枕草子 第十五回
その十二 今内裏の東
今、かりに内裏として用いられている宮殿の東の館は、北の陣と呼ばれている。そこには、とても高くそびえるならの木があって、どれほど高いかは測りようもない、などと言われている。
権の中将などは、いっそのこと根本から切り倒して、あの背の高い定澄僧都(じょうちょうそうず)が使う枝扇にでもすればいいじゃないか、などと減らず口をお叩きになっておられたけれども、その定澄僧都さまが転任され、山科寺、興福寺の別当におなりになられることになって、そのお礼のために宮中においでになられたその日、宮さま付きの近衛司の権の中将さまも、当然のことながらその場にいらっしゃられたけれども、宮さまがお出ましになられてみれば、ただでさえ背の高い定澄僧都さまが、底の厚い、とても高いお履物を召しておられて、あんまりお高く見えたものだから、お帰りになられてから、私がつい、権の中将さまに、どうしてあなたさまがおしゃっておられた枝扇とやらを、お土産にお持たせになられなかったのですか、と冗談を言うと、なんとまあ物覚えのいいことよ、とお笑いになられた。
定澄僧都さまに袿(うちき)なし、すくせ君に衵(あこめ)なしとは人さまは言うけれど、たしかに、背の高い定澄僧都さまが衣の下に着てちょうど合うような袿もなければ、背の低いすくせ君にぴったりの衵もないと思って、面白かった。
※文中の色文字は清少納言が用いた用語をそのまま用いています。
|