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第18回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 7

更新日2021/07/15

 

“ラ・パショナリア”(La Pasionaria;受難者または情熱の花、熱血、情熱の人の意)、ドロレス・イバルリ・ゴメス(Dolores Ibárruri Gómez;1895-1989年)に、私はほんの僅か因縁がある。と言っても、表紙に“¡No pasarán!”(ノー・パサラン!;奴らを通すな:ドロレス・イバルリのキャンペーンで、キャッチフレーズになっていた)と大きく書かれ、彼女がデモの先頭に立っている写真が載っている本を、マキシモの屋根裏部屋で治安警察に踏み込まれた時、持っていただけだが…。

正確には、踏み込まれた1、2週間前まで、その本とガルシア・ロルカ(García Lorca;詩人、劇作家、グラナダ郊外でフランコ・ファシストに暗殺された)の伝記と詩集を日本から持って来ていたのを、偶然から、友人に貸していたのだ。もし、その本が私の部屋で見つかっていたら、長期刑を食ったことは確実だ。危ういところだったと思う。友人がそれらの本を燃やしたかゴミと一緒に捨てたと、私が出所してから聞いた。私の逮捕劇はマドリッドに住む日本の若い連中、ユースホステル仲間、ラストロ(蚤の市)仲間、画学生、ギター修行生にちょっとした恐慌を及ぼしていたらしいのだ。

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Dolores Ibárruri Gómez(1895-1989年)

私が逮捕された時、ドロレス・イバルリはパリに居を構え、かつそこにスペイン共産党本部を置き、書記長サンティアゴ・カリーリョ(Santiago José Carrillo Solares;1915-2012年)と共に打倒フランコを叫んでいた(イバルり自身、1942年から1960年まで党首を務めていた)。 

ドロレス・イバルりは1895年にバスク人の父、カスティーリャ人の母との間に、11人兄弟の8番目として生まれた。先に書いたように、父親は炭鉱労働者だった。スペインのすべてがそうであるように、両親、兄弟みな伝統的なカトリック信者だった。父親だけの収入で11人の子供に十分な食べ物を与えるだけでも大変なことだ。

私がスペインの土を踏んだ時ですら、堕胎はもちろん、産児制限、避妊(避妊ピル、コンドームの販売も許可されていなかった)などが許されない教義の下で、8人以上の子供がいる夫婦は珍しくなかったし、私の個人的な知り合いの最高は22人兄弟というのがいた。そんな大家族を維持できた父親も偉いが、22人をも生み続けた母親の体力も半端ではない。コンドームでさえ一般に市販されておらず、蚤の市で外国から持ち込んだものを、「風邪の予防に…」と、爺さんが呟きながら売り歩いていた時代だった。

彼女の自伝によると、おそらくカソリックの尼さんが経営する学校だと思われるが(教師になる学校、公立のものは少なかった)、15歳でそこへ入学しているから、それだけの学力を身につけていたようだ。だが、一旦入学はしたものの、すぐに退学している。働いて家をサポートしなければならなかったからだ。授業料を払うゆとりなど、彼女の家になかった。

後にドロレス・イバルリは、その時の自分を振り返って、“私が育った環境では、女は女中、下女になるか、炭鉱労働者の嫁になるしかなかった”と言っている(自伝『El Unico Camino』;唯一の道による)。それは下層階級、労働者、貧農のすべての女性に当てはまる現実だった。イバルリ自身、退学してから、針子になり、引き続いて子守、雑用をこなす下女になっている。それが15歳の時のことだ。

彼女自身が予言していたように、イバルリは炭鉱労働者、フリアン・ルイスと結婚した。21歳の時だ。元々イバルリは向学心、好奇心が旺盛だったことはあるにしろ、夫のルイスは炭鉱労働者のリーダー的存在(今で言えば労働組合的組織になるだろうか)であり、社会主義者だった。彼の影響が大きかったに違いない。イバルリの目はルイスによって開かれたと言って良いだろう。

もっとも、イバルリにそれだけの要素が備わっていた。この時期に、社会学やマルクスの著作を読み、カトリックとそれに結び付いたファシズムに批判的になって行った。夫と共に、1917年のスペイン初のゼネストに参加し、また1919年にスペイン社会主義労働党の共産部に入会している。

La Pasionaria=情熱の人と自ら称したのは、1918年に地方紙『El Minero Vizcaino』(ビスカヤの鉱山労働者)に署名入りの記事を書いたのが最初だった。時にイバルリは23歳だった。

ドロレス・イバルリのこの時期の活躍はまさに東奔西走の態で、スペイン共産党の幹部であり、共産党の機関紙『労働者の世界』の主筆であり、反ファシスト女性同盟の委員長であり、あちらこちらの集会で演説し、会議に参加し、しかもその間に、6人の子供を産み(4人は幼時に死亡)育てているのだ。彼女自身が自らを“情熱の人”と呼ぶように、体内からあり余るエネルギーが放出しているかのようなのだ。

ロシア革命に彼女は非常に感激し、革命後のソビエト・ロシアに理想郷を見たのだ。1932年に開かれた共産主義インターナショナル実行委員会、第13回全体会議にスペイン代表として参加している。この時のドロレス・イバルリのコメントは、イデオロギーが現実を見る目をいかに曇らせるかの典型だ。

その当時の共産圏の国々は、招待したお客さんに、見せたいものだけを見せるだけで、招待客がコースから外れ、横道、裏通りを自由に徘徊することなどできなかった。そんな事情を招待客も目暗でもない限り容易に察することができたはずだが、イデオロギーという強いメガネを初めから掛けていたドロレス・イバルリには、現実が見えなかったのだろう。

彼女は、“私は魂の目でそれらを観た。モスクワは地球上で最もすばらしい街で、社会主義が現実に邁進し、管理されているのだ。プロレタリアートの夢が建設されているのだ。ここでは、共産主義へと向かっている人類の前進を、目の当たりに観えるのだ”と、ソビエトのあり方を、手放しで絶賛しているのだ。1932年の年末といえば、1924年に政権を握ったスターリンの粛清が始まっていたはずだが、それには一言も触れていない。 

ソビエト・ロシアに一歩も足を踏み入れたことがないオルテガ・イ・ガセットが冷徹な目で見抜いたように、共産主義革命の危うさ、エリート党員が牛耳る政界の恐怖をドロレス・イバルリには全く見えていなかった。しかし、誰がドロレス・イバルリを笑うことなどできよう。ソビエトが崩壊するまで、かの国を訪れた、主に招待され、見せられたものだけを見てきた日本の“進歩的文化人”も、多かれ少なかれ強い偏向レンズのメガネを掛けて観てきたソビエト見聞をなんと多く書き残していることか。

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キューバ革命5周年記念式典でフィデル・カストロ首相と(1963年12月)

今、鳥瞰図的に観ると、イデオロギーは現実離れし、時代に先行した思想とも言える。虐げられた階層にとって麻薬的な中毒症状をもたらしていたのだろうか。それが一つの大きな力を産んで行ったとは言えるが、年月を経た今、一つひとつのイデオロギーがなんと色あせて見えることだろう。

イデオロギーとは、人類が夢見てきたエル・ドラド(El Dorado;黄金郷、理想郷)を求める求心力のバリエーションではなかったかとさえ思う。全人類にとっての理想郷などあり得ないのだ。パプアニューギニアにもアマゾンの奥地にも、理想郷は存在しなかった。

ドロレス・イバルリは10年の結婚生活を打ち切り、17歳年下の愛人を持った。この方面でも、まさに“ラ・パショナリア”=“情熱の人”を地で行ったのだ。

 

 

第19回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 8

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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