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■フロンティア時代のアンチヒーローたち~西部女傑列伝 5
 

第5回:カルト・ケイト ~大牧場で富を独占していた牧畜男爵

更新日2017/07/07

 

カトル・ケイトを取り上げたのは、彼女が西部史上でも稀有なリンチで命を落としているからだ。ケイトは結婚後約2年程後にリンチで、夫のジェイムスと共に吊るされ、28歳の生涯を終えた。

このリンチはアメリカ的暴力の伝統の中にあっても特殊な事件だった。若い女性を吊るしたことも奇異だが、彼女が全く無垢だったからだ。彼女が牛泥棒、売春婦、イカサマ詐欺師だったと捏造されたイメージをリンチを加えた側が後で吹聴し出し、大きな声で何度も叫ぶものが勝つ原理がこの事件を形作っている。

加えて、このリンチは西部開拓時代に付き物の大牧場主と小作人、小規模自作農との軋轢が典型として見て取れる事件だ。よって、この列伝はケイト伝記というより、ケイトがなぜ死ななければならなかったか、凄惨なリンチでコットンウッドに吊るされなければならなかったかを探るために、多くを当時の政治的背景、西部辺境の力の支配、それに対抗する貧乏な一開拓者の生き方を書き連ねることになってしまった。

ホームステッドという無償で160エーカーの土地を開拓者に合衆国政府が与える政策は確かに西部開拓に大いに役立った。だが、この政策を練り、実行した政治家、役人はワシントン界隈の東部の物差しで西部の大平原を視ていた。中西部のミシシッピィー川流域、ミズーリー川沿いなど、大きな川があり、クリークが縦横に走っている地域、雨量もそれなりにあるところなら160エーカーは十分に自立できる広さだ。

私の連れ合いの祖父母はホームステッドでコロラド州の東、カンサス寄りに360エーカーを貰い、所有し20余年百姓をしていた。しかし、雨量が極端に少ないうえに土地が痩せて、およそ耕作に適さないその土地を捨て値で手放し、ミズーリー州中部に80エーカーの農地に移った。コロラドでの四分の一の広さもないミズーリーの農地の方がはるかに生産性が良かったと祖父は口癖のように言っていたと連れ合いが語っている。

ましてや、ケイトが得たスウィートウォーター近くの160エーカーは、そこで牛を飼い、生活を成り立たせるには小さ過ぎた。少なくともその10倍の1,600エーカーほどの広さがなければ、食っていけなかった。一頭の牛を飼うのに必要とされる牧草地、農地はその地域、自然環境によって極端に異なるのだ。

ケイトがその土地を政府から貰い受けたとき、その界隈一帯はすでに大牧場主が牛を解き放していた放牧地だった。大牧場主たちは政府がホームステッド政策を取るはるか以前から広大な地域を正式な土地所有権を持たないまま使用していた。法的に言えば違法行為になるのだが、灌漑用水路を掘り、牛にとって危険な崖、川沿いに柵を設けたり、彼らなりに土地を利用し、改善を加えていた。

だが、その土地にしろ、元はといえばインディアンたちのものなのだが、土地所有観念のないインディアンは豊穣な土地を追われ、砂漠のような荒地に追い遣られて行った。そこへ、政府の紙切れを持った入植者たちがやってきて、この土地は私たちのものだ、政府の立派なお墨付きを見て貰いたい、法は私たちの側にあると、小屋を建て、灌漑用水を利用し、バラ線フェンスさえ回し始めたのだ。

開拓民が押し寄せてくる以前から、合法、違法は問わず、広大な平原を利用してきた大牧場主たちが開拓民をあの手、この手で追い出しにかかるのは目に見えていた。いましも、シャイアンまで鉄道が来て、ローウィンズまでも伸び、牛をどんどんと鉄道で東部に送り出し、儲け時になったばかりなのだ。チッポケな土地にしがみ付いているド貧乏な開拓者など、追い払ってしまえ…ということになる。

たとえば、カトル・ケイトの土地の周りを所有していたのはジョン・クレイ(John Clay)という大地主で彼は250万エーカー持っていた。 250万エーカーつまり100億平米(30億坪?)になる。ジョンのような大地主が例外だったわけではない。シャイアンに豪壮なクラブハウスを持っていたワイオミング牧畜組合のメンバー、牧畜男爵たちは多かれ少なかれジョンと同じレベルの金満大地主だった。クラブハウスは彼らがそうだと思い、入れこんでいるイギリススタイルの建物だったが、コックだけはフランス系のカナダ人だった。さすがに食べ物に関してだけはフランスに一歩譲ったのだ。

彼ら、牧畜男爵たちは自分の土地に出向いて、仕事をツカサドルようなゲスなことはしないのが常だった。牧童や牛と交じり合っていたテキサスの大牧場主とは違い、生産手段は持っているが、自分の手で生産に携わることをしなかった。優秀な執事、弁護士、管理人を雇い、政治的なコネをたくさん持ち、おさおさユニオンパシフィック鉄道と健全な関係を保ち、生産から流通までコントロールしていたのだ。あくまでも、イギリスの上流社会人たらんとしていたのだ。

もちろん、お抱え、子飼いのジャーナリスト、息のかかった新聞を持っていた。スノッブの極致か、終いには当時人口5万人ほどのシャイアンの町にオペラハウスまで建て(1882年オープン)、ヨーロッパからオペラ、演劇団を呼び寄せ公演させている。

大きな取引を終えたお祝いパーティーでは、さる牧畜男爵が、25人のお客をもてなすのに5,000ドル使った記録が残っている。牧童の日当が2ドル以下の時代のことである。

“男爵”たちは通称“カトルマン・ロー”と呼ばれる通りに瀟洒かつ豪華なマンションを構え住んでいた。独占によって得る富の大きさを知ることができる。

これが、ケイトがスウィートウォーターに160エーカーの土地を得、ジェイムスと結婚した時の時代背景なのだ。

-…つづく

 

 

第6回:カルト・ケイト ~牧畜捜査官ジョージ・ヘンダーソン

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第2回:カルト・ケイト
~結婚と破綻、そしてワイオミングへ

第3回:カルト・ケイト
~ジェイムス・アヴェレルとの出会い
第4回:カルト・ケイト
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