第27回:バルセローナの南京虫 その3
安ペンションを泊まり歩いていてやりきれないのは電灯の暗さだ。小さい豆電球に毛が生えた程度の裸電球が天井からぶら下がっているだけなのだ。日中集めたその町のパンフレットを見ることもできず、ズボンの尻ポケットに持ち歩いている文庫本を読むのは問題外の暗さ、光量なのだ。寝床で読み物をする癖のある私にとって、本を読めないのは惨めなことだった。

1980年代の安ペンションの部屋(イメージ参考)
スペインの古い建物は壁が厚い、これでもかというくらい分厚く、夏の暑さを遮ってくれる。しかしそれは、部屋が一つとして建てられた当時そのままの形で存在している場合で、その大きな部屋をベニア板か軽量レンガか何かで適当に仕切り、小部屋を乱造したところには当てはまらない。両隣の音が筒抜けなのだ。おまけにスペイン人の張りのある声量豊かな話し声は、まるで鼓膜に直接語りかけているように響くのだ。
細長い窓を開け放ち、鼻先に迫るテレビのアンテナが林立する屋根などを眺めていたところ、隣に入ってきたカップルが睦言をささやき出したのだ。ヒメゴトとは程遠い乳繰り合いが即座に始まった。ジョーネツの国スペインと紋切り型のように言われるが、お隣さんカップルの絶叫はまさにそれを地で行っていた。一体全体あれだけ凄まじい叫び声を、周囲を憚ることなく上げることができるものだろうか。ベッドがリズミカルに軋む音だけでなく、小さな地震のような揺れが伝わってくるのだ。女性の喚き声は動物的で、咆哮と呼びたくなるテのものだった。
私が泊まったペンションはどうにもお金のない若いカップルがラブホテルとして利用するか、街娼が客を連れ込むところのようだった。
息も絶え絶えになったお隣さんがコトを終え、部屋を出て静まり、私はようようの思いでベッドに身を横たえた。それからものの5分と経たないうちに、脚や腰の周りにモゾモゾと動くものがあり、チクリと刺す気配があったのだ。
私はすでに生理的に南京虫を想像しただけで、全身に粟が立つほどの南京虫アレルギー、神経症になっていたから、まるでベッドに爆弾でも仕掛けられたかのように飛び上がった。薄暗い電灯を点け、かすかな光を通してさえシーツの上に蠢いている十数匹の南京虫がいるのが見て取れたのだ。
私は即座にショルダーバックに持ち物を詰め込み、南京虫の付いたシーツを丸め、一階のペンション受付ドアを蹴ったのだった。親父はだらしない寝巻き姿で現れ、私の拙いスペイン語での抗議に新しいシーツを渡すから、部屋に戻れ、南京虫は私の前に泊まっていたモロッコ人が持ち込んだものだ…と、悪いことはすべてモロッコ、アラブになすり付ける弁解をしたのだった。
普段ならたいした金額でもないし、12時過ぎの夜中に宿を探すのはシンドイことだとしても、遊び心でそんな宿を選んだのだからと、黙ってペンションを飛び出すところだが、私にしてはよくぞ頑張ったと自認するのだが、「金を返せ、グアルディア・シビル(治安警察)、ポリシアを呼ぶぞ…」とスペイン人が異常に恐れる官憲を楯に取り、南京虫をあたかも親父に振り掛けるように南京虫の付いたシーツを親父の前で振りたてたのだ。グアルディア・シビルへの畏怖か、南京虫への怯えからか、親父の顔が引きつり、料金を投げるように返して寄こした。私は南京虫の付いた敷布を親父の顔に投げ付け、そこを出たのだった。

バルセロナのゴシック地区(Barrio Gótico)
私のバリオ・チノ、ジャン・ジュネ探索は南京虫に追い立てられるように失敗したのだった。ジャン・ジュネは『泥棒日記』の中で一言も南京虫について語っていない。彼が最大の近親感をもって語るのは虱(シラミ)だけだ。
≪……一方、私は夜、蝋燭の光で、彼のズボンの縫い目のところをひっくり返して、我々の親しい伴侶である虱を探した。虱どもは我々を棲家にしていた。……我々はこの半透明の生物たちがそこで生きいきと繁殖しているのを意識すること――そして感じること――を好んだ。≫そしてシラミに対し、≪成功と呼ばれるものを味わうための宝石と同じように、我々に零落を確と味わうために役立つものとなって以来、虱は貴重な存在であった。我々はそれらを恥ずかしく思うと同時に誇りに感じていたのだ。≫とシラミにタカラレタながらも、シラミを哲学的存在にまで高めているのだ。
私は南京虫にアッサリと負けた。
バリオ・チノの安ペンションを飛び出し、ランブラス通りに面した、一応レセプションがある二つ星のホテルの風呂、シャワー付きの部屋にチェックインしたのだった。私は南京虫を慈しむどころか、その臭気を洗い流すように熱い風呂に身を横たえたのだった。衣類、下着を仔細にチェックし、南京虫を運び込まなかったかを確認したのだった。
生物史上、太古から絶滅することなく生き延びてきた南京虫は、抵抗力を増し、強力になり、現在もスーパー南京虫として拡散しつつある。ほとんど、人類の友にまでなっている。
“このコニャックは南京虫の臭いがする”というのはペシミストで、“この南京虫はコニャックの匂いがする”という人間はオプチミストだ…と言われるが、自身相当なオプチミストを自認している私は、南京虫に関してだけは、重症のペシミストであることを認めないわけにはいかない。

旧市街のレイアール広場にあるガウディの街灯
※注:『泥棒日記』は新潮文庫の朝吹三吉訳、『アデン・アラビア』は花輪莞爾訳による
第28回:南京虫の考察
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