第18回:夏休み その3更新日2006/06/29
草原やクリーク沿いでインディアンの矢じりを見つけることは珍しくありませんでした。ミズリー州(ミズウーリーがより近い発音です)という名前もインディアンの部族の名から来たものです。
乾いた台地が広がるロッキー山脈の西側、いわいゆる西部と異なり、ミズウーリーは柔らにうねった草原が続き、そこここにクリークが流れ、その流域に森や林があり、流れは本流のミズウーリー川に合流します。そしてミズウーリー川はセントルイスでミシシッピイ川に合流します。
お祖父さんの牧場を流れるクリークはミズウーリー州内にある何百というクリークの一つで、ビーバークリークと呼んでいました。しかしなんという名前の付け方でしょう。ビーバーが棲んでいるからビーバークリークと名づけて大いに結構ですが、固有名詞としての役割をまったく果たしていません。
というのはアメリカ全土に恐らくビーバークリークは1,000箇所以上あるからです。お祖父さんの農場のビーバークリークは豊かな水量があり、流れに沿って格好の森があるので、野生動物がとてもたくさん棲んでいました。鹿、エルク、クロクマ、狐、狼、ラクーン、スカンク、コヨーテ、ウサギはよく見かけましたし、渡り鳥のカナダ雁や鴨、おしどり、白鳥も毎年のようにやってきて、刈り入れを終えたトウモロコシ畑やため池で羽を休めるのでした。
もうすでに、バファローはこの地域にいませんでしたが、バファローの骨は耕作の邪魔になるほどあり、お祖父さんは骨を一箇所に集めお墓のような骨捨て場を作っていました。私たち子供にとって、そこはお化けが出そうで近くを通るときでさえ恐ろしく早足に、骨の山を見ないように行き過ぎたものです。バファローの角は火持ちがよく、とても優れた燃料になるので、森の中でまだ角のついた頭蓋骨を見つけたときは、自慢げにお祖父さんに教えたものです。
森も危険が一杯でした。私が当たりかまわず、どこへでも森の奥深く歩き回るせいでしょうか、毎年のように、程度の差こそあれ、ウルシにやれれましたが、一度とても酷いウルシにかぶれたことがあります。顔も手足も腫れあがり、黄色い半透明の液がそこからじとじとと染み出てきて、目も開けていられないほどの重症ウルシかぶれになったのです。
全身痛がゆく、といって掻くとますます広がるので掻くわけにいかず、寝ているときに無意識に掻くのを防ぐためミット形の手袋をはかなければなりませんでした。ウルシかぶれは皮膚だけでなく筋肉や骨まで削り取ってしまいたくなるほど辛いものです。
皮膚がどうにか乾燥し、嫌な液体が止まるまで2、3週間かかり、かぶれた傷跡が消えるまで何ヶ月もかかります。そのおかげで私が美人でなくなったわけではありませんが…。
ウイルカーおじさんは、「おやおや、グレースが中国人になってしまったねー」と冗談を言っていました。ようやく、眼が開けられるようになると、またすぐに森の中に入り込み遊びましたが、そんなある日、ウイルカーおじさんが森の中で大きなマシェテ(ナタ、蛮刀)を振るっているのに出会いました。
ウイルカーおじさんは私を認めるとはにかんだように笑い、私を呼びました。そして2種類のウルシ、ツタウルシと木のウルシを手にとって見せ、葉の形、茎や枝の色などを他の木々やツタとはどこがどう違うのか教えてくれたのです。
私はそんなことよりどうしてウイルカーおじさんがウルシにかぶれないのか不思議でした。「もう、ワシの手の皮は分厚くなってしまっているからね、ウルシのほうで逃げていくのさ」と言っていましたが…。
夕方、森のはずれに煙が舞い上がっていたので、行ってみるとウイルカーおじさんが、森から切り集めてきたウルシの木を燃やしているところでした。
ウイルカーおじさんは、「もう一度、ワシのリトル グレースがウルシにやられると、ホントの中国人になってしまうからね」と言いました。

-…つづく
第19回:ニワトリ泥棒

