第28回:南京虫の考察
南京虫と呼び習わしてきたが、日本では“トコジラミ”と呼んでいる地方が多いらしい。学名は“Cimex lectularius”で、英語では直接的にベッド・バグ(ベッドの虫;Bed bug)と呼ぶ。私に豊かな南京虫洗礼を授けてくれたスペインでは、“チンチェ(Chinche)”と言う。汚いものを“チンチャル(Chinchal)”、嫌がらせをすること、殺すことにまで“Chinchar”という南京虫に関連した動詞にさえなっている。不潔の極み南京虫だらけのところを“チンチャレーロ(Chincharrero)”と呼び、ともかく汚く、嫌悪されるコト、モノ、場所に広く使われている。それだけスペインの南京虫はスペイン人の生活に密着してきたのだろう。メキシコで市民権を得て、唄に歌われている“ラ・クカラチャ(La Cucaracha;ゴキブリ)”と違い、ひたすら忌嫌われるだけの存在だ。
日本語でトコジラミと呼ばれているが、シラミ(虱)とは姻戚関係になく、むしろカメムシに近い。ここで、南京虫など見たこともない、名前すら初めて知ったという幸運な人のために、形状、生態を書き連ねてみる。

南京虫(日本名:トコジラミ、英語名:Bed bug)
もっとも、私はスペインとモロッコ産しか実見していないから、日本産や最近大いに張り出してきたアメリカのものは多少、形状が異なるかもしれない。
お体はベージュから茶褐色で、色は生き血をタラフク吸った後か、卵から孵ったばかりか、十数日の断食中であるかによって変わると思われる。楕円形、玉子型の全長、4ミリから7、8ミリの大きさで、生き血をたっぷり吸い込んだ南京虫は体形そのものまで変わり、丸々と太り、細く短い足をうごめかし、大儀そうに移動するので、これを潰すのはいたって容易だ。
ボールペンなどで潰すとブッシュとばかり、血が飛び散らんばかりにシーツを濡らす。それが、すべて私の血なのだ。その時、独特の嫌な臭いを放つ。空腹のものは異常に平ペッタク、生きているのか、死んでミイラになったのかチョット目には判断がつかない。だが、ペン先などでツツクと細い足がウゴメクので、ミイラ状の仮死状態ではあるが、生きていることが知れる。
俗に、南京虫の噛み痕、刺された跡は点々と2ヵ所づつあると言われているが、私の場合ヤラレタ痕はどこだと確定できないほど腫上がるので吸血口が判らないことが多い。そして、噛まれた2日後に腫れが始まり、1~2週間で腫れは引くなどとのんきなことが物の本に書いてある。
腫れも2~4センチ、英語版のWikipediaでは直径2インチ(5センチ)ほどに腫れることもあり、体質より大きく異なるとある。酷い例では、アレルギー反応を引き起こし、呼吸困難になるケースも報告されているとある。一方、刺されても何の反応も起こさない…信じられないことだが、そんな幸運な体質の持ち主がこの世にいるのだろうか…人もいる…と書いてある。
私の場合、最悪に近く、まず刺されたところは直径8~10センチくらい、マンゴーを半分に切って腕や脚、お腹に貼り付けたような状態になる。それが激しい痒みを伴い、2週間は消えない。どうにも私は虫に好かれ、刺されやすい体質の上、これだけ南京虫にヤラレ続けても対抗性、免疫性が高まることがなく、南京虫の臭いを嗅ぐだけ、目にしただけでザワッと全身に粟が立つほどの南京虫神経症になってしまったようなのだ。

刺されると激しい痒みに襲われる
マドリッドは郊外のカサ・デ・カンポのユースホステルに日本人、ヨーロッパ人、北米人など常時数十人はいたはずだが、皆さん、私ほど南京虫恐怖症に陥ることなく過ごしていたから、私が例外的に虫刺されに弱い体質を持っていただけなのかもしれない…。
私自身、大学に行くまで北海道で育ったので、ゴキブリも南京虫も虱もダニも見たことがなった。終戦後の当時、居間だけを石炭ストーブで暖める生活が当たり前だったから、そのような虫どもは越冬できなかったのだろう。現在、家全体を暖める暖房が普通になってきたので、害虫が越冬し、繁殖しているのでないかと想像する。
南京虫が太古以来(アメリカ、オレゴン州のペイズリーの洞窟で見つかった南京虫の化石は1万年前と推定されている)絶滅することなく、生存し続けているのは、長期間、餌に、血のことだが、ありつけなくても生き延びることができるからだ。南京虫のご先祖様“Cimicidae”は1億年以上前から生息していたといわれ、それはコウモリが現れる三千万年以上前のことだ。それまでいったい何の血を吸っていたのだろうか…。
血を吸わずに生き延びた最長生存期間は、日本では18ヵ月、アメリカの報告では30ヵ月の記録まである。普通の室温では平均70日間生き延びる。このような断食生存は、気温、湿度が大きく影響しているらしい。それにしても、一度満腹すると、その後、半年、1年、飲まず食わずで生き延び流ことができるというのは、なんという体の仕組みだろう。恵まれた環境、ということは餌食になる人間様が美味しい血を提供してくれるところでは5日から7日に一回の食事をしていることになる。
昆虫も交尾する。南京虫もしかり。オスの体をひっくり返すと、腹の後方に肉眼でも見える突起がある。それがペニスだ。一方メスの方にも腹部に切れ込みがあり、それが女性器だが、これは見えにくい。交接後、卵を毎日10個ほど産み続け、南京虫のメスは生涯に200~500個の卵を産む。卵の数の違いは人間様の血の供給量と環境による…とされている。この虫は全く節操、モラル意識がなく、近親相姦が当たり前、同じ母親から生まれたもの同士で平気でセックスするだけでなく、母親とも関係を持つ。ますます強力な子孫繁栄を図っているのだ。
人肌を刺す時に一種の麻酔の働きをする液を出し、皮膚を麻痺させ、それから存分に血を吸い上げる。そういえば、チクリという感覚より、モゾモゾ何かが肌を這い、うごめいている感じがして、シーツをメクリ、下着をひっくり返すと、そこに満腹した南京虫を見つけることが多かった。その時はすでに遅し、刺された後だから、手の打ちようもなく、腹いせにその南京虫を潰すことしかできないのだ。それが2、3匹なら退治のしようもあるのだが、一匹見つけるとその背後に100匹はいると言われているから、始末に終えないのだ。
南京虫だけではないが、蚊やサンド・フライ、ブヨなど人様を刺す虫、吸血虫は、人間が発する二酸化炭素と体温、そして確定されていない科学的物質によるものとされている。私が連れあいや友人たちより体温が高いということはないと思うし、皮膚呼吸で発散している二酸化炭素の量が地球温暖化に貢献するほど多いとは思わない。それでいて、私だけが集中的に攻撃されるのは、第三の要因、南京虫を誘惑し引き付ける何らかの科学的物質を発散しているのだろうか。女性を惹きつける特殊なフェロモンなら大歓迎だが、皮膚を刺しまくる、羽虫、這いずり回る虫だけが寄ってくるのだ。これは重大な問題だ。
第29回:南京虫の考察~いかに絶滅を図り、身を守るか
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