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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第737回:冷戦の危機

更新日2021/12/16


私の父が、手の施しようがないジャンク・コレクターであることは何度か書きました。アメリカで最大の休暇、サンクス・ギビングとクリスマスの間、ツーリズムが落ち込み、航空券が安くなるので、それを利用して父のところに行ってきました。

父の元を去る時、父が、「これ持っていると何かの役に立つよ…」と、小さなドラム缶、軍隊色というのかしら深緑に塗られ、錆びの浮いているドラム缶から、広口缶詰めサイズの缶に入ったワセリン、人類最古のような石鹸、それに一個一個包んであるけど、包み紙がべったりと飴玉にくっ付いている飴玉何十個を手渡してくれたのです。

普段ならそんなもの捨てなさいと言い、余計な荷物になるものなど持ち歩かないのですが、その時、これウチのダンナさんなら喜んで使ってみる、試すかな…と、脳裏にひらめき、持ち帰ってきてしまったのです。

濃い緑色のドラム缶は、米国とソビエト(ロシア)の冷戦が始まり、ソビエトも原子爆弾を作り始め、それが広島の1,000倍の破壊力を持つものであり、さらにその1,000倍ものパワーがある水素爆弾に発展し、それを幾つ持っているかの、奇妙で危険な競争に米ソがウツツを抜かしている時代の遺物なのです。

私が小学生の時に、ソビエトがいつ攻めてくるか分からない、いつ原子爆弾を落とすか知れたもんじゃないと、学校で原子爆弾避難訓練がありました。

頭を抱え込んで身体を丸め、机の下に潜り込む、時間があれば決められたシェルター(避難場所、地下壕)に避難する、シェルターまで到達できなかったら、何でもいいからコンクリート、石などの塀、壁の根元に身を伏せる、これはピカッ、ドンと来た時の熱射から身を守るため?だそうですが、というバカバカしい訓練を受けました。


アメリカ中西部の家には、まずトルネード避難のための地下室があります。それだけでは安心できない、原子爆弾対応の穴を別に掘り、コンクリートで固め、入口はマンホールほどの広さで重く厚いコンクリートの蓋をする、その中に、飲料水、何日分かの食料、そして合衆国政府が配給した緊急医療品が入ったドラム缶を持ち込み、身の安全を図ることになっていました。

そのドラム缶を、父は冷戦後60年以上、後生大事に持っていたのです。当時、父は小中学校の校長先生をしていましたから、学校に配られてくる対原爆緊急医療品の入ったドラム缶が地下のシェルターに大量にあり、冷戦が終わった後で、教育委員会がそんなものは破棄しろと伝えてきた時、モノを捨てられない性格の父は、ピックアップトラックに何本ものドラム缶を積み込み、自宅に持ち帰ったのでした。それを捨てずに今まで仕舞い込んでいたことに呆れ果ててしまいました。さすがにドラム缶に入っていた広口ビン、缶の水は捨てたようですが…。否、彼なら花壇の草花に撒いたかもしれません。

ワセリン、石鹸、飴玉をウチのダンナさん、「これぞ、アメリカの歴史的遺物だ、いかにアメリカ政府だけでなくアメリカ人皆が反共に走り、共産主義、ソビエトを恐れていたかを現す証拠品だ」と喜び、早速、ベージュで泡立ちが悪い石鹸を使い始め、飴玉は水に浸してくっついた紙を剥がし、試食していました。「ウーム、これは冷戦の味がする」とノタマッテいました。ワセリンは彼のワークショップで使っているようですが、こんモノで原爆の深い火傷の応急処置ができると、アメリカ政府は本気で考えていたのでしょうか。私には反共プロパンガンダ、洗脳の用品だったように思えるのですが…。


米ソ冷戦時代の遺物がキッカケになったのでしょうか、ダンナさん図書館から全24エピソードのドキュメンタリー映画を借りてきたのです。タイトルは『Cold War(冷戦)』というだけです。

このドキュメンタリーはアメリカのニュースチャンネルCNNが、社主のテッド・ターナーのお声がかりで製作したものです。インタヴューに応じた人は500人に及び、新しく録画したフィルムと当時のニュースからの映像を合わせると1,500時間にもなったのを24~25時間に編集した…とあります。丁寧で幅広い取材から想像すると、テッド・ターナー、これをライフワークにし、後世に遺るモノにしようと意図したのではないか…と思います。

朝鮮戦争の時の北朝鮮や中国の兵士、将校、爆撃に遭った北朝鮮の住民たち、アメリカの兵士、将軍、諜報機関の人など、現場を司る人たちが今だから何でも言える風に明け透けに語っています。もちろん、米国大統領、マッカーサー、毛沢東も登場します。冷戦が頂点にあった時のソビエト側の原爆、水爆の科学者、諜報エージェント、軍人もインタヴューに応じています。

アメリカ国内では反共、マッカシーの狂気のレッドパージが行われていました。アメリカ本土にソビエトの原爆がいつ落ちるか分からないと盛んに恐怖心を煽っていた時代です。

そのドキメンタリーの中に、私が小学生の時に受けたの同じ、学校での原爆避難訓練風景があり、なんとバカバカしいことを真剣にやっていたものだと笑ってしまいました。でも、ニューヨーク市、マンハッタンで原爆警報のサイレンが鳴り響き、あれだけ賑わっていたタイムズスクエアが、2分間で人影が全くないゴーストタウンになったのには驚いてしまいました。

当時のニューヨークなどの大都会では、シェルター、避難場所の標識が完備し、最寄の地下鉄の駅、ビル地下駐車場などに逃げ込むように指導、訓練されていたのでしょう。マンハッタンのオフィスやデパートで働く人たちは、いつもどこに避難するかを意識して行動していたとしか思われません。そうでなければ、たったの2分間であれだけの大群衆が街から消えることはないでしょう。それだけ、原爆の恐怖を植えつける洗脳にも似た政府のプロパンガンダが成功していたとも言えるのですが…。

今、長大なドキュメンタリー映画を観ると、後一歩、紙一重で核戦争になっていたであろう事態が何度かあったことに気が付きます。確かに狂気の時代でした。 

でも、核戦争の危機を一発で逃れたのではなく、お互いに政治的威信のため、あるいは現実感のないイデオロギーで核戦争の危機を作り上げ、盛り上げて行ったように見えるのです。言ってみれば、双方が意図的に創り上げた、抜き差しならなくなった人工的な危機だったように思えます。

その結果、私たち田舎の小学校の生徒たちは、頭を抱えて机の下に潜り込む訓練をしなければならなかったのです。

-…つづく 

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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