■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第21回:「3人目問題」

更新日2001/08/28 

プレイグラウンドパルズは、私が加入したときには、1歳半くらいの子どもを対象としたグループだったので、子どもが1人だけいるという人が多かった。上の子供がいるというのはトーリーくらいのものだった。が、環が2歳を過ぎるころになると、だんだん他のメンバーに2人目の赤ちゃんが産まれるようになった。3人目を妊娠している人もいる。ふと気がつけば子どもが1人しかいないのは私だけではないか。

そして、メンバーの間では「カオリの2人目が産まれるのはいつか?」と、もっぱらの話題になっているようだった。私としては、当時はあんまり2人目のことを考えていなかったので、それを言うと、他のメンバーはちょっと納得がいかないような、でもまあ人それぞれ事情があるのでしょうけど、という感じだった。そこで気がついたことは、アメリカでは(少なくともサンフランシスコ郊外界隈では)2人目を産んでも、人はやっぱり「次の予定は?」ときいてくるということである。日本では、「3人目は?」と、冗談っぽく言われることはあっても、あまり現実味のある話題ではない。「3人目は?」ときいてみても、「まさか」という感じの答えが多い。

しかし、プレイグループのメンバーの間では、「3人目問題」は決して冗談ではなく、誰しもが1度くらいは考えたことがあるはず、という感じの話題であるらしかった。けれども、その当時、プレイグループのなかで実際に3人目を産んでいたのはジュディとローラだけだった。

なぜ3人目の子どもを欲しがっている人が、実際には3人目を産まないのか? それは意外なことに、「住宅事情」と「教育費」という日本とまったく同じ理由なのだ。アメリカ人の友人は子どもが産まれると大抵子どもに1部屋を与えていた。ということは、3人の子どもを持つということは、必然的に夫婦の寝室を加えて4つのベッドルームが必要となる。

私がアメリカに滞在していた1997年から2000年というのは、まさにネットバブルが最盛期だった。ある日ハイウェイで事故があったらしく、通りすがりに見ると、トラックに運び上げられる事故車がポルシェだった。ポルシェにつっこんだ可哀相な車はなんだろうとバックミラーをのぞくとフェラーリだった──当時のシリコンバレーの盛況ぶりを考えると、こんなこともさもありなんという感じだった。

当然、ネット産業の中心地であるシリコンバレーの不動産価格は恐ろしいほど高騰していた。私が住んでいた地域は「中の上」という感じだったのだが、100万ドル(日本円で1億円強)に近い家を探すにはさほど苦労しないくらいだった。アメリカの100万ドルというのは、その生活実感でいうと日本円にして2億円に近いと私は思う。近所でそのような物件が出たときは大抵冷やかしに行ったのだが、とりたてて豪邸という感じでもなく、その地域にしては「普通」の家、と言わざるをえない。完全な売り手市場だった。

そうした状況なので、エンジニアや弁護士といったプロフェッショナルを亭主に持つプレイグループのメンバーにとっても、ベッドルームが4つもある家を買うことなど夢のまた夢という感じだった。だから当然3人目は無理だ、と誰もが思っているようだった。

 

→ 第22回:子どもの教育費はやっぱり高い!