第46回:Butch Cassidy_マットの裁判
更新日2007/09/06
現存するものは少ないが、残っている手紙の文面から判断すると、ブッチとマットの病身の妻ローズの間で、かなり頻繁に手紙のやり取りが行われていたようだ。恐らくそこに目をつけた『Herald紙』の記者がブッチをおびき出そうとし、そしてあわよくばブッチ逮捕の大手柄をあげ、大スクープをものにして、ついでに賞金2,000ドルまでを手に入れようとしたのは確かだ。
ローズ自身は臨月も近い身重の上、癌で足を切断する手術を受けたばかりで、おまけに夫は殺人の罪で裁判にかけられているいう、精神的にも経済的にも苦しい状態だったに違いない。ブッチを頼りにしていたことは想像できる。
ローズの母親と妹はアウトローのマットを嫌い、マットを有罪にして、ローズと離婚させたいと画策していたフシがある。一方、ローズの方はマットとブッチの深いつながりを信じていた上、彼女の性格からしてブッチを罠にかけ、おびき出すことに一役かったとは信じられない。ともかくローズはヘラルド紙、母親、妹の3者に利用されたのだろう。ブッチに直ぐに会いに来てくれるよう、切迫した手紙を書いたのだった。
ブッチには危険を感じ取る第六感があり、何度も危ういところを逃れている。そして生涯二度と官憲に捕まることはなかった。今回のローズの手紙からも"危険"を感じ取り、「私の親愛なる友人、ローズへ」で始まる丁寧な心温まる手紙をローズにしたためてはいるが、会いに行くことだけは拒否している。
マット・ワナーとビル・ウォールに有罪の判決が下った。刑期は5年だった。マットの自伝の中でも、生涯で最悪の日々だったと落ち込んでいる。マットが拘置所から刑務所へ護送されるとき、拘置所の看守ライツに、自分のまだ真新しいスタットソン(Stetson)製のカウボーイハットをプレゼントしている(当時のStetsonのカウボーイハットは帽子界のルイヴィトン的存在であり非常に高価な一生モノだった)。看守のライツはその帽子を宝物のように生涯かぶっていた。
マットにとって最悪中の最悪の日がまだあった。彼が入所してから数週間後にローズが亡くなったのだ。マットは手錠をかけられた状態で葬儀に参列することが許された。ローズは男の子を産み残していたが、養子に出され、成人することなく死んだ。

プライスのメインストリート。
現在、人口1万人内外の典型的な西部の田舎町で、
町の中央を走る一本のメインストリートにたそがれた商店が並ぶ。
マットはウォールとともに3年半後の1900年1月21日に出所し、一時期ユタ州の農場に戻ったが、プライスの町に移り、法を破る側から法を守らせる側、保安官補(一種の夜警のような職)になった。
正保安官として、1912年に本名のウイラード・クリスタンセン(Willard Christiansen)で立候補したが、落選した。マット・ワナーの名で立候補していたら大差で当選してことだろうとは、後の人の言うところである。
しかし、住民から尊敬され、そこで結婚し、子供を作り、1938年12月に亡くなった。享年74歳。プライス町営墓地に日本人、ギリシャ人、イタリア人などの炭鉱労働者の墓石に囲まれるようにマット・ワーナーの小さな墓石がある。

マット・ワーナーの質素な墓。
今、マット・ワーナーの死から70年が経過して、
彼の名はプライスの町を代表する名誉市民的シンボルになった。
マットが死ぬ2年ほど前に、自伝『Last of Bandit Rider』書き残し、またアウトロー研究家のチャールス・ケリーにも出会い、貴重な談話を残している。
ウォールも更生し、ワイオミング州のロックリヴァーでホテルを経営した後、カルフォルニア州サンディエゴで1932年に死んだ。

全くの余談のおまけだが、町営墓地に日本人の墓が、
それも100基単位で建っていた。このプライスの町に一時期
何百人もの日本人炭鉱労働者が住んでいたのだ。
福岡、熊本出身者が多く、墓石に出生地の村の名前まで
達筆な漢字で刻み込まれている。
…-つづく
第47回:Butch
Cassidy_銀行&列車強盗、全員集合

