第27回:Butch Cassidy_ワイオミング
更新日2007/04/26
ごく若いときバックパッカーとして、放浪したことがある。歳とともに移動するバネがなくなってきてはいるにしろ、その時の癖が抜けないのか、ひと所に2、3年も住むとまたどこか知らない土地に移りたくなってくる。今のところ手近な1、2ヵ月の手近かな旅行で放浪癖を押さえ込んでいる状態といえば当たっているだろうか。「のらり」に掲載されている、片岡さんや藤河さんのエッセイを半ば羨ましく、半ば懐かしむように読んでいる。放浪時代の知り合いで、未だに40年も放浪を続けてのが二人いる。ただただ彼らの行動力、生き方に驚嘆するだけだ。
放浪は身体の芯に巣食い、習性となり、ひと所にジッとしていられなくなり、かろうじて精神が多少安定し、平安な気持ちになるのは、移動しているときただけという心理状態になってくるものだ。
アメリカ人はヨーロッパから渡ってきた時点で、彼らのDNAの中にすでに放浪癖を持っていたうえ、西部開拓時代に中西部で生きた人たちは、移動の中で暮らし、放浪がさらに一層強い一種の習い事になっていったのだろう。
マーク・トゥエインに始まる放浪の系統は、ヘッミングウェイ、そしてビート・ジェネレーションのジャック・ケラワックのような作家たちに引き継がれ、書斎に籠もり、一つの言葉に推敲を重ねる作家とは別の系譜が育っていった。映画でも『シェーン』のような"流れ者""股旅モノ"のような"ロードムービー"は主流にはならないにしろ、すたれずに作られ続けている。
日本にも"旅からす""股旅侍"もの、や"流れやくざ"、そして"寅さん"シリーズの映画にその系譜がある。しかし、いったい小林旭のギターを背負って田舎町を流れ歩き、地元の悪組をやっつける荒唐無稽のシリーズは、西部劇の焼き写しでなくてなんだろう。あれはあれで、結構楽しみはしたが…。
ブッチ・キャサディの生涯を見ていると、どうしてあれだけ動き回らなければならなかったのか、ただ追われていたというだけでは説明できないほど、腰が落ち着かない。何度か、ホンキで腰を据えようと牧場を購入したりさえしているが、じきにすべてを投げ捨てるように放浪に飛び出している。放浪が根っからの第二の本能にでもなってしまったとしか言いようがない。
バセット牧場で牧童として働いている間、周囲の者皆から愛され、信頼され、バセット家になくてはならない存在にまでなっていながら、突如バセット家を離れ、流れ者の溜まり場になっていたランダー(Lander、
Wyoming)に移って行った。理由は分からない。ロマンチックな歴史家はエリザベスへの思慕の情が強くなり、このままバセット家に残り、家庭を崩壊したくなかったのだろうと推測している。追手が迫ってきたわけではなかった。
ランダーの町でブッチは素性のはっきりしないアル(Al Hainer)と意気投合し、ワイオミング州の北西、ティトンの山々の麓、ホース・クリークに共同で牧場を購入している(Peterson
& Yoemanから購入)。
ホース・クリークは、現在、州道26号、287号線が走るドゥボイス(Dubois)の村の北に位置するが、雨量が極端に少ない土地で、セージブッシュだけが生えているような、灌漑用水を大々的に引かない限り牧草の育たない荒地だった。また、当時周囲100マイル以内に住んでいる人は25人とはいない人里離れたところだった(Fremont
Clipper、1892年4月15日号「Cassidy in Fremont」による)。

ホース・クリークのログキャビン。
隣人のシンプソン(William Simpson)によれば、
この小屋はブッチとアルが建てたと言うが、
他の証言によれば、ブッチとアルがこの土地を購入したとき、
すでに小屋は建っていたとも言う。
左端がアルと言われている。
隣が隣人のユージン・アモレッティ、唯一の写真。
右端座っている白いシャツを着ているのがブッチ。
このような荒地が馬の牧場に適していないとは必ずしも言えない。要は馬一頭当たりにどれだけの広さが必要かという面積の問題であり、牧草が育たない土地なら広大な放牧地が必要なだけだ。だが、ブッチがアルとこの地で本腰を入れて定住し、優れた馬を育て、牧場を作り上げて行く気があったのかどうか疑わしい。最初から盗んだ馬の中継基地としてこの土地を選んだ気配が濃厚で、また、実際そのように使われた。
アルの経歴は、ユタ州の南部の出身らしいとしか分かっておらず、アウトロー史家のLacy &Dullentyは、馬泥棒のHaymerなる人物がアルと同一人物ではなかったかとしている。名前を頻繁に変えた当時のことだ、ましてや後ろ暗い人物はニックネームだけで通り、本名など誰も省みないのが習慣だった。ブッチもこの時期はジョージ・キャサディで通っていた。
ここでも非社交的なアルとは対照的に、ブッチは隣人たちに好かれ歓迎された。ホース・クリーク時代は短かったが、隣人の証言が多く残っている。
ホース・クリークから4マイル離れたジャッキーズ・ホーク・クリーク(Jackey's Fork Creek)に入植していたシンプソン家は先代のアラン(Alan
Simpson)がワイオミング州選出の上議会議員を勤めた名家で、二代目のジョンとマーガレットが質実な牧場を展開していた。ブッチはこのシンプソン家に頻繁に出入りしていたと、娘のアイーダが語っている。
アイーダによれば母親のマーガレットはとりわけブッチがお気に入りだった。ブッチは来るたびに薪を運び入れ、表にある井戸から水を汲み、家まで運び、大きな桶を一杯にしておいてくれるのが常だった。また、その1889年から1890年にかけてのとりわけ厳しかった冬、シンプソン家の子供が病気になった時、薬を求め、医者に連絡をとるため、ブッチがランダーまで雪道200キロ近くを往復した逸話を残している。
ブッチにはこのように母性をくすぐる逸話が、真実、ちょっと怪しげな事実、かなり疑わしい真実?、創作に近い史実?と、バライティに富んだお話しが数多く語り継がれている。
ジョンとマーガレット・シンプソンの息子ウィル(William Simpson)は農場を経営しながら、弁護士になり、後にフレーモント郡の検事なり、皮肉な巡りあわせから裁判でブッチを有罪に導くことになる。
…-つづく
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