第22回:タイの象・その知られざる苦難
更新日2003/02/06
タイを代表する動物といえば、象。象はタイ土産のモチーフにされるだけでなく、日本人の想像以上にタイの国と人に深く関わっている。
そもそもタイ族が現在の国土に定着したのは12世紀頃で、象と最初に出会ったのもその頃だといわれている。タイ族は当時の先住民族から家畜としての象の扱い方を学び、農作業や山林の木材運搬などに利用していた。
象とタイ人との結びつきは、そんな身近な実用性だけでない。

バンコク市内の出稼ぎ象
タイ人の95%が信仰している仏教は、釈迦(のちに仏陀と呼ばれる)が悟りを開いて興した宗教である。仏教の基本的思想に輪廻転生があるが、釈迦は現世で修行しただけでなく、前世においても大変な功徳を積んだからこそ、このような存在として現世に出現したのだと考えられている。
仏陀の前世の物語、「チャードック物語」の中には、さまざまな生命に生まれてきた仏陀が善行を積む姿が描かれている。その中に象として生まれ、善行を積む仏陀がいるのである。象は仏陀の前身とされているのだ。
それだけではない。仏陀の母親マヤ夫人の夢に現れる白象。夢の中で白象は夫人の胎内に入る。夢占いの結果、夫人はこれから王子を身ごもり、その王子は国を治めれば大王になるだろうし、信仰の道に進めば大法王になるだろうと言われる。そして、のちに生まれてくるのが仏陀その人である。
今ではもう目にする機会はないが、14世紀のアユタヤ王朝の時代には、タイ人は象を駆って敵と戦った。一昨年公開されたタイ映画『スリヨータイ』では、ビルマ軍との騎象戦のようすが壮大なスケールで再現された。
農作業や戦などで人間に仕えながら、一方で愛着を持たれたり、畏敬の念を抱かれたり、ときには神格化されるというのが、ワタシが考えるタイの象の位置付けである。「ゾウさん、お鼻が長いのね」と、愛玩の対象にしている日本とは背景も意識も大きく異なる。
だが、現代都市のバンコクでは象はあまり歓迎されない存在となってしまった。地方から出稼ぎに来た象が、夜な夜な外国人観光客相手に餌をねだる。最近は観光客のいないような住宅地にも現れるようになった。象使いは象にやる餌を客に売りつけ、その収入で象と象使いは生活しているのである。
象使いは、「田舎には象に食べさせるものがないからバンコクに出てきたんだ」と言う。タイの農村事情を知らないワタシは、そうなんだ、象も大変なんだなあと真に受けていた。ところが、象使いが稲刈りのために象を連れて田舎に帰るというテレビ番組を見て、それはでまかせだということがわかった。田舎にはバナナの樹や葉といった、象の餌になるような植物がふんだんにあったからである。
正確には、象が食べられないのではなく、象使いが食べられないのだろう。昔と違い、農作業に象を使うことはほとんどなくなった。手っ取り早く現金収入を得たいなら、観光客相手に象の餌を売りつけるのは効果的といえる。しかし、渋滞して排気ガスの立ち込める道路を、象使いにひかれながらのそりのそりと歩く姿は哀れとしか言いようがない。
暗闇の中で側溝に足を取られてクレーン車のお世話になったり、発情期にいきなり路上で暴れだして人間に危害を加えたりという事故も日常茶飯に起こっている。それを案じた政府は、バンコク都内の象を強制的に他県に移動させる計画を発表したばかりだ。
東京都の井の頭自然文化園に、日本国内最長の飼育記録を持つ雌象がいる。はな子といい、推定年齢55歳。加齢と共に抜け落ちた歯は、現在1本しか残っていない。飼育係が餌をフードプロセッサーにかけて団子状にし、噛まなくても消化できるようにして与える。まさに至れり尽せりである。
この象は1949年に、「戦後の日本の子供たちに明るいものを」とタイから贈られたものだそうだ。はるか異国の地に暮らすはな子は、故郷の同胞たちの苦難を知るはずもない。
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