枕草子 第十二回
その九の二 中宮さまのお食事の際には
宮中から追放されてしまった犬の翁丸(おきなまる)は、中宮さまのお食事の時などには、何かもらえるかと、必ず向いに座っていたのに、そんな姿が見えないというのは寂しいことねと、私たちは言ったりなどしておりました。
ところがそれから三、四日経った昼下がり、たいそうけたたましく鳴く犬の声がして、どうしたことかそれが、いつまでもいつまでも鳴き止まないので、どうしてでしょう、こんなにも鳴く犬がいるものでしょうかと思っているうちに、たくさんの犬が、回りに集まってきてもいる様子。
そのとき、お便所係の御厠人(みかはやうど)が走ってこちらにやってきて、なんと惨めなことでしょう、蔵人(くろうど)が二人がかりで犬を打ち据えております、あんなことをしたら死んでしまいます、追放した犬が戻ってきたのでいじめているのでしょう、と言う。
翁丸に違いないと心配になったが、御厠人によれば、打ち据えているのは忠隆と実房らしい。だったら止めさせなければと止めに向かわすうちに犬の声がしなくなってしまった。帰ってきた御厠人は、犬は死んでしまって門の外に捨てられてしまいましたと言う。
ああ、なんて可哀相なことでしょう、と憐れんだりなどしていたその日の夕方、ひどく体が腫れて、まともに見ることもできないほどみじめな姿をした犬が、わななき震えながら歩いているのを見た。
思わず駆け寄って、翁丸か、いまどきこんな姿をした犬は、翁丸のほかいないでしょうと思い、翁丸と呼んでみたけれど、反応がない。まわりの人も、翁丸だという人もいれば、そうではないと言う人もいて、皆が口々にそんなことを言いあっていると、中宮さまが、右近なら翁丸かどうかが分るでしょう、呼んできなさいとおっしゃられた。やってきた右近に犬を見せて、これは翁丸かと問えば、右近は、たしかに似てはおりますけれども、この犬はいかにも貧相すぎます。
それにもし翁丸であれば、翁丸と呼べば、喜んで近寄って来るはずなのに、呼んでもこちらに来ようともしません。翁丸ではないでしょう。忠隆らは、翁丸は打ち殺して捨てたと申しておりました。二人がかりで殺すつもりで打ったのであれば、生きていられるはずもないでしょう、と言ったので、中宮さまは、いたく心苦しくなられたのだった。
※文中の色文字は清少納言が用いた用語をそのまま用いています。
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