橋本から京王相模原線に乗り換えた。調布で京王本線から分岐し、多摩ニュータウンを通って相模原の橋本まで到達する、22.6kmの都市近郊路線だ。私は相模原線に調布から乗った記憶があるけれど、どの駅まで乗ったのか定かではない。橋本にはクルマで来たことがある。しかし電車で来た記憶は無い。疑わしいことは放置したため、路線図を塗りつぶしていなかった。記憶が曖昧ならもう一度乗ってしまえばいいだけのことで、覚えていないだけに新鮮な気持ちで乗れるだろう。
京王線橋本駅は、調布方面からJRの線路をまたいだところにある。JRの線路を超えて、もっと西へ延伸しようとしたのではないか、と思う。地図を見ると、橋本駅から西へ8キロ延伸すると津久井湖になる。さらに先へ行くと相模湖だ。現在の相模原線は通勤主体の路線だから、津久井湖へ伸ばして観光開発をすれば週末の輸送需要も見込めそうだ。
都心と反対方向の終端駅を観光地にする手法は関東の私鉄の得意芸で、たとえば小田急の箱根、東武の日光、西武の秩父などが挙げられる。京王だって高尾山口まで通じている。だから京王は橋本から西へ伸ばし、津久井湖方面に延伸するとばかり思っていた。しかし、私の予想は違うようだ。ホームから線路の終端方向を見ると、先へ伸びようとする線路を
"通せんぼ" するかのようにマンションが建っている。
ホームの端からマンションを眺める。憎らしい奴だ、と思う反面、
この正面の部屋に住んだら楽しそうだな、とも思う。
毎日電車が自分の部屋に向かって走ってくる。
電車好きには楽しい景色かもしれない。
京王橋本駅のホームは地上3階にあるけれど、見晴らしはよくない。駅自体がドームのように覆われているせいだ。しかし電車が走り出せば相模原を一望できる。家並みが丘の傾斜に沿って連なっている。このあたりは相模原台地で、多摩境駅の先のトンネルをくぐると多摩丘陵になる。ニュータウンらしく、同じ形の建売住宅が並び、集合住宅、大きなショッピングセンターも目立ちはじめる。
多摩ニュータウン駅の手前で小田急多摩線の線路が寄りそう。ここから永山まで京王と小田急が並行し、大都市の複々線区間のようだ。相模原線の未乗区間は調布までだが、私は京王永山駅で降りた。改札を抜けて隣の改札に入る。小田急永山から小田急多摩線の唐木田までも未乗区間である。さっき眺めた線路に乗って戻るようなルートになる。
小田急多摩線の終点、唐木田は、さらに先へ進みたいとハッキリ意思表明していた。京王の橋本のように、道を阻むものは無い。それどころか、大規模な車両基地があり、その左端に複線の線路が建設されている。その先はコンクリートの壁になっているが、そこにトンネルを掘りさえすれば、いつでも西へ行けそうだ。地図を見ると、相模原を経由して丹沢に至るルートを想像できる。神奈川県や相模原市は相模原の先の上溝への延伸を要請しているという。バブル景気崩壊のご時世と、相模原付近の米軍施設が立ちはだかっているけれど、多摩線には夢がある。
唐木田車両基地を出動する電車。
左の奥の線路が延伸予定線。
唐木田駅周辺を散策する。車両基地は台地をくり抜いたような場所にあり、コンクリートの壁に囲まれている。なんとも大規模な工事をしたものだと思う。空地には住宅都市整備公団の案内図があり、この地域も多摩ニュータウンの一部として開発されているようだ。京王も小田急も、都市計画のために延伸を要請されたかもしれない。車両基地を見下ろしながら、周囲の道をぐるっと歩いて駅に戻った。
小田急多摩線を引き返す。3000形という最新型電車である。従来の小田急線電車は、なんとなく人の顔を連想させるユーモラスなデザインだったけれど、この電車は前面に大きな窓ガラスを1枚使い、JR京浜東北線のような顔つきだ。これは最近の通勤車両の流行で、コスト削減、軽量化、リサイクル対応に配慮したデザインだという。
がっしりとした、長持ちする電車を使うより、寿命は短くてもいいから、リサイクルして新しい電車を作りやすくしましょう、という設計思想になっている。この思想を突き詰めると、ステンレス車体で部品点数の少ない、大きな窓ガラスの電車ができる。コンセプトが同じだから、異なる会社の車両でもデザインが似てくるのであろう。
京浜東北線? 否、小田急線。
その3000形の車内はとても静かだ。線路の継ぎ目やモーターの唸りなど、床下からの音がほとんど聴こえない。熱線吸収ガラスのおかげで陽射しも柔らかく、冷房も良く効く。とても乗り心地がいい。だからこのまま乗っていたいけれど、次の多摩センター駅で降りた。京王線の行程に戻らなくてはいけないし、さっきは永山で降りたので、今度は隣の多摩センターで乗り換える。ついでに多摩センターを見物したい。
改札を出て右に曲がると、広いプロムナードがある。その向こうに大きな階段と建物が見える。パルテノン多摩という公共文化施設だ。プロムナードの両側はショッピングセンターが並ぶ。多摩地域の住宅開発の中核として造られた街並みだ。ここが衛星都市としてオープンした頃、多摩ニュータウンはニューファミリーがこぞって移住した。ドラマの舞台としても何度も登場している。しかし、開拓から30年が経ち、現在は高齢化や過疎化も囁かれる。公団が未入居の空き家を値引きしたことで裁判も起きた。まさか土地が値下がりし、ベッドタウンの都心回帰現象が起ころうなどと、あの頃の誰が予想しただろう。
しかし、ここを行き交う人々は若い。子供たちの声も賑やかだ。私はプロムナードの中央を晴れやかに歩き、約80段の『パルテノン』階段を上った。上りつつ、ギリシャの歴史の原点ともいうべき『パルテノン神殿』から名前をいただくとは、なんと大胆なことかと思った。子供のころ、ドラマを見て、あの長い階段の上には何があるのだろうと思っていた。その謎がやっと解けた。人工の池があり、その先の小道は広大な芝生の広場に通じていた。なんと美しい緑だろう。広場の横にはさらに大きな池があり、どこから渡って来たのか、水鳥が佇んでいる。
パルテノンの頂上は老若男女が癒される場所。
まさに地上の楽園。
いまから30年以上も前、農村と山林だったこの土地に夢を託した人々がいた。これだけの開発には、おそらく犠牲も多かったと思う。しかし、開発に携わった人々の意思は、子供たちの無形の思い出として伝わっていくだろう。遊園地や見せ物よりも、子供たちの思い出に残る場所がここにある。走り回る子供たちや、アメンボを捕まえようと水に入ってはしゃぐ子供たちを眺め、私はしばらく、涼しい風に吹かれていた。
-つづく…
■第21-23回
の行程図
(GIFファイル)