第28回:Butch Cassidy_流浪
更新日2007/05/03
ユージーンの父親はランダーで銀行を経営しており、新しく越してきた隣人のブッチが17,500ドルを預金したことを思い出話として語っている。ということはブッチはテリュライドの仕事で諸経費を差し引いて、強盗純利益を三等分した約5,000〜6,000ドルの取り分以外にもかなりのお金を持っていたことになる。そこからデンバーでの仕事、ニトログリセリンを使った滑稽な恐喝もブッチたちがやったと推察されるのだが、ともかく17,500ドルは大変な大金で、大掛りな牧場を展開するのに充分な金額だった。ユージーンはブッチにたびたび彼の牧場に来てもらい、手を借りている。
もう一軒の隣人、フランス系のカナダ人、アンドリュー(Andrew Manseau)はブッチに冬場のための牧草を売ったのがきっかけで、ブッチはアンドリューの牧場に出入りするようになり、彼の牧童、バブ(Henry
Wilber“Bub”Meeker”)が後にブッチの率いる強盗団・ワイルド・バンチに加わる遠因になったとしている。
これらが、ワイオミング、ホースクリーク時代の隣人たちで、互いに交流も深くさまざまな機会に集まったようだ。その年、1889年のクリスマスにブッチは隣人たちに盛大なクリスマスプレゼントをしている。わざわざそのためにランダーの町まで出かけて購入したもので、とりわけ女性軍には高価な布地を贈ったりしている。
1889年から1890年にかけて冬はとりわけ長く厳しく、ブッチは弟のダン宛ての手紙で、インクが凍ってしまうので鉛筆で書かなければならないとことわり、馬牧場経営は順調であり、38頭の馬を育てている、住んでいる家も良いし、健康状態も良い、いわばすべて順調、心配は無用と、ダンからブッチの情報が両親の元へ流れることを想定したように、両親を安心させるため書いた手紙を送っている。ホームシックになっていることすら匂わせている。
1890年の春の訪れと共に、ブッチとアルは近所の者たちと、その年初めてのラウンドアップ(放牧してある牛馬を駆り集め、判別し、それぞれの牧場主の元へ連れ帰る)に参加していた。しかし、一旦ホースクリークの自分たちの牧場に帰ったブッチとアルは馬と牛を売り払い、牧場、小屋を整理して、親交を結んでいた隣人たちに何も告げずに、忽然と立ち去ったのだ。
ということは長い冬期間にブッチとアルは何らかの計画を練っており、冬が明けると同時にホースクリークの牧場を投げ打つことに引き合う何か、大仕事を企んでいたと思われる。
弟のダン宛の手紙から、ブッチがホームシックに勝てず故郷のサークルヴィルに帰り、少年期を過ごしたパット・ライアン牧場でひと夏過ごした…という説もあるが疑わしい。
確かにユタ州の南部までブッチは下っているが、家族に会うためというより、馬泥棒仲間が盗んだ馬を買い付け、それをワイオミング州の北東部のジョンソン郡へ運ぶための旅だったのだろう。
1870年代、キャプテン・ブラウンがヘンリーマウンテンで一大馬泥棒シンジケートを組織していた時代、そしてブッチが故郷のサークルヴィルを離れキャプテン・ブラウンと一緒に馬をテリュライドへと運んだ時代まで、馬泥棒はほんの200か300マイル、カウンティ(郡)を2、3越えるだけで売りさばくことができた。
しかし、1890年に入ると、大牧場主同士が結託し、馬泥棒シンジケートに対抗するようになってきた。大牧場主は共同でガンマンや追跡者を雇い入れたり、郡や州のシェリフに圧力をかけ、馬泥棒たちを締め付けてきたのだ。馬の売買証書も詳細になり、偽造し難いものになり、馬泥棒はいっそう仕事がやりにくくなった。
太平洋岸の馬をシカゴまで運ばなければならなくなったのだ。馬泥棒にとっては悪い時代、受難の時代に入ったのだった。
…-つづく
第29回:Butch
Cassidy_ジョンソンカウンティー(ワイオミング)

