第57回:マッカティー一族 その4
更新日2007/11/22
デルタの銀行強盗事件にもう一人のキープレイヤーがいる。事件当時12歳だったベン(Ben Laycock)である。
ロバーズ・ルーストの牧場で育ち、アウトローの研究家になったパール・ベイカーがデルタ銀行強盗事件後、64年経った1957年に老齢のベンにインタビューしている。ベンは12歳のときの事件をよく覚えていて、西部のアウトローたちの最後を鮮やかに蘇えらせてくれた。繰り返し語ったのだろう、語り口に年季が入り、ベンが知りようのないトムとビルとの会話が混じっていたりはするが、目撃者の証言としてユニークなものだ。パール・ベイカーの“Wild
Bunch at Robbers Roost”からの孫引きになるが、要約してみた。
その日、ベンは父親の経営する写真館で兄といつものように働いていた。彼の仕事は焼付た写真を水洗いすることだった。まだ12歳だったベンは80〜90パーセントの時間を退屈な水洗いばかりさせられていた。表通りで起こるどんなことでも、ベン少年を興奮させたのは容易に想像がつく。
しかし、その日は特別だった。銃声を聞くなり、写真館を飛び出し、最初に撃ち殺されたビル・マッカーティの死体を見に行ったのだ。でも、父親と兄がすぐにもベンを探しに来るのではないかと恐れ、急いで写真館に戻り、水洗いの仕事を続けた。兄のヘンリーがやっと水洗いはそのくらいででよいと言ってくれたので、また飛び出し、今度はフレッドの死体を見に行っている。すでに大勢の人がフレッドの死体を取り囲んでいた。
そのうちに誰かが地方判事のワーレン・ブラウンに知らせた方がよいと言い出し、ベンが使い走りの役をおおせ使い、アンコンパグレー(Uncompahgre)橋の袂のブラウン氏の家まで走った。当時、デルタには葬儀屋さえなかったので、ビルとフレッド親子の死体は無縁仏や、よそ者、墓地を購入する財力のない貧乏人のための共同墓地に、一つの棺おけに抱き合わせるように詰め込まれ、ゴミでも捨てるように葬られた。
ベンはその翌日、兄のヘンリーともう一人ゲールとだけ名の知れている人物と3人で、マッカティー親子の写真を撮るため墓を掘り起こしたのだ。

ビル・マッカティーは後頭部を吹き飛ばされいるので、
帽子をかぶせた。ビルの写真は、頭の3分の1ほど欠けているものと、
そこを隠すように帽子をかぶせたものの2種類ある。
20歳のフレッドは眠るように静かな表情だ。
ベン少年は兄のヘンリーとこの写真を撮ったことだけで
アウトロー史の片隅に名を残すことになった。
当時のカメラは大きな箱型のもので,丈夫な三脚に載せて安定させ、被写体はカメラに対向するように置かなければならなかった。死体を壁にのし掛けるように立てなければならなかった。今のように床に寝かせた被写体を上から撮ることは不可能だった。
フレッドの方は死後硬直が始まっており、壁にもたれ立たせることができたが、ビルはどのような理由からかまだグニャグニャの状態で,何度試みても立たせることができず、わきの下に松葉杖のように支えの板を入れ、ようよう立たせ、ベンがビルの死体を下から支えている間に兄のヘンリーがシャッターを押し、ビルの写真を撮ったのだった。
シャッターを押し終わった直後にビルの死体は前につんのめるように倒れ、ベンとヘンリーはあわてて死体を支え、押しつぶされそうになったりしている。その後、死体を元の墓場まで板に乗せて運び元どおりに葬っている。

デルタの墓地は町の東、小高い丘陵の上にある。
見晴らしのよい広々としたところだ。全く無駄骨だと知りつつ、
この墓地でビルとフレッドの墓標を探したところ、
こんな看板を見つけた。町のすき者が小銭を出し合い、
デルタの銀行強盗の顛末を書いた看板を建てたのだ。
ビルとフレッドは間違いなくこの墓地のどこかに葬られているが、何百という流れ者の死体と同様、墓標もなく忘れ去られた。ベン少年と兄のヘンリーが撮った写真だけが残ったのだった。
ビル、フレッド親子を撃ち殺した金物屋の店員、レイ・シンプソンは銀行から報奨金200ドルを受け取っている。前述したようにトム・マッカティーはデルタ事件の失敗後、首に500ドルの懸賞がかかったまま、アウトロー史から消えた。だがこれからの数年間、後に人々がワイルドバンチと呼び慣らわしたアウトロー集団の活躍は最盛期?を迎えたのだった。
…-つづく
第58回:ブッチのエピソード

