■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2009/07/02


最近のマスコミの話題は、マイケル・ジャクソンの突然の死と、衆議院の解散と総選挙がいつになるかということばかりのようである。あれほど幼児虐待疑惑で騒がれ、整形手術の失敗でマスコミに追いかけられていたMJが、今度はThe King of Popsの早死にを嘆き、その偉大さをこれでもかと報道されている。マスコミと言えば聞こえはよいが、結局のところ庶民の関心や疑問を代弁する野次馬集団なのだから、いまさら節度をわきまえろとか、一貫性を持てと言うことの方に無理があるのは理解しているのだが、最近、あまりにもマスコミの力に振り回されていないだろうか。メディアの力を使った言論統制的(ちょっと言いすぎではあるが、一種の強迫観念を植え付けることになっていると思える)な動きが見え隠れしているように感じる。言い方はまずいだろうが、マスコミを使って人を陥れ、スキャンダルや揚げ足取りで、出鼻をくじいたりすることがあからさまに行われるようになってきているのではないかと懸念している。
先日、オウム真理教の松本サリン事件の第一通報者であり、被害者でもある河野義行さんの事件のその後を追ったTV番組がドラマ仕立てで放映されたが、オウム真理教がサリン事件の犯人と判るまでは、河野義行さんが完全に犯人扱いをされていて、実際に私自身もマスコミ報道により、主犯かどうかは不明でも、何かしら事件に関わっているのではないかと疑惑を持ち続けていたし、ひょっとしたら犯人ではないかとまで思っていた。もし河野義行さんがこれほど沈着冷静で忍耐強い人でなかったなら、精神的に異常をきたしていたと思える。孤立無援の情況で、被害者である妻の看病をし続けることは想像を絶する苦行だったはずである。そして、犯人がオウム真理教であると判り、マスコミは一斉に謝罪したのだが、それで河野義行さんが救済されたかと言えば、答えはNOである。犯人扱いされた精神的苦痛や耐え忍んできた何年もの生活は戻らないし、人生をやり直すこともできないわけで、オウム真理教の被害者として、マスコミに人生を変えられた人になってしまったのだ。
それでは、中国や北朝鮮、そして最近のイランのマスコミ統制でいいのかと言われると、それはあってはならないことであり、最も警戒しなければならないことだとは思うのだが、マスメディア至上主義も危険だと言いたいのだ。マスコミに良心を期待するのは無理な話なのだから、マスコミを利用しようとたくらんでいる者が必ず存在し、それに振り回されることがないように発信者も受信者も常に注意しなければならない時代に突入したのではないだろうか。様々なニュースが渦巻く情報過多の時代には、個人が自分で情報を選び、それを判断する能力が求められるのだが、マスコミ自体ももっと多様化して、そのニーズに合った情報の流し方に変わっていくべきだし、実際に、新聞がいつまでも駅売りしているとは思えないわけで、世の中を変えなければならない風潮を煽っているマスコミが、今一番変わらなければならない存在なのではないだろうか。(

 

 


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