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■ビバ・エスパーニャ!~南京虫の唄
 

第25回:バルセローナの南京虫 その1

更新日2021/09/02

 

オヒツ宅に居候していた私に、仕事とまでは言えないが、調査、探索の役目を持ってきてくれたのはオヒツ自身だった。彼が子供の頃から親戚以上に親しくしている人物で、建設会社を経営している知人のFさんがオヒツに調査を頼んできたのだ。彼の建設会社の金をゴソッと持ち逃げした自衛隊上がりのセールスマンが香港を経て、スペインに逃亡しているらしい、その横領犯の所在を突き止めてもらいたいと言ってきたのだ。

多少は旅行慣れしている私に、「ソースケ、お前、やってみろや」と話を回してくれたのだった。私は二つ返事で引き受け、横領犯のあらましを聞いた。犯行は計画的で、何年も前から、少しずつ売上をポケットに入れ、最後の大金横領の準備を図り、当時のお金で1億円近い金額を持ち逃げしたのだった。

1970年代には旅行の自由化が進み、海外旅行が幕を開け始めていた。彼は何度も香港に行き、おそらくは香港にいる日本人相手の“日本語遣いのビジネスマン!”の手引きがあったのだろう、銀行口座を開き、日本から持ち出した円を香港ドルに替え、蓄えていた。

香港で彼は景気の良い日本の貿易商という触れ込みだったようだ。そこで40フィートの豪華ヨットをチョイ・リー造船所に発注しており、そのクルーザーをバルセローナへ船積み輸送していることを突き止めたのだ。彼がどの程度のヨット乗りなのかは不明だったが、香港のチョイ・リーという造船所を選び、スペインまで海運輸送していることからみて、相当なヨット・マニアだろうと想像できた。

ここで調査、探索などと書いたが、オヒツの知人、Fさんはすでに日本の警察に届けていたから、横領犯はインターポールのブラックリストに載っていたと思う。しかし、逮捕権のないインターポールが横領程度の捜査にどれほど本腰を入れるか疑問に思う。万が一、私が横領犯の所在を突き止めたとしても、地元スペインの警察を通じてインターポールに連絡を取って貰い、同時にFさんに通報することしかできない、なんとも権限のない探偵仕事だった。

外国で日本人を探し当てることは、それほど難しいことではない。第一、現地語ができないから、たとえ多少できたとしても、狭い日本人コミュニティーの中で動く傾向がある。その町の日本料理店や日本人サークルに接触するから、案外簡単に居場所が知れるのだ。ましてや、クダンの横領氏のように、急に大金を掴み、散財し始めた目立つ人間の後を辿るのは容易なことだった。

Castellon-01
Castellón de la Plana 海岸に広がるリゾート

彼はバルセローナから南に下った新興避暑地カステリョン・デ・ラ・プラナ(Castellón de la Plana)に、スペインでカサ・アドサダ(casa adosada;テラスハウス)と呼ばれている長屋のように隣とくっ付いている高級別荘団地の一軒を購入していた。それをオヒツに報告した。

当時のヨーロッパでまだ珍しかったチョイ・リー造船所のクルーザーの行方を辿るのも簡単だった。ヨットはマリーナに入らなければならず、日本人オーナーがヨット、チョイ・リー・クルーザーを所有していること自体目立つし、日の丸を揚げたヨットはさらに珍しい。また、限られた数のマリーナへ出向き、入出港の記録を見せて貰えば、即足取りが掴めるのだ。

クルーザーはバルセローナからマジョルカ島に移っていた。私はマジョルカ島へ渡った。フェリーでバルセローナからパルマ・デ・マジョルカまで7、8時間の距離がある。パルマ市内の安ペンションに部屋を取り、湾内にあるヨット関係のクルブ・ナウティコ、クルブ・デ・マール、アレナルとマリーナを回った。

十数年後、私は朋友服部とそこでヨットを購入するため、マリーナ巡りをすることになるのだが、その時、自分がクルーザーを買える身分になるとは想像もしていなかった。

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Palma de Mallorcaのヨット・ハーバー

マジョルカ島でも、彼氏とヨットの足取りはすぐに掴めた。その当時、スペインの大きなマリーナには出入国管理と移民局、税関、国家治安警察を兼ねた小さな詰め所があり、少数のグアルディア・シヴィル(Guardia Civil;国家治安警察官)が詰めていた。そこに寄ると、私の間違いだらけのスペイン語の問い合わせにプライバシーも何もなく、「そうか、あいつらは悪い奴だったのか」と、ヨットの出国届を見せてくれたのだった。

彼ら、奥さんと多少は経験があるらしいヨット乗り(イギリス人のヨットゴロ?)をクルーとして雇い、3名でフランスのニースに向かったことを知った。それが1週間ほど前の日付になっていた。私自身、マドリッドの国家治安警察本部の地下の牢獄から出てきて1ヵ月しか経っていないのに、今自分が日本の横領犯を追い掛け、バルセローナやカステリョン、そしてマジョルカの警察署を尋ね回っているのには流石に笑ってしまった。自分に「オメーもようやるよ…」と言ってやりたかった。

何の資格もないのに、スペインのお巡りさんは私にとても親切だった。彼らの基準は、「そうか、あいつらは悪い人間だったのか…」だけだった。いずれにしても、皆暇そうだったから、退屈しのぎに相手をしてくれただけかもしれないが…。

オヒツに横領氏とヨットはすでにフランスのニースに向かい、おそらくそこにいると報告し、ニースまで追いかけるかどうかを尋ねたところ、一旦マドリッドに帰って来い、知人のFさんがスペインに飛んでくるので、それから決めるとのことだった。

私の探偵ゴッコは終わりを告げたのだ。クダンの横領氏、カステリョンで買った豪華別荘に一泊もしなかったのではないか。地中海に別荘とヨットとまるで憧れを絵に描いたような夢の暮らしを追っていたのだ。また、逃亡には莫大な費用がかかることを思い知らされたことだろう。当初、大金を掴んだ喜びのうちに散財を繰り返すのは良いが、定期的収入がないとなると、そんな金はすぐに底をつくものだ。

私はバルセローナに戻った。その街で数日過ごすことにしたのだ。バルセローナ行きの前書きがとても長くなってしまった。

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La Ramblas バルセロナ中心街を代表する並木通り

私が宿を取ったのはバリオ・チノ(Barrio chino;中国人街)だった。中国人街と言っても横浜やロサンジェルス、サンフランシスコ、ニューヨークの中華街とは違う貧民窟地区で、バルセローナの中国人街、バリオ・チノに中国人は住んでいないと思う。単なる狭く、汚い貧民窟という蔑称が固定したものだ。

カタルーニャ広場から幅の広い並木道、ランブラス(La Ramblas)が緩やかな傾斜をなしてコロンブスの銅像のある港へと降りている。ランブラスの南側にオペラハウス、リセオがあり、広大な市場がある。さらにランブラスを降り、港に近づいた右側の古く狭い小路が入り組んだところがバリオ・チノだ。

私がこの地区に拘り、ホテルとは名ばかりの木賃宿に泊まったのは、ジャン・ジュネ(Jean Genet)の『泥棒日記』(Journal du voleur)に触発されたからだ。私にとってバルセローナは、ガウディでもピカソ、ミロの町でもなく、若きジャン・ジュネが汚物にまみれ、シラミがたかった身体で男娼、コソ泥、裏切りを繰り返し、糞尿の臭気が充満した狭い小路を這い、うずくまるように徘徊した街だった。


 

 

第26回:バルセローナの南京虫 その2

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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