第23回:Butch Cassidy_モアブの渡し
更新日2007/03/29
今、モアブの町はアーチス、キャニオンランドの二つの大きな国立公園に囲まれた一大観光地になっている。定年退職者がキャンピングトレーラーを引いて訪れる筆頭はグランドキャニヨンで、アーチスは2番手か3番手の人気だ。近年老人組みに加え、マウンテンバイクやラフティング、スカイダイビングの基地としても売り出し、ハイシーズンには小さな田舎町“モアブ”は週末の六本木並の賑わいをみせる。
ブッチたちがここを通った1890年代に、高原の砂漠の中にそびえる奇岩を見にくるような粋人は存在せず、モアブはコロラド川の"渡し"によってかろうじて人々に知られるようなところだった。
コロラド川はグランドキャニオンを削り出したことで知名度はミシシッピーやアマゾン並に有名だが、川そのものは両雄とは比較にならないくらい細く、小さい川だ。ただロッキー山脈の雪解け水を集め急峻な岩山を迂回し、高原を削り取りつつ流れているので、ところによっては滝と呼んでもいいほどの激流になり、大平原をユッタリ流れる大河とは様相が余ほど違う。
"渡し"は、現在モアブの町がある北のはずれ、コロラド川の急流がモアブの細長い平野部に入り川幅こそ広がるが、流れが一挙に穏やかになる地点にあった。
両岸を太いワイヤーで結び、そのワイヤーに滑車を付けた筏をつなぎ、筏が川下に流されることを防ぎ、もう一本のロープをもっぱら手で引いて川を渡るという筏の渡し船だった。水に浮いたロープウェイと言えば当たっているだろうか。
筏は馬車が乗れるほど大きさで、設備投資は大きいにしろ交通の要所では実入りの良い商売だった。当時コロラド川には3箇所しか渡しがなかった(他の二つは現在のパウエル湖近くのHalls
Crossingと Hite Crossing)。

当時のモアブの"渡し"。
モアブの渡し守の娘、リディア(Mrs. Lydia Taylor Skewes)が10歳の頃、7月の初め、まだ朝の暗いうちに渡し守の小屋のドアを激しく叩く音で一家が起こされた。外には3人の旅人がいて、今すぐに渡してくれと言うのだ。父親のレスター(Lester
Taylor)は水位が高い上、流れが急なので、昼過ぎまで待つように説得しようとしたが、3人組はなんとしてでも今すぐに渡してくれと強引に要求したのだった。
その当時、渡し料金は馬一頭50セントが相場だったが、3頭で10ドル、しかも金貨で払うと言うのだ。西部では金貨は紙幣より20〜30パーセント高い貨幣価値があったから、10ドル金貨は大金だった。
結局渡し守レスターは金貨の魅力に負けて危険な渡しを強行することになり、めったに見ることのない10ドル金貨が家宝のようにしてテイラー一家に残ったのだった。娘のリディアはその時のことをよく覚えていた。

モアブの渡しのあった地点。
現在モアブとアーチス国立公園を結ぶ州道191が走り、
橋が架かっている。

Hiteの"渡し"のあった場所(現在)。
コロラド川とダーティーデヴィル川の合流点にあり、 ロバーズ・ルースト
(盗賊の隠れ家)谷からコロラド州へ抜けるカナメだった。
ブッチたち3人は、そこからワイオミングへとユタの荒地を北上して行った。前にブッチたちの逃走路をたどったと書いたが、正確にはテリュライドからサンファン連山を抜けるまでをたどり、このユタの高地砂漠をトラックで行こうと目論み失敗した。
モアブからシスコ、トンプソンスプリングを経てデソレーション荒地に入り、ブラウンズパークに抜けるコースにトラックを乗り入れたのだが、どうにかワダチの残っていた道の痕跡らしきものはすぐに消え、瓦礫の谷底をノロノロと大きな石をバールでどけ、砂地を避け、100メートル進むのに30分以上かかったりで、半日で10マイルも進むことができなかったのだ。ここでトラックが潰れたら…と、嫌な予感が脳裏にちらつき始め半日で引き返したのだ。
それにしてもなんという自然なのだろう。風や川によって削られ浸食、風化したというより、柔らかな地表を剥ぎ取るように破って地核そのものが、荒々しく表面にとび出してきたような地形なのだ。
追っ手がどのような追跡の手をうち、犯行地で事件がどのように受け止められているか、泥棒側はとても気になるものらしい。犯人は必ず犯行現場に帰ってくるという古典的推理小説の心理が働くのだろうか、それとも自分たちの逃亡生活の旅程や定住地を決めるためにも、追っ手の動向が気になるのは当然すぎるくらい当然のことなのだろう。
ブッチたちも逃げながらも後方の情報を集めたに違いない。モアブ近くのラサル山の麓にトムの弟が牧場を持っていたが、そこに一泊もせずに道を急いでいたところをみると、危ない事態が後方から迫ってきている情報をつかんだのだろう。事実、トムの似顔絵つきのポスターが出来上がり、鉄道沿線の駅に配られていた。
恐らくそこで、ブッチは奇妙な噂を耳にした。テリュライドのならず者シェリフ・ジムが、ブッチグループからの分け前を受け取っているにもかかわらず、さらにブッチたちが乗り捨てた馬を自分のものにしているというのだ。
実際、ジムはブッチの馬で、牧場主のハーリーがボーナスとしてくれた馬をリレー地点の地名をとり、"キングストン"と名付け自分の物にしていた。それを知ったブッチは以前の雇用主ハーリーにモアブから「ディア ハーリー」で始まる下記のような手紙を書き送った。
『貴方が私にくれた茶色のブチの馬をテリュライドのシェリフ、ジム・クラークが勝手に自分の物にしていることを知りました。あの馬は私と22,580ドルの現金を110マイルの長距離を運んでくれました。(馬の役目を終えた今、)あの馬の所有権はあくまで貴方に所属します。そのように私が証明したとシェリフのジムに伝えてください。(必要とあらば)すぐにでも、シェリフのジムをモアブの私の元に寄越してください』とおふざけの内容なのだ。
ハーリーがその手紙をシェリフのジムに見せた…と言われているが、ブッチの直筆の手紙は残っておらず、内容だけが脚色され膨らんでいった可能性が強い。それどころか手紙そのものの存在も疑われている。が、いかにも遊び心の多いブッチらしい手紙なうえ、後にそのような稚気あふれるいたずらな手紙を幾通も書いてるので、好き者が創作した可能性を含みながらも、ブッチならやりかねないの感は残る。
…-つづく
第24回:Butch
Cassidy_ブラウンズパーク

