第36回:Butch Cassidy_ブッチとアルの裁判
更新日2007/06/28
ブッチとアウトーローシンパの弁護士ダグ・プレストンの間で手紙のやり取りがかなりの頻度であったと思われる。弁護士としては当然のことだが、依頼人ブッチにこの件は無罪になるとの確信をほのめかしていたのだろう。加えて、大きなニュースが飛び込んできたのだ。検事がそれまでのジェームス・ヴァイダルからウィリアム・シンプソンに替わったのだ。
ホース・クリーク時代に足繁く出入りしていたシンプソン一家の息子でブッチとは旧知の間柄だし、ブッチは真冬に薬を求め、200キロの雪道を往復して子供の命を救っているシンプソン家の息子なのだ。そのシンプソンのウイルが検事なら、自分に不利な判決を導くはずがないと思ったとしても不思議はなかった。
この時期までのブッチには、どこかアウトローになりきれない甘さがあり、更生しよう、真っ当に生きようとしているフシがある。この裁判で無罪を勝ち取ったらワイオミングで落ち着こうと思っていたのだろうか。ブッチがオメオメとワイオミング州の裁判に赴いたのはそのような背景があった。
奇妙なことだが、保釈から裁判まで11ヵ月もあったのに、弁護側は新しい証人の準備もしていないし、ブッチたちの無罪を証明する新しい物的証拠も提出できなかったのだ。同様に検察側も3頭の馬を、ビリー・ナッチャーから買ったのか、それともグレイブル牧畜会社から盗んだのか証明する基盤が弱かった。そこへ、それこそ突如といった感じで、リチャード・アッシュワース(Richard
Ashworth)と名乗る男が現れ、彼の馬を盗んだのはブッチとアルだと証言し、ブッチとアルは逮捕された事件とは全く別の件で、もう一度裁判にかけられることになったのだ。
そのための公判は11月に設定されたが、さらに延期され、翌1894年の6月に開かれた。ブッチとアルはさらに1年近く保釈の身で流れることになった。
今度はブッチとアルは別々に個々の弁護士を立てて争うことになった。検察官は同じウイルで、前回よりはるかによく準備していた。ブッチの弁護士ダグは、盗んだとされている馬は、ネブラスカ州の大きなディーラーから購入したものであり、その売買契約書を証拠として提出しようとしたところ、ご本人のディーラーが検察側の証人として召集されており、その売買契約書が偽物であることがバレてしまったのだ。
ブッチの弁護人ダグはまだ青臭く経験不足だったのか、この件に関してはドジな弁護人だった。第一、ブッチに馬を売ったビリー(服役中)を説得して証人として召還することさえしていないのだ。
逆に検事のウイルは若くとも、この事件を有罪に導き、自分のキャリアを築き上げようと、はっきりとした意図を持って裁判に臨んでいたし、ブッチとの過去の関係を裁判に持ち込むような甘さは全く持っていなかった。
裁判は傍聴席が満員になり、ランダーの町中の話題になっていた。人口の少ないフレーモント郡の小さな町でのことだから陪審員も顔見知りだったに違いない。裁判の最中、テリュライド強盗の仲間マットやトムは、ブッチを救い出そうと護送車襲撃まで企んでいた。
ランダーの町は戒厳状態に近い厳戒態勢を敷き、保安官補、郡のシェリフたち、大牧場主のガンマンだけでなく、主だった市会議員、市民までが重装備で裁判所をガードした。裁判官のナイトまでが、ガウンの下にピストルを隠し持っていたほどだった。
陪審員の評定は、アル・ハイナー無罪、ブッチ有罪というものだった。ただブッチの有罪評定に馬の評価額を5ドル(そうなのです。たった5ドルではいくら当時でも駄馬も買えなかった)とし、裁判官ナイツに寛大な処置を頼み込んでいるのだ。
陪審員は有罪か無罪かだけを評決し、裁判官が刑罰を決めるが、陪審員がこのような要求を文書でしているのは非常に珍しい。ブッチファンは、ブッチの人気が陪審員にそのような付帯条項を付けさせたと言うが、ブッチには"5ドルの馬"の罪で2年のムショ入りと判決が下ったのだった。
この判決は、馬泥棒に対するものとしては確かに短い。ワイオミングの法律で10年以下と規定されているから、2年の刑は裁判官がかなり情状酌量をしたと言ってよい。馬泥棒で5年〜8年の刑を喰らっている例がたくさんあるのだ。
弁護士ダグは直ぐに上告したが、裁判官ナイツは却下した。
-…つづく
第37回:Butch
Cassidy_護送前夜

