第14回:Butch Cassidy テリュライド
更新日2007/01/25
北米の地名は故郷のヨーロッパからそのまま持ち込んだものか、その故郷の地名の頭にNewをつけたもの、インディアンの呼び名をそのまま米語風に表記したもの、時の大統領やパイオニアの名を世襲したものと相場が決まっている。ときにコロラドとカンサスの州境にあるから両方会わせてKanoradoにしてしまえといった便宜的な地名もあるにはあるが。
いずれの範疇に当てはまらない“Telluride(テリュライド)”とは変わった名前だ。西部アウトロー史、西部小説などでは、"T'hell
you ride"(地獄へ落ちろ)を早くつめて言い「テリュライド」になったとしている。なんとも金鉱ブームに沸いた悪徳の町にふさわしい命名だ。
感心していたところ、金鉱が発見され、町が造られた1878年当時の新聞や記録を調べてもそんな地名が存在しないのに気がついた。1880年代に入ってからもコロンビア(Columbia)と呼ばれていた町と同じところだと分かったのは謎解きの煩悶を経てからのことだ。
コロンビアという町はカルフォルニアにもあり、州の略称、カリフォルニアのCalとコロラドのColで似かよっているとこへもってきて、町の名が同じコロンビア(Columbia)では紛らわしいと、中央の郵便省が難癖をつけてきて、町の名前を変えなければならなくなり、金銀鉱石採掘の際、多量に出る硫黄化した半金属の“Tellurium”という物質があるが、それをもじって“Telluride”と早急に改名したのが真相だった。“地獄へ落ちろ”説の方を取りたいところだが、あまり執拗に調べるとこのような夢のない結果が表面化してくることがあるものだ。

テリュライドの旧市街。
典型的なワンストリートタウンで一本のメインストリート、
コロラド通りが町の中央を走り、それと並行し東西に
細い道が2、3本があるだけだ。
テリュライドは谷のドン詰りにあり、3方を見上げるような岩山に囲まれ、西だけがサンミゲル川沿いに細長く開け、町へ通じる唯一道が走っている鉱山の町だ。東の岩壁に“花嫁のベール”の滝が観景をなし、酔狂がその滝の上にライトの滝上邸よろしく目触りな家を建てた。北側の岩山の絶壁には金鉱山全盛時代、ブッチがミュールを連ねて鉱石を運び、際限なく上り下りしたであろうジグザグ山道が数多く残っており、今はその向こうのキャンベルピーク、ギルピンピークと4,000メートル級の山々へ通じる登山道の取っ付きになっている。
鉱山の跡は洞窟を掘ったボタ山が扇を逆さにしたように落ち、広がっているので、遠目にもそれとすぐに分かるのだが、それさえなければスイスの山村に迷い込んだかと思われるほど絵葉書的風景が村を包み込んでいる。

テリュライドが登山口になる4,100メートルを超す
ギルピン山(Gilpin peak)。
こような山々が町の3方に壁をなしている。
テリュライドは今もブームタウンだ。もちろん金銀は掘り尽くしてしまったが、冬はスキー、夏は涼しい高原でのゴルフと、一大リゾートを築きゴールドラッシュ時代以上のブームタウンに生まれ変わったのだ。テリュライドの村自体は狭く駐車もままならないところだ。そんな谷底に沈んだような鉱山の町はそのまま観光用に残し、峠を一つ越えた緩斜面に新たにリゾート村を作り、立体駐車場を建設し、そこと古い村を無料のロープウェイで結んだのだ。
アスペンと大きな松に埋もれるように建つログキャビン、コンドミニアムへは表玄関まで車で乗りつけることができ、同時にその同じ建物のテラスへ出ればそのままゲレンデに直結しており、家からスキーを履いてスロープへ滑り出せるスキー場設計で、車道とスキースロープの立体交差があったりする。
テリュライド映画祭も年々盛況で、トム・クルーズ、オフラ・ウインフリーがどこそこの牧場を買ったとか、リッチ&フェーマスの話題にも事欠かない超高級リゾートになったのだ。確かにテリュライドは風景の美しさ、ホテルと不動産の高さでは全米トップクラスであることは間違いなさそうだ。
1884年、18歳のブッチが着いた時、この町は空前の金銀ラッシュに沸いていた。1881年の新聞ですでにテリュライドの村に手の平の大きさの空き地もなく、その年の6月だけで26軒もが建設中だと報じている。このようなブームタウンにはつきものの酒場、娼婦の館、ダンスホール、ギャンブル場が乱立し、金のあるなしだけが人間の基準となる町だった。
抗夫やブッチのような荷役夫たちは週末になると山間のテント村から降り、貰ったばかりの給料のすべてを、粗製のウィスキーで酔いつぶれることに費やすのだ。一斉に山から降りてくる鉱山労働者たち全員に行き渡るだけの娼婦はおらず、それが元で殺し合いの喧嘩が始まることも珍しくなかった。そして、日曜の夕方には二日酔いの体と空っぽになった懐をかかえ山に帰って行くのだった。

1890年前後のテリュライド。
こんな山間の村に(西部劇でおなじみの、1階がバーで
2階がホテル兼娼婦の部屋になっているサロンバーが
7軒、ダンスホールが1軒あった。
ぽっと出のブッチが山間のチッポケな鉱山町ではあるにしろ、悪徳と誘惑に満ちたテリュライドでどのように過ごしたか、知ることはできないが、大勢いた荷役夫カウボーイたちと同じような生活をしていたのだろう。ただ後のブッチの生き方から推して酒乱になるほどの深酒をしたり、暴力沙汰に及ぶことはなかったと思われる。
コロラド鉱山の多くは3,000メートルから4,000メートルの高地にあり、しかも山奥のそのまた奥にあるので、雪と雪崩、零下40度を越す厳寒のため冬期間は閉鎖する。鉱山が冬眠に入ると町も死に絶え、多くの労務者は冬場、故郷に帰る。
ブッチと一緒にユタ州の村から出てきた仲間も帰省したが、ブッチは北のワイオミング州、ネブラスカ州に流れ、牧童として雇われている。コロラド南部のテリュライドからワイオミングの北部、ネブラスカまではユタ州へ迂回して1,000キロを越す荒野の旅を経てのことである。
後にブッチが西部のアンチヒーローとして祭り上げられるようになると、西部の牧場主や酒場のオーナー、村や町の顔役たちがこぞってブッチは俺の牧場で働いていた、この酒場の常連だった、俺とよい友達になったと言い出し、ブッチが20人くらいいないと辻褄の合わないことになってきているが、ブッチは最初の冬1884年から1885年にかけてバーントフォーク(Burnt
Fork, Wyoming州)やネブラスカ州のコード兄弟(Coad Brothers)の牧場で牧童として働いていたのは確かなようだ。腕のよいカウボーイはどこでも歓迎された。
1885年の雪解けとともに、ブッチはまたテリュライドに舞い戻ってきた。
…-つづく
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