穴水着13時34分。私が乗り継ぐ蛸島行きの列車は13時38分発。4分の接続で都合が良い。ここから先が、あと1ヶ月余りで廃止される能登線である。乗客の少ない赤字路線。どれほど閑散としているかと思ったら、なんと3両編成だった。存続される路線が1両だけで、廃止される側が3両。私のように、廃止前に乗っておこう、という人が多いのだろう。しかも最後尾に連結された車両はお座敷列車だった。どこかの旅行会社が温泉と宴会を組み合わせて廃止記念ツアーを催行しているらしい。
前方の2両も年配の客で満席だ。私と京都の鉄道ファン氏はふたたび運転席の後ろに立った。京都氏が、この先に輪島方面の廃線跡がありますよ、と教えてくれた。前方を注視する。分岐点があり、左へ向かう路盤があった。しかしすでにレールはない。いま私たちがいる場所も、4月以降はあんな姿になるのだろう。京都氏は輪島方面が廃止になる前にも能登を訪れているそうだ。私ならその時にまとめて"のと鉄道"に乗ってしまっただろうけれど、彼はゆっくりと旅を楽しむタイプらしい。話し方もゆったりしている。
輪島方面の廃線跡。
初めて乗る路線。再び見ることのない景色。穴水を出た列車は海岸線を行くのかと思ったけれど、意外にも山道を走っている。地図を見ると七尾湾の海岸線は複雑に入り組んでおり、鉄道は町をつなぐようにまっすぐ走っている。海岸からは遠くなるわけだ。数分間の内陸走行のあとで、海沿いの町、中居に着く。そこからしばらく海沿いを走った。養殖筏が見える。七尾湾は日本海側でもっとも牡蠣の養殖が盛んなところで、1年で大ぶりの粒になるという。
再びトンネルの連続になった。トンネルを抜けるたびに、線路脇の雪の白さが広がっていく。雪の多い土地だと思うけれど、これだけトンネルが多ければ、列車が不通になりにくい。鉄道の頼もしさは雪の季節に増大する。そして春になると人々は雪の悩みから解放される。鉄道の廃止が決まったり、廃止すると定められる日は春が多い。会計年度末の区切りだけが原因ではなく、鉄道の有り難みが薄れる時期という理由もあるかもしれない。
何度もトンネルに入り、出るたびに新しい風景が登場する。紙芝居をめくっているようなリズムで景色が変わる。そんな風景の繰り返しを、運転席の後ろから眺めた。そして、妙なものに気付いた。トンネルの入り口に、ひらがなのひと文字が記されている。いま見えているトンネルは"り"、ひとつ前のトンネルは"ち"だった。これはどういう意味だろう? 京都氏に言ってみたものの、彼は気付いていないようだった。
12番目の"を"トンネル。
鉄道のトンネルは、すべてに名前が付けられている。これは鉄道も道路も同じで、保守作業の都合や事故の際の場所の特定に使われている。鉄道のトンネルの場合、たいていは"地名+隧道"という形式になる。同じ土地に複数のトンネルがある場合は、"地名+第×隧道"になる。それが能登線では平仮名の文字になるらしい。
"ち"、"り"、次は、"ぬ"だった。そうか、ならば次は、"る"だ。正解。トンネルの文字は"いろはにほへと"の順に文字が割り振られているのだ。私は勝ち誇りたい気分だった。伊達で文筆業を営んでいるわけではないぞ、と。それにしても、いろはトンネルとは推理小説の暗号メッセージのようだ。遊び心のある仕掛けである。実際の保守作業でも"に隧道補強工事"などと称するのだろうか。……いや、もう保守は必要ないだろうけれど。
遊び心といえば、駅名も遊びで付けられたような名前が多い。私たちの列車は矢波という駅からしばらく海岸線を走っている。矢波の次が"波並"、その次が"藤波"だ。波のつく駅が多い。時刻表をめくると、手前には"鹿波"、"沖波"、"前波"があった。他にも"古君"、"七見"など、"み"で韻を踏む名前がある。"波並"の読みは"はなみ"だが、うっかり"なみなみ"と読んでしまいそうだ。
ここまで乗客数に変化はなかった。誰も降りないし、誰も乗らない。そもそも田畑ばかりで民家のない場所に駅があったりする。しかし、宇出津でかなり降りた。ここは石川県能登町の中心で、近くに町役場がある。乗降客の多い駅だけを結ぶ快速列車があったら、バスに対抗できるのではないかと思うけれど、そのライバルの北陸鉄道バスは一日2往復でバス一台。鉄道を維持できる需要ではない。のと鉄道の本社もここにあるけれど、能登線の廃止後は穴水に移転するそうだ。
トンネルと海岸線の連続。
九十九湾小木も乗降が多い。駅周辺に民家があると利用者も多いようだ。鉄道ファン然とした姿は少なく、所要客と観光客のようだ。リアス式海岸の景勝地であり、付近の港から遊覧船も発着する。廃止対象にしては、かなり使われている路線だと思う。鉄道を組み合わせた観光誘致の手段は無かったのだろうか。
波のつく最後の駅は"松波"で、ここから海岸線を走って行く。次の駅が"恋路"。悲恋の伝説があるところで、通信販売で切符が売れているらしい。この美しい名の駅もなくなってしまうのか。かつて北海道の広尾線には"愛国"、"幸福"という駅があった。鉄道の廃止は旅情を感じさせる駅名まで葬ってしまう。
この海岸には軍艦のような形をした見附島がある。ユニークな形でひと目みたいと思っていたけれど、残念ながら確認できなかった。線路は無常にも海岸線を離れた。遊覧船、恋路海岸、軍艦島と、デートコースの典型のような風景がある。ときどき、道路に二人連れを乗せたクルマが停まっている様子が見えた。列車に視線を移せば、年寄りの団体と鉄道好きの男ばかりだ。
鵜飼でお年寄りの団体が降りていく。彼らは周遊券を持っていたが、どんな趣旨の旅行なのだろう。ここには温泉があり、国民宿舎もある。派手な和倉温泉より、静かな場所を選んだのだろうか。そういえば酒を飲んで騒ぐ人もいなかった。
上戸駅付近。まっすぐに町を目ざす線路。
鵜飼の先のトンネルは"す"だった。47もトンネルがあったことになる。トンネルの数がちょうど"いろはにほへと"の数と一致しているならこれで終わり。いや、もうひとつ"ん"があるかも知れないな。何か予感がして前方をみると、やはりトンネルがあった。なるほど、これが最後のトンネルだ。私は揺れる車内でカメラを構えた。シャッターを押してほっとしたとき、その先にもうひとつトンネルがあった。文字がある。まさかそんなはずは……と慌ててカメラを構えたが間に合わなかった。あれはなんという文字だろう。
"ん"トンネル。しかしその向こうにもうひとつ……。
第95回以降の行程図
(GIFファイル)
-…つづく