20年以上も前、上越線の鈍行列車で旅したときは、清水トンネルを抜けると真っ白な雪景色。それは川端康成の小説そのもので、目が痛くなるような白さだった。それが今回はどうだろう。景色の見えないデッキに耐えること1時間、人の流れに押し出されてホームに出てもコンクリートの階段を上るまでは、まだ都会の続きのようだ。ひんやりした空気が心地よいけれど、雪国にきた実感はない。在来線で少しずつ都会から離れていく。そんな旅が懐かしい。
しかし私の気分は高まっている。金沢行きの特急はくたか号のグリーン車に乗るからだ。上越線のホームに降りると、真っ白な車体に赤い帯の特急列車が待っていた。グリーン車は先頭車。ホームの端は屋根が途切れ、雪が少し積もっている。パイプで温水を撒いているため、足下の雪は溶け、水浸しだ。ぴちゃぴちゃと足音を立てながら歩く。ちらほら白いものも舞う。雪国の旅がやっと始まった。
グリーン車でちょっと贅沢な旅をする。
一人掛けのゆったりしたシートに深く座る。大きな椅子に座り慣れていないから、しばらく身体を動かしてベストポジションを探す。ようやく落ち着いたころ、列車は静かに走り出した。私は靴を脱ぎ、うっかりすると眠ってしまいそうな心地よさを感じながら、久しぶりに雪国の風景を眺めた。新幹線には文句を言ったが、これですっかり上機嫌だ。眉間の皺もなくなっているに違いない。
今回の旅は、乗り物についてはちょっとだけ贅沢をした。そうしたいだけの理由は後で説明することにして、私が用意したきっぷは『北陸フリーきっぷ』のグリーン車版である。『北陸フリーきっぷ』は富山県、石川県、福井県北部のJR路線を自由に乗降できるきっぷで、有効期間は4日間。東京から上越新幹線経由の往復切符と特急券が付属し、夜行寝台特急『北陸』も利用できる。価格は2万1,400円。このきっぷには往復きっぷ部分にグリーン車が使えるタイプがあり、価格は2万4,000円。つまり、たった2,600円の差額でグリーン車の旅ができる。私にとってグリーン車は贅沢なものという認識であり、ビジネスの成功者や金持ちの老人が乗るべきだと思う。でも、この価格なら乗りたい。
車窓は雪景色。雪が積もると人はおとなしくなってしまうらしく、車窓から見える家並みは沈黙している。午前9時前。明るくなったとはいえ、今日は土曜日だ。用事がある人も、出かける前に身体を温めようとしているだろう。白い空、白い地面、白い家並。住む人にとってはうんざりする季節かもしれないが、旅人にとっては珍しくて仕方ない。雪はいい。世間の汚れを何もかも隠してくれる。
車窓は何もかも真っ白。
特急はくたか2号は順調に走り、スキー場や温泉で知られる駅をいくつか通過した。駅を通過する様子に慣れてしまい、六日町駅も他の駅と同じように見過ごした。しかしここから先は私にとって未乗路線の北越急行ほくほく線である。六日町だけはしっかり見届けたいと思っていたけれど、気がついたときには上越線が遠ざかっていた。それははくたか号の速さの証明である。しかし、私にとっては、待ちこがれた人とケジメのない出会いをしたような気がする。
もっとも、北越北線に乗る時に特急はくたか2号を選んだ時点で、ケジメのなさに気がつくべきだった。この電車はほくほく線内では駅に停車せず、終点の犀潟駅すら通過してしまうのだ。はくたか号が上越新幹線と北陸を短絡するための列車だから当然である。そして、この列車を走らせることがほくほく線の使命なのだ。
ほくほく線は元々、国鉄の北越北線として計画された路線だった。地域の発展にとって、鉄道こそが重要とされた時代である。しかし時代は変わり、国鉄の赤字解消を優先するため建設は凍結された。ほぼトンネルばかりでお金のかかる路線だったからだ。それでも諦めきれなかった地元では第三セクターによる建設続行を選択。さらに、国鉄の赤字を抜本的に解消するための分割民営化が事情を変化させた。北陸を管轄するJR西日本とJR東日本が手を結び、ほくほく線経由で関東と北陸を直結する意向を示した。
そこには、従来の新幹線米原乗り換え、つまりJR東海経由のルートに対抗する目的と、豪雪地帯で運休しがちな航空機に対して有利だという思惑があった。その結果、北越北線はほくほく線と名を変えて建設された。しかもその使命から、山中のローカル線ではなく、新幹線とほぼ同じ規格で建設された。その恩恵を受けて、はくたかは在来線最速、時速160kmで豪雪地帯を駆け抜けるのだ。
だから車窓は上越新幹線によく似ている。新幹線より街に近いから、雪国の建物を眺められる。しかし、ほとんどの区間はトンネルと高架線だ。トンネルを出て駅を通過してまたトンネル。潜水夫が息継ぎのために仕方なく水面から顔を出すように、ちょっと外に出てまた山中に潜る。飯山線と接続する十日町駅付近や、やや地上区間が続くうらがわら付近では、雪を舞い上げるので景色が見づらい。しかし、車窓がつまらないかといえばそうでもなかった。窓に貼り付いた雪は見事な結晶の粒になっていたし、トンネルの中ではそれらが水滴となって、窓ガラスを這い回る。それはまるで小さな生命体が活動するかのような、なんとも幻想的な水の芸術であった。
水滴の芸術。
はくたか2号は、それがたいしたことではない、とでも言いたげに犀潟駅を通過し、信越本線に合流する。ここからの景色もいい。日本海の沈んだ色と、雪をまとった白い街並みの対比が印象的だ。そして金沢駅直前、奇跡的に青空が広がって、畑に積もった雪が輝きだした。晴れた地域に入っただけのことなのだが、こちらは車窓の視点だから、景色が好転したように感じる。期せずして、雪見を楽しむ車窓の、極上のクライマックスとなったわけだ。
ほくほく線の風景を楽しむなら、夏に再訪して各駅停車に乗ればいい。しかしはくたか号が見せる車窓は、雪の時期こそおもしろい。金沢駅のホームに降りたとき、私は朝の喧騒をすっかり忘れていた。満足げに列車を振り返れば、冷たい水に洗われた艶やかな車体があった。赤い帯を巻いた車両は北越急行の所有で、スノーラビットという愛称がある。自社線内の駅に停まらない車両というのも奇妙な話だが、もうそんなことはどうでもよくなっていた。
金沢駅に到着したスノーラビット。
第95回以降の行程図
(GIFファイル)
-…つづく