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第16回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 5

更新日2021/07/01

 

取調係が変わった。ただ英語が使えるというだけの若年の赤毛と栗毛に変わり、中年も後期の太ったハゲが尋問役になった。彼はむしろ優しい口調で、ゆっくりと質問してきた。発音こそスパングリッシュ(スペイン英語)だったが、彼の英語の能力、ボキャブラリーの豊かさは、彼が相当なインテリであることを思わせた。何よりもありがたかったのは、質問の度に私を小突かないことだった。

禿げ爺さんの質問は多枝に渡り、私の私生活に始まり、家族、大学での専攻、成績、趣味、スコットランドでのこと、バックパッカー、ヒッチハイクのことなど、一見全く私の逮捕に無関係な質問をし、私の体験談を楽しんで、時には微笑みながら聞くのだった。その中に、今の日本政治の在り方、ミュンヘン・オリンピックの事件のことなどを何気なく織り交ぜ、話のついでにちょっと訊いてみたとでも言うように、質問してくるのだった。日本の学園紛争のことなど、ついうっかり私の考え、集会やデモへの参加など、口を滑らしそうになった。

禿げ爺さんも、なかなか巧妙な狸なのだった。
元々私に確固たる政治思想があるわけではなかったが、私はノンポリ学生、政治意識のない、ただのバックパッカーである自分を彼に印象付けようとした。 

スペインに関心を持つ者の常として、市民戦争は避けて通ることのできない関門だ。フラメンコと闘牛だけで済ませることはできないのだ。友達になったオヒツ(ダキオ)に誘惑されるまま、スペインに長居することになったのだが、日本で岩波新書的、皮相的にではあるがスペイン関係の本に一応目を通していた。

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『ドレのドン・キホーテ』 訳:谷口 江里也

古典とは、著作名は広く知れ渡っているが、通してすべてを読んだことがない本のことだとすれば、『ドン・キホーテ』などはその最たるものだろう。日本語の翻訳本で、何度かチャレンジしたが、あのシツコイくらいのレトリックに食傷し、最長で20ページにも到達しなかったと思う。全編を最後まで読んだのは、友人の谷口江里也がギュスターブ・ドレの版画入りで大人の絵本のように仕上げた翻訳本を手にしてからだった。

本の虫であった私にとっても、スペイン文学は視界に入っていなかった。『ドン・キホーテ』が古典的名作と褒めちぎられるようになったのは、ウナムーノ(Miguel de Unamuno y Jugo;1864-1936年)が『ドン・キホーテとサンチョの生涯』(Vida de Don Quijote y Sancho:1905年)を書いてからではないかと思う。

ウナムーノというこの巨人、天才は、18歳の時に博士号を取っている。文学、哲学、言語学、心理学、論理学に精通し、バスク語もこなした。私自身、その後、スペインのイビサに長年住んだ割りに、自分のイビセンコはもとよりスペイン語レベルの低さに留まったことをさて置くとしても、この巨人、ウナムーノは17ヵ国語に精通し、会話もできるなら、読み書きも達者という語学の天才ぶりに、唯々感嘆するばかりだ。

彼は古代ギリシャ語はもとより、アラビア語も堪能だった。イプセン、キルケゴールを読むためにデンマーク語を習得したといわれる。こんな天才だから、翻訳、著作も多い。法政大学出版局が『ウナムーノ著作集』(全5巻)を出版しているし、講談社現代新書に『ドン・キホーテの哲学 ウナムーノの思想と生涯』(佐々木考著)は手っ取り早くウナムーノを知るには格好の本だ。

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ミゲール・デ・ウナムーノ(Miguel de Unamuno)

ウナムーノは35歳でサラマンカ大学の学長に就任した。それが1900年のことだ。そして1914年には時のスペイン王アルフォンソ12世の王政を批判したとして学長職を罷免されている。その上、1920年には王政批判の論文を発表したかどで、懲役16年の刑を受けることになる。しかし、サラマンカ大学の同僚たちの弁護のもとで、1923年にどういう経緯からか副学長職に復帰している。だが翌年、カトリシズムと結びついた右翼政党ファランヘ党のホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベーラ (José Antonio Primo de Rivera)が政権を握ると、これに対して激しい弾劾論評を加え、プリモ・デ・リベーラはウナムーノを危険思想の持ち主として、カナリア諸島のフエルテベントゥーラ島(Fuerteventura)に流した。

ウナムーノを島から救出したのは、フランスのジャーナリズムだった。スペインだけでなく、当時ヨーロッパの中で最大の知性を救えとばかり、フランスに亡命させたのだ。パリはシャルル・ド・ゴール広場近くの仮住まいで、ウナムーノは中南米、ヨーロッパの新聞雑誌に書きまくったが、検閲の厳しい母国スペインの新聞雑誌には執筆しなかった、というよりもできなかった。

有名な『自由ノート』を書き始めたのは、フランス領ではあるがスペイン国境の町アンダイエ(Hendaye)に住み始め、ホセ・オルテガ・イ・ガセット(José Ortega y Gasset;1883-1955年)と意気投合してからだ。ウナムーノは右翼独裁政党ファランヘ政権を鋭く非難し、共和制を支持した。

1930年の選挙で共和連合が勝利し、翌1931年に第二共和党政権が発足すると、ウナムーノはサラマンカ大学の終身学長に選任され、凱旋将軍のようにサラマンカ市庁舎のバルコニーから共和党政権樹立演説を行い、熱狂的に迎えられた。グルノーブル大学名誉教授、オックスフォード大学名誉教授、サラマンカ名誉市民、スペイン共和国名誉市民などなどの肩書きが贈られた。

だが、ウナムーノ自身が直接政治に関わり出してから、具体的には無所属で地方選挙に打って出て当選した当たりから彼の姿勢が変わり始めたと思う。元々国王に対する抜き差しならない信奉があったのかもしれない。内部紛争を繰り返し、まとまりの付かない共和制に嫌気が差したのかもしれない。ともかく、公然と王政復古を主張し始めたのだ。

それは、一体お前が高らかに謳っていた共和制とは、一体何だったのだ、どこへ行ったのだ、と言いたくなるほどの変身だった。当然 共和制政権の左派から猛烈な反発を食うことになる。

1936年に、時の共和党連合政権アサーニャ大統領は、ウナムーノのサラマンカ大学終身学長職を解いた。“終身”は5年少々しか続かなかったのだ。

ホセ・オルテガ・イ・ガセットが言う“無脊椎のスペイン”を地で行くように、ウナムーノはフランコの反乱軍を前に支持演説をし、またフランコ側の正当性を支持する論評を書いた。9月にそんな演説、執筆をし、その舌の根が乾かない10月には、フランコ派の兵士たちに反戦を説いたのだ。フランコはこの巨人の扱いに困った末だろうか、自宅軟禁にする措置を取っている。同年の12月末に自宅で亡くなった。

ウナムーノの生涯を見ると、本来大学内で研鑽を積み、そこから論文を書き発表することが天職である、優れた学者が、政治に関わってしまった悲劇があったと思う。結果、左翼からも右翼からも変節漢と思われ、軽蔑されることになった。ウナムーノは現実にしっかりと足をすえた政治学者ではなかった。他に抜きん出た才能を持つ者は、往々にして大衆を理解し得ないものだ。自分の論評が大衆を動かし、指導することができるとエリート主導型の落とし穴に嵌るのだ。

ウナムーノがいかに巨人であれ、時代の子であることから逃れられなかったのだ。フランコが生きている限り、スペインの独裁者でいる限り、スペインの土は踏まないと宣言し、実践したピカソやパブロ・カザルス(チェリスト)の生き方の方が、一本スジが通っているように見えるのだ。

スペイン思想界のもう一人の巨人ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、ウナムーノと共鳴するところが多かったが、生涯フランコを敵視した政治姿勢はブレなかった。

 

 

第17回:フランコ万歳! テロの時代 私的つぶやき 6

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第3回:フランコ万歳! その3
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