第7回:Butch Cassidy その5
更新日2006/11/16
最近、私のごく親しい友人の父親が86歳で亡くなった。事業でそれなりに成功した魅力的な人間だったが、酒が入ると説教、訓示をたれるのが難癖だった。口癖のように女遊びはきれいにせよ、家庭を乱すような遊び方はするな、ギャンブルに手を出すな、他人の保証人にはなるな、と自分の体験からにじみ出た教訓をたれるのだ。お袋さんのほうは、「父さんの馬鹿話がまた始まった」とういう表情でそ知らぬ顔を決め込んでいたものだ。
後日、90歳近いお袋さんの方とゆっくり話す機会持ち、かの親父は85歳で病床に着いたときですらお手伝いの叔母さんに色気を出し、手を出そうとしたくらいで、浮気、本気を取り混ぜ生涯どれだけ泣かされてきたか数知れないということを知った。本人が家庭だけは乱すなと偉そうに言っていたのとは逆に、家人は幾度も泣かされ、尻拭いをしてきたと言うのだ。
ブッチ・キャサディの父親、マックス(Maximillian)は家に居るときは優しい良い父親だったが、家に居ないときの方が多かった。マックスは結婚前、まだ10代だったときに、モルモン移住団をソルトレイクシティに導くため、いわばアシスタント要員としてセントルイスまで出向き、もう一度もモルモントレールを旅しているし、結婚後の仕事でも、幾日も家を空け長距離郵便配送でユタ中南部の村々を回る仕事をしていた。
経済的な止むを得ない事情があったにしろ、家に居ない父親であったことは確かだ。後年顕著になってくるブッチの放浪癖は多分に父親ゆずりと見てよい。そんな親父が長男のブッチに お前は長男として家を守ってお母さんと家に居ろ、と諭すのだ。
父マックスは長距離の郵便物輸送の仕事で(その時代にはまだ馬車が走れる道すらなく、馬の背で運んでいた)ユタ南西部に限られた範囲ではあるにしろ、ビーバー以外の土地を見て回るチャンスに恵まれた。そしてビーバーの西、ツシャー連山(Tushar
Mountains)を越えたセビア(sevier)川沿いの部落サークルビル(Circleville)に家族揃って棲むのに理想の土地を見つけ、そこに160エーカーの土地をジェイームス一家から購入したのだった。
当時、入植が始まったばかりのサークルビルはインディアンが出没するような未開の盆地だった。父マックスはこれで家族とはなれ旅に出ることもなく、一家力を合わせ農耕にいそしむことができると思ったに違いない。子供6人を引き連れてサークルビルに越したのは1879年、ブッチが13歳の時である。
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サークルビルのブッチ一家の農地。
この土地を購入したとき、すでにこの丸太小屋はあった。
ジェームス一家が建てたものだろう。
その後、マックスは東側に建て増しをしたが、
その部分は残っていない。
サークルビルはセイバー川沿いにある幾つかの盆地の一つで、水量が多くはないが西に連なるフィッシュレイクの山々と東のツシャー連山から流れ落ちる渓流をセイバー川が集め全流域に緑をもたらしている。ブッチ一家が購入した土地は村の南約5キロの地点で、セイバー川が狭い谷から解き放たれるかのように盆地を潤す、サークルビルでの一番上流に開けた西斜面の裾にある。現在、大型農業の波に飲み込まれ、中西部では小規模農業は成り立たなくなっているが、ここではいまだに、ブッチの甥の息子が自作農として耕作しているので農地として良い土地であることは確かなようだ。

巨大なポプラはブッチと母親のアンが植えたもの。
樹の寿命が比較的短いポプラにとって樹齢130年は、
寿命のつきかけた老木といってよいだろう。幹は大人3人が
環になっても手を回すことができないほどの太さだ。
テキサスやワイオミングの大牧場とは比較にならないが、160エーカー(約650,000平方メートル)の農地はこの土地で小規模な自作農が牧草、小麦を植え、乳牛を10頭ほど育て、一家がどうにか食べていける広さである。またセイバー川流域の農家はその程度の広さの土地の小作農が多かった。父マックスがこの土地に理想郷を見たのはもっともなことだった。

太陽がフンダンにある土地で農業の生命線は水だ。
ブッチ一家は灌漑用水路を掘り、セイバー川の上流から
自分の土地まで流し入れることから始めた。
また、このような灌漑用水路はメインテナンスに
大変な労働力が要求される。常に、落ち葉、枯れ木を
取り除き、湿り気を感知して侵入してくる草木の根を切らなければならない。この用水路は現在使われていない。
…-つづく
第8回:Butch
Cassidy 少年時代

