佐野草介
(さの・そうすけ)

道産子。小学生の時、フランス人4人がヨットで世界1周する記録映画を見て、人生の針路を決定する。水上生活者として20余年。前半は地中海、後半はおもに大西洋とカリブ海で暮らす。現在はカリブの砂州、カージョ・オビスボにヨットを舫い棲家とする。

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第36回: プエルトリコのヒロヒト
更新日2002/04/11
プエルトリコ人の名前は実にバライテイに富んでいる。スペイン的に聖書からとった名前、アメリカ的な名前、カリブインディアン、タイノインディアンの名前が主流だが、歴史の教科書から引っ張り出してきたような名に出くわすことがある。
アブデラーマン、ラムセス、クセルクセス、タキツス、クロムウエルなどと名乗る人物が、マリーナの夜警や掃除人だったりする。
彼の父親には、異常に強い思い入れがあった。アメリカに対して戦争をオッパジメた日本の「ヒロヒト」を、いたく尊敬し、プエルトリコにそのような人物が現われ、アメリカをやっつけ、この島を独立に導いてくれるよう、息子を「ヒロヒト」と名付けた。
プエルトリコで「ヒロヒト」と名付けられた男は、中世の天皇もかくやという活躍をある意味で成し遂げた。もちろんプエルトリコを独立させはしなかったが、子供を42人もつくったのだ。
一夫一婦制という、歴史の中では、つい近年になって創られた制度は忘れてもらいたい。また、ハリウッドのスターのように結婚・離婚を繰り返したわけでもない。同時進行形で、7人の女性に自分の子供を42人産ませたのだ。この中に本人の妹が2人含まれているあたりは、まさに天皇家、王族なみではないか。
ヒロヒト・トーレスは1933年、プエルトリコの南東の山間にある辺鄙な村、マウナボに生まれた。小学校をどうにか出た程度の学歴だが、本を読み、毎日欠かさず新聞に目を通し、向学心も大せいで、建設機械のリース、販売を手広く行い、それなりに成功したといえる。よって、子造りにのみ励んだだけではないらしい。現在68歳になるが、精神も肉体も18歳だとウソブク。
彼の子を産んだ女性たちには家を建て与え、子供たちが18歳になるまで、教育費を支払い、その後も大学に行く者には援助し、子供たちをとても誇りに思っているし、事実、パイロット、高校の先生、工学技師、薬剤師などになっている者もいる。ここの学校では、成績の優秀な生徒に卒業の際メダルを与えるが、彼の子供たちが獲得したメダルは総計100個を超えたというから、勤勉な子が多いのはまんざら法螺ではないらしい。
ヒロヒト・トーレス先生が、初めての子を持ったのは16歳の時で、打ち止めが60歳だから45年に渡り現役だったことになる。そして相手の女性は7人だが、一人としか法的には結婚していない。
「何の必要があって、結婚、離婚を繰り返すのかね、私はどの女性も公平に扱うし、子供たちへの愛情にも分け隔てはない」と、ヒロヒトよりは、マホメットに近いことをノタマイ、人口過剰の問題など歯牙にもかけない。現在、彼は22人の子を産んだ2人の妹、ヴィルヒニアとロサと同居している。
プエルトリコ人のヨット仲間との夕食時に、このヒロヒトの話が出てきた。ここに会した3カップルには、 我々を含めていずれも子供がいないという共通点がある。男性群は一様に、「これは、ユユシキ問題である、我々のように優れた者の種が絶え、ヒロヒト(プエルトリコの)のようなヤツの子孫が地表を覆い尽くすのは、人類の退化でなくてなんであろうか」と、コトバを変えては言い合ったことだ。
しかし、女性群はヒロヒト談義に一顧も与えず、話題は増え始めた白髪対策と、早くメンスがなくならないかに集中しているではないか。
所詮、我々はヒロヒトに勝てないのである。
第37回:スピード狂時代
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