー(ワイオミング)
更新日2007/05/10
ブッチは南ユタから自分が所有しているホースクリークの牧場に帰らずにワイオミング州のジョンソン郡のブルークリークに直行した。
説明的になるが、ジョンソン郡は法規制のゆるいワイオミング州の中でも、さらにタガが外れたようにゆるい無法地帯だった。1870年から1890年にかけて、中西部、主にワイオミング州で盗まれた牛、馬はジョンソン郡に集められ、その数、数万頭になったと言われている。
ジョンソン郡の裁判記録によると(1886年から1889年の間)19件、牛馬泥棒が逮捕され、そのうち実刑判決が下ったのは1件のみで、しかもたった100ドルの罰金刑だった。まさに泥棒天国だったのだ。これがブッチがジョンソン郡に入り込んだ時の状況で、まさにカーボーイ上がりのブッチたちにこれほど似合った土地は地上にあり得ないというほどの環境設定だった。
ブッチが購入したのは西部にこの地ありとアウトローに知れ渡っていたホール・イン・ザ・ウォール(Hole in the
wall)の北西10マイル、ケイシー村の南東約16マイルのブルークリークで、現在、郡道190号が走っている近くである。
ブッチはそこに初めは160エーカー、次々と買い足し最終的には420エーカーの牧地を手に入れている。元の持ち主はヴァーモント州出身のバーナン(Tom F.
Barnum)で、彼の弟ガイ(Guy Barnum)夫妻が簡易郵便局をやっていた。
ブッチのブルークリーク時代のことは、この兄弟の証言によるところが大きい。彼らによれば、ブッチはまだかなりの現金を持っており、最初の年、1890年に土地を購入したあと、大掛りな灌漑用水路を掘り、牧場まで用水を引いたり、フェンスを回したり、お金をつぎ込み、また馬泥棒のような流れカウボーイたちの面倒を見てやったりしていた。
ブッチが何を企んでいたのか、ホンキで更生し、牧場経営に乗り出そうとしていたのか分からないが、恐らくそうではなかっただろう。一世を飾ったキャプテン・ブラウンのような馬泥棒シンジケートを組織し、ブルークリークをその一大オペレーションセンターにしようとしたのではないかと思う。
場所の選択は悪くなかった。緊急事態の折には10マイルでホール・イン・ザ・ウォールに逃げ込めるし、盗んだ馬を売買するのもそこだった。
アウトーローの3大隠れ家は、ロバーズ・ルースト、ブラウンズ・パーク、そしてこのホール・イン・ザ・ウォールである。訳せば"岩壁に空いた穴"だが、実際にそのような穴が岩壁に開いているわけではない。他の隠れ家と違うところは、峡谷の入り口こそ狭いが、そこを通りすぎると広大と言っていいほどの盆地が厳しい岩璧に囲まれて広がっており、水量豊かな水場もあり、何百頭単位の牛馬を飼うことができたことだろう。
地形は首の細いワインボトルにでも例えれば当たっているだろうか、その狭い地峡に見張りさえ立てておけば、中の広い地域は安全であり、言わば守りの城砦だった。今でもこの地を訪れるには、道らしい道はなく、車高の高い4輪駆動車か馬が必要だ。ホール・イン・ザ・ウォールに立ち寄ったアウトローたちの名前を列記すれば、そのまま西部アウトロー史になると言ってよいほどアウトローはここに足繁く出入りした。唯一の欠点は、この地が余りにも有名になりすぎたことだろう。

ホール・イン・ザ・ウォール(Hole in the wall)。
ワイオミング州ジョンソン郡。ここでアウトローたちは骨を休め、
元気のよい馬に乗り換え、各地の情報を交換しあい 冬越しをした。
ジェッシー・ジェイムス、兄のフランク・ジェイムス、
潰れ鼻のジョージ(Flatnose George Curry)、
サンダンス・キッズ、ディック・ベンダー、デカ鼻のジョージ、
キッド・カーリーなど50人ものアウトローが出入りしていた。
そしてブッチがホール・イン・ザ・ウォールのすぐ隣に馬泥棒一大オペレーションセンターを築こうとしたとき、牧畜男爵(Cattle
Baron)と呼ばれる大地主、大牧場主連合はホール・イン・ザ・ウォールのあるジョンソンカウンティーに的を絞って、馬泥棒殲滅作戦を展開しようとしていたのだ。
それが西部史上悪名高い「ジョンソン郡戦争」に発展していく。戦争とは名ばかりで実際には虐殺だが、それは今のアメリカの海外政策と変わらない。ブッチのブルークリーク・オペレイションセンターのアイデアは場所の選択は悪くなかったが、いかんせん遅すぎた。
ブッチの不思議はあれだけ周到に計画を練り、準備万端怠りなく物事に当たるにもかかわらず、一旦行動を起こすとなるとすべてを断ち切るように過去を帰りみずに決然と飛び込むことだ。
ブッチは持ち金のすべてをつぎ込んだブルークリークの牧場を翌年にはジム(Jim Stubbs)にタダ同然で譲り、放浪の旅に出ているのだ。もちろん確かなことは分からないが、私はブッチの骨の髄まで沁みこんだ放浪癖、心理的要因が大きいとみる。
その年にかつての仲間であるマットとトムの隠れ家、スターバリーを訪れているから、マットかトムから、「また一緒にひとシゴトしよう」と誘いの手紙があったのだろう。それがブッチの放浪癖に火をつけたのではないか。
マットは3年ぶりに会ったブッチを、「成長し、タフになり、肉体も精神も頑強になった」と書いている。3人組は毛沢東の長征よろしく、キャンプ用品、牛馬に入れる焼印を準備し、馬泥棒行脚に出ている。
公有地に放牧され、ラウンドアバウトで狩り出されずそのまま山林や深い谷に迷い込んだ牛馬を追い出し、自分の焼印を押し、売り払うのだが、非常に危険なシゴトになりつつあった。というのは大牧場主がガンマンを雇っているのが当たり前の時代になっていたうえ、たとえ公有地であっても、雇われガンマンは疑わしきはまず撃ち殺し、理由などはそれからこじつければよいという態度で臨み、また実際そのように疑わしき闖入者は殺されていた。後の面倒は雇い主の"牧畜男爵"のお抱え弁護士がなんとでもしてくれたのだ。
ブッチ、マット、トムの3人組の牛馬泥棒行脚はマアマアの成果しか上げられなかった。ブッチが描いていたであろう、一大牛馬泥棒シンジケートとは程遠いものだった。
3人で一度に運べる馬は50頭前後だし、中小の牧場主たちや、通過する村や町も大牧場主に牛耳られ、アウトローシンパの牧場主が減ってきたのだ。彼らはきっと、「昔は良かった」と嘆息したに違いない。
…-つづく
第30回:少し長めの蛇足_ジョンソン郡の戦争 その1

