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■よりみち~編集後記

 

更新日2011/07/07


この日本という国は、いつの間にかとんでもない国になってしまったのではないだろうか。経済大国だ、スモール・イズ・ビューティフルだ、ジャパン・アズ・ナンバーワンだと、一時期言われていた頃があったのだが、日本は優れた技術と勤勉な国民が素晴らしい経済発展を成功させた国と、確かにそんな時代があったことは記憶にあるが、「慢心」ということだろうか、いつの間にかそんな時代は飛んでしまい、リーダシップもない、責任をなすりつけあい、未来に向けた想像力もビジョンもない、実に情けない国になってしまったようだ。3・11の東日本大震災を契機に、この情けない状況が日毎暴露されているように思える。これは民主党政権になったからという人もいるだろうが、それは間違いだ。もし、政権交代がなく、自民党がそのままこの国難の大震災を迎えていても五十歩百歩だったと思えるのだ。リーダーシップのなさ、将来的なビジョンの欠如は民主党とほぼ変わらないからだ。ただ、もう少し官僚をうまく使って被災地との関係をうまくやれたかもしれない。ただ、これは自民党のリーダーシップということではなく、官僚主義のネットワークで地方ともう少し連携が取れていたと思える。それにしても、管総理がやっとの思いで任命した9日で辞任した復興担当大臣には恐れ入った。こんな政治家が7回も国会議員に選ばれて、それも環境大臣兼特命担当(防災担当)大臣として管総理を支えていたのだ。そしてさらに調べてみたら、なんと彼は、部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の孫で、自分も部落解放同盟副委員長をやっていた男だというから驚きも頂点に達した。マスコミに向かって「書いたらその社は終わり」と恫喝したその理由が、この部落開放同盟副委員長の経歴とつながった。でも今どきどうして部落開放問題でマスコミや官庁がビビルのか不思議だ。そもそも自分の龍の名前をとって、復興チームを「チーム・ドラゴン」と命名したとサングラス姿で記者会見するような奴が、まともな仕事ができるはずがないだろう。一部のジャーナリストは、管総理から復興大臣になることを頼まれて、断りきれず、反対に管総理を早期退陣させるために、敢えてやっちゃいけないタブーばかりを連発したのではないかという深読みもあるらしいが、自分の政治生命を捨ててまで、管総理に引導を渡すパフォーマンスをやったとはとても思えない。お山の大将がプッツンして、ついいつもの本音がポロポロと飛び出したというのが真相だろう。東北地方の復興計画もここまでケチがついてしまうと、もう誰も政治家に期待をする人などいないだろう。頼みの綱は、県知事や市町村長が政治家及び官僚と対決するしかないということだろう。それくらい被災地の人は、政治に絶望しているし、危機感を持っている。金は出ない、仮設住宅も建てられない、新しく家も建てられない、当然仕事もないという「ないないづくし」状態の人々を安心させるには、迅速で的確な判断力とブレのない復興ビジョンしかないだろう。それを今の日本の政治家に求めても無駄なことのようだ。地方のトップがそれを担うしかないのだ。だって、管総理の後任は誰がやっても同じ穴のムジナで、期待なんかできそうもないもの。
そして、原発問題も同様に「慢心」が問題なのだ。原発推進路線を突き進んだ産官学の「原子力村」の存在が最近明らかにされ、そこに政府からの巨額の対策費や研究費がぶち込まれ、反原発運動などを封じ込めてきたことが分ってきていたのだが、それが現在もごく当たり前に行われていたことが今回報道された。これは玄海原発再稼働に向けた佐賀県民への説明TV番組で、九州電力が原発賛成の「やらせメール」を出すよう関係会社や子会社に指示していた問題で、我々にはとてもショックなやらせ問題だが、九州電力など、電力会社の人間にとってはごく普通の日常的なことにすぎなかったのだろう。マスコミは誰がそれを指示したかを問題にしようとしていたが、誰かではなく誰でもという感覚なのだと思える。原子力を推進するには、そのようなやらせは当たり前で、今までもそうしてきていたから、今回それが問題になって驚いているというのが実情だろう。
今回の「やらせメール」問題はツイッターで情報が流されたことが契機となったようだが、そのツイッターで流されている模範的な「やらせメール」の例文が、今の電力会社の本音の気持ちを代弁しているようだ。
《原子力発電所とは何の利害関係もない、中立的な県民の一人です。
保安院や専門家のお話をお聞きし、福島の事故は津波によるものだと
確信できるようになりました。地震対策は後でもいいと感じられるように
なり、暑い夏にクーラーが使える日が楽しみです》

電力会社も長年の原子力村体質のためにどうかしてしまっているとしか思えない。3・11を体験した人は、どう考えても今すぐには無理でも脱原発を考えるのが普通の考え方で、原子力を今でも推進する考え方は、原子力となんらかの関係があり、自分の生活の安定のためだけを考えて推進に賛成しているだけで、生活が保障された状態であれば反対するのだと思える。(

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO

 

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